2013-12-28

お人好しか単なるバカか?

見るに見かねて、会社の同僚に、SQLやRDBの基礎を教えることにしてしまった

正直なところ、自分のことですら手が回っていない
にもかかわらず、人の手助けをしてよいのだろうか?
もっといえば、独学で学んできた上に、自分のデータ分析のためにしかRDBやSQLを使わない俺に、他人様に教える資格があるのだろうか?

お人好しや勘違いにもほどがある

これが吉と出るか凶と出るかは、3ヶ月、おそくとも半年後にははっきりする

いつもこんな感じで貧乏くじを引きがちな性格を、来年こそは何とかしたいものだ

2013-12-22

事業部つきのアナリスト

自分がそうなりたいと思って事業部つきのデータアナリストになった
昔は、(お金を払ってくれる)クライアントのためのアナリストだった。お金を払ってもらうとなると、コメントにも、それなりに気を使う(お客さんの機嫌を損ねてはいけない)。だから、誰にも気を使うことのない自分が所属する事業部のためにデータ分析をしてみたかった

で、希望がかなって気づいたこと

(1)データ・エクセルに関する便利屋
今の勤め先は特にそうなのだが、事業部(商品企画)の人はデータの加工がほとんどできない。基本的なスキルである、データベースからのデータ抽出、抽出した後のエクセル(表計算)での集計ななんてできない。となると、この手の面倒、かつ、つまらない作業を全部引き受けることになり、煎じ詰めれば下働きに等しくなってしまう。だから、結局のところ、データ抽出とエクセルの便利屋さん。

(2)言い訳屋
事業部の売り上げが悪いときがある(というか、いつもかもしれない)。で、事業部=商品企画が、経営層に何らかの言い訳をする必要に迫られる。でも、あの人たちにしても、自分勝手な言い訳を振りかざすわけには行かない。そこで、データをつかって、上手いこと言い訳ストーリーを考えてくれとなる。で、データを使って、説得材料を集めて、適当な言い訳レポートを書く。これは、稟議を通すときも同じ。儲かる万人受けしそうなストーリーをデータをつかってレポートしろという仕事。それが真実ならば問題ないが、保身や自己満足としか思えないとなると、バカバカしいことこの上なし。

(3)本気分析
ごくたまにだけど、本気の分析をすることがある。本気分析とは、大きな問題に対して、大問題のありかと、大まかな改善の方向性を示唆することだ。だけど、これが評判が悪い。なぜならば、話を聞いても、何をすればいいのか、あの人たちには皆目見当がつかないからだ。

あの人たちが望んでいることはわかる。何をすれば問題が即解決するかを提言してほしいのだ。でも、それは、小さな問題のときにだけ可能だ。なぜならば、小さい問題とは、答えの方向性はわかっていて、あとは、どのレベルの答えが最適か?を知るだけだからだ。

だけど、大きな問題は違う。大きな問題とは、どこに答えがあるかが分からない。どの方向に行けば正解なのか?あるいは、どのような計画・戦略をを立てればよいのか?たくさんの試行錯誤が必要だ。試行錯誤の中から、やっても無駄なこと・効果があることが見えてくる。それを頼りに前に進むしかない。だけど、何が試行錯誤にあたるのか、戦略・計画に対する大雑把な結果すらも見当つかないようにに見える。さらに悪いことに、あるいは、だからかもしれないけど、即効薬を求める。で、結局のところ、何をすればいいか分からないから、事業計画を立てることすらおぼつかない。

ということで、悪口満載になってしまったのだが、サラリーマンたるものこの中で生きていくしかないわけで、謙虚な立場に立てば、自分もたくさん迷惑をかけているはずなので、長いものに巻かれて生きていく毎日なのだ、と思いを新たにするクリスマス2日まえの深夜

2013-12-01

2013年11月30日 東京スカイツリー


ご飯を食べた後から、都内をドライブ
首都高が混んでいたので、向島で高速を降りる。すると、スカイツリーが目前に。

業平橋周辺のコインパーキングに車を止め、クリスマス用にライトアップされたスカイツリーを見上げる。


似たような写真が2枚



カメラが高価なときは、写真とは、大切なハレの日の記憶を、物理的に保存するためのものだった。

しかし、カメラは、コンパクトカメラから写るんです、デジカメ、携帯カメラと、劇的に、軽く・小さく・簡単・安価になった。いまや、すべての人が、日常的にカメラを携帯している。現在の写真の撮影枚数は、史上空前かもしれない。カメラのイノベーションによって、日常のささやかな思い出を、物理的に残せることになったのかもしれない、とぼんやりと考えた週末の夜。


2013-11-17

紅葉三昧 2013年11月3日 桐生 10日花園渓谷

11月の3連休は、粕尾~足尾方面へドライブ

お昼過ぎに家を出発し、当てもなく東北道を北上、栃木ICで高速を下りた後、足尾方面へひたすら走る・・・・。思川の渓流沿いに走っていると、紅葉まっさかりの峠に突入。曇っていて、さらに夕方だったけど、紅葉を楽しみながら峠を越えると足尾にたどり着く

足尾からは、今度は渡良瀬川沿いをドライブし、桐生に到着。桐生名物の上州うどんを藤尾本店で食べた後、家に帰ってきたのだった



10日もあきもせず、今度は茨城方面へ

お昼過ぎに家を出発、海と山を堪能すべく茨城方面へ。

一時間ほど走ると、いつもの北茨城ICに到着。まずは、紅葉を堪能すべく花園渓谷へ。山道を走っていると、新そばの看板が出ているのを発見、おそばを食べることに。

花園渓谷・水楓亭



庭の紅葉がきれい


おそばもおいしかったです



 そのまま山に登り、峠の紅葉を堪能







この辺の山は、杉がそれほど植林していなくて、広葉樹の紅葉を楽しめます
このまま峠を越え、小川~渡瀬~田人~いわき~北茨城とはしり今度は海へ。

いつもの平潟港で一休み。

その後、常磐道を走り家に帰ってきました

今年は紅葉をたくさん楽しめる年になって、とっても幸せなのです



2013-11-05

いちご弁当・2001年1月19日八戸~黒岩出張 

今日は、10年ぶりの親戚でのご会食。場所は新宿。待ち合わせ時間までには時間がある。そこで、壊れていた会社用カバンを買い換える。会食も終わり、帰宅後、カバンの中身を入れ替えていると、偶然にも、いちご弁当の包み袋を発見。ふと、当時、出張先の八戸駅で、このお弁当を買ったことを思い出す。製造年月日を見ると、01/1/19 10時40分と書いてある。2001年1月19日は金曜日だったようだ。

☆魚元
岩手県宮古市大通3-6-43


いちご弁当



八戸と黒岩での商談が重なっていた。そこで、八戸宿泊の出張を計画する。木曜日は、親ほどに年が離れた営業部長と一緒に、八戸でお客さんと商談。部長はそのまま東京に戻った。が、自分は八戸で宿泊した。夜は、一人で地魚が食べれる炉辺焼きのお店でサンマのお刺身などを食べた。営業部長には、同世代の娘がいたのだが、なにかと

「うちの娘は食べごろやで」

と結婚をほのめかしてきたことを思い出す。

次の日は、本八戸駅から電車に乗り八戸に移動。八戸駅で昼食?用に、このお弁当を買って食べたはずだ。蒸したウニがたくさん乗っていたこと、初めて食べた茎わかめが思いのほかおいしかったことを鮮明に憶えている。

雪の中、特急で青森へ向かう。当時、八戸までようやく新幹線が開通したばかりだった。青森は思いのほか遠く、お昼過ぎに到着。で、青森駅で在来線?に乗り換え弘前に移動。一時間くらいだったと思う。弘前からは、ローカル私鉄で移動し、2時過ぎにようやく黒岩に到着。黒岩からタクシーに乗りお客さん先へ。機械そのものや、金属蒸気圧表で分圧コントロール方法を説明した記憶がある。とくに、蒸気圧表にもとづく分圧コントロールは、お客さんにとって目から鱗だったらしく、いたく感心されてびっくりした

説明も終わり、再びタクシーで駅に戻る。黒岩には戻らず、直接弘前まで移動した。弘前からは、青森空港まで空港バスで移動。雪も降っているし、夕方ということがもあり、バスの中がものすごく寒かった。小一時間で、青森空港へ到着。夕ご飯を食べた後、飛行機に乗り羽田に帰った。

この頃といえば、機械を担当し始めて約3年、営業職についてまる4年たっていた。人と話すことにも慣れ(わたしは、本来、人見知り)、まっさらだった機械の知識も増え、なんとなく仕事も板についてきた頃。がしかし、一方で、事務所唯一の若手にもかかわらず(だからか?)、飲み会・忘年会の幹事や仕切りといった雑用をおおせつかることは殆どなかった。むしろ、他の諸先輩方にまかせっきりで、自主的に動いたことなど皆無。今思うと、子供のように大切に育てられていた、、、気さえする。

仕事面では、お客さんと、技術的な話をすることは楽しかった。がしかし、どんなにがんばっても所詮、営業・文系という壁に常にぶち当たっていた。過保護に育てられたにもかかわらず、営業職に見切りをつけて会社を辞めることを、営業部長に伝えたのは、次の月、つまり2月中旬だった。

2013-10-31

日本型モノづくりの敗北 湯之上 隆

日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ(2013年10月)
文芸新書・湯之上 隆
日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ (文春新書 942)


半導体技術者から半導体業界の社会科学者?あるいは、下世話な言い方をすると半導体業界評論家に転じたサラリーマンの苦労話。

ここ10年位、昔の言い方をすれば、日本の弱電メーカーが不調に陥っている。理由は、この本に書いてあるとおりで、改めてまとめると、垂直統合型の日本の電機メーカーが、水平分業で、かつアーキテクチャーをデファクト化したインテル・台湾ファンドリーメーカーに質(特に、マーケティング・経営)・量(製造量・コスト)の両面で負けています、、、ということなのだろう

湯之上さんが書いたものは、ネットを徘徊しているとアチコチで見かけることがあり、この本も、やっぱり、大きいところではいつもの主張を繰り返している、、気がした。まあ、新書とはそう言うものなんだろうけど。

彼の良いところは、一流の技術者から転じた割には、新技術開発をだけで全てを語ろうとしないところだと思う。技術を量産と新技術開発に分けたり、世の中のトレンドから受け入れられる技術(金になる技術・イノベーションのジレンマ)を検討したりと、技術とマーケティングや経営の両方を知っているからこそできる議論を展開しているところではないか。

大きな話の流れは、素人目からはなるほどーと思えることばかり。であればこそ、なんで日本の電機メーカーは彼の主張に少しでも耳を傾けないのだろうと不思議になってしまう。むしろ、巨額投資が必要なこの分野は、わかっていても簡単に方向転換ができないジレンマに陥っているのかも知れない。そして、彼の主張を受けて仮に方針転換したとしても、転換した先は、サムソンや台湾のファンドリーメーカーの二番煎じに過ぎない。まあ、この辺が、むずかしいところだ

しかし、彼の書いたものは、純粋に分析的というよりも、日立やエルピーダメモリへの恨み節が、奥底に常に流れているように見えるけど、その辺は書かなくてもいいんじゃないかと。あと、本の題名の「日本型ものづくりの敗北」は誇張しすぎというか、現実的には、半導体の話だから、やや大げさな気がする。まあ、液晶も負けている構図は、半導体と似たり寄ったりなんだろうけど。

2013-10-27

2013年10月27日 軽井沢 星野リゾート トンボの湯へ

混乱が続くサラリーマン生活をリフレッシュするために、ひさびさに軽井沢の星野リゾートへ日帰り温泉&紅葉ドライブに行きました

金曜日は、久々に夜9時ごろ早めに終業、その後、ご飯を食べつつ家に着いたのが夜12時。いつもはそのままウダウダするのですが、その余力もなく、そのまま就寝したのが功を奏し、土曜日は珍しく朝8時に起床することができました。で、洗濯やらなにやらした後、お昼前に出発、とりあえず台風の中、高速を走りながら、さてどこ行こうかぼんやり思案した後、ひさびさに星野リゾートに行こうということになり、常磐道~外環~関越~上信越道を走ること3時間くらいで軽井沢に到着したのであった。

東京に2個も台風が来ていたこともあり、紅葉真っ最中の軽井沢は閑散としている。ラッキー。で、そのまま中軽井沢まで車を走らせ、星野リゾートへ到着



イチョウが色づいていてきれいだ
敷地内を流れる渓流と紅葉が美しい。


ホントになんてことない風景なんだろけど、星野リゾートはおもてなしの心配りが細部にまで行き届いていて、ちょっと立ち寄るだけでも、すごく楽しいし癒される


ハレルニ テラスを散歩、特に何も買わずに一通り散歩した後は、待望のトンボの湯へ。
やっぱり紅葉がきれい


台風の最中に来たので、やっぱりすごくすいている。さらりとしたお湯は、秋にじっくりと温まるのに最適な温泉だと思う。


温泉につかった後は、そのまま鬼押し出し方面へドライブ。雲に隠れていたけど、浅間山と紅葉


ひたすら北上したら万座温泉口へ到着。さらに国道144号線を西に向かい上田~佐久と通って浅間山を思いかけず一周、で、小諸までたどり着いので、確かお正月にきたやまへいで夕ご飯をいただきました



お正月もたべたコイの甘露煮。コイのみはしっかりとしている上に、甘めにこってりと仕上がっていてすごくおいしい


今回は、蕎麦づくしをたべました。お蕎麦は秋の新そばで、かつ、更科?2番粉らしくさっぱりとしていてとてもおいしかったです。そばがきもはじめてたべて、こんな味なのか、、、と堪能しました



ご飯を食べた後、ふたたば上信越道~関越道~外環~常磐道ととおり家に帰ってきました。
といった感じで、ひさびさに紅葉・温泉・新そばとを日本の秋を満喫した大満足の休日となったのでした

2013-10-12

変わりたい

最近、「変わりたい」、あるいは「変わらなければ」、さらにもっと踏み込んで、「変わりたい・変わらなきゃいけないので手伝ってほしいことがある」といったことをよく言われる。変わりたいという気持ちはよく分かるし、危機感の表れなのだろう。

話は変わるが、自分が持つ信念・信条を簡単にかえることができる人などいない。なぜならば、信念や信条とは、自分の体験が育んだものだからだ。信念・信条は、自分が積み重ねてきた経験そのものであり、つらい思い出や、爽快な成功体験と一体化している。だから、信念・信条など、簡単に変えられない。もちろん、自分自身も例外ではない。

実は、自分が変わるということは、、自分のの信念・信条、もっといえば成功体験を捨て去ることに他ならない。なぜならば、変わる必要があるのは、自分が大事だと思っていることが、なにか進めるうえでボトルネックになっている可能性が高いからだ。そう考えると、変わるためには、自分がくだらないと思っていることを、より重視する必要がある、と思う。

現実的には、人が人を変えることなどできないと思う。変わりたい人は、他人の力を借りず自分勝手に変わるはずだ。なぜならば、変わるとは、自分自身の信念・信条、価値観を捨て去ることだし、自分の価値観を捨て去るのは、自分だけしかできない。

ダイエットや禁煙の例を出すまでもなく、自分が変わるために、誰かの力が必要だ、と思っているうちは、なにも変わらないのではないか、と思いをめぐらす今日この頃

2013年10月12日 横須賀観音崎

日曜日は、ひさびさに横須賀にある観音崎へドライブしました

たしかお昼ごろ出発し、常磐道~首都高などをとおり約2時間ほどで観音崎へ到着しました
これがいつもの観音崎


灯台の上空には、バーベキューのにおいにつられてやってきたトンビたちがたくさん飛んでいました



海沿いをしばらく歩くと、砲台跡の公園にたどり着きました
明治時代、帝都東京をまもるために、東京湾口の観音崎に砲台をつくったそうです。大砲の射程は忘れてしまったのですが、対岸まで弾丸が届くらしい。まあ、そうでないと砲台の意味がないのかもしれないけど。で、これが砲台


砲台の解説版。当時の面影はまったくないらしく、潔さがすばらしい。
日清日露戦争時代に設置されていた模様



公園にいたネコ。ぐでーーーんとしておった


公園から駐車場に戻り、さらに三浦半島をぐるりと一周して家に戻ってきました
久々の観音崎、とっても癒されたのであった

2013-10-06

2013年10月5日南流山のガールズバーへ

今日は都内で、昼~夕方の用事をすませた後、夜10時ごろ南流山に到着。なんとなく、やるせない気持ちがぬぐいきれず、すごく思い切って駅前にあるガールズバーへ一人で行ってみた。

このお店、数年前からあったのは知っていたけれども、怪しい雰囲気だったのでいつも通り過ぎるばかり。でも、今回は、ちょっとがんばって入ってみた。

ガールズバーとは、どうやら、カウンターの中から若い女の子がおしゃべりの相手をしてくれる仕組みらしい。まあ、かなりカジュアルなキャバクラといったところか。キャバクラのように、横に座らないので、いやらしい気持ちにはまったくならないし、それがゆえに、一人のお客に一人の女の子がサービスするルールももない。

お店に入っても、最初は、相手してくれる子がいなかったので、しばらくぼーーとしていたら、ちょっとして新しい女の子が出てきて喋り相手をしてくれた。キャバクラと同様、ホントかどうか分からないけど、昼間はかたぎの仕事をしているとか、そんなたわいもなく、かつ盛り上がりにかける話をしていると、近くにいた一組のお客さんが、どういうわけか話しかけてきた

なんでコイツらが話しかけてくるのか、一向に解せなかったけど、テキトーに話し相手をすることに。職業の話やら、どこに住んでいるのか?とか、ホントにたわいもない話を続けてくる。会話を続けようとする姿を見るにつけ、なんとなく、サクラ的なものではないか?との疑惑がどんどん大きくなってくる。そもそも、この近所に住んでいると言うわりには、隣駅のことすらよく理解していない

そうこうしているうちに、延長するかどうかきかれたので、切り上げて帰ってきた

請求金額、女の子が1杯お酒を飲んだので、5,000円弱。

高いのか安かったのか、まったく判断つかない。だけど、ひどく内向的な自分を少しだけ変えられたと信じたい土曜日の夜

2013-09-30

2013年9月29日 八溝川・喜連川早乙女温泉

渓流釣りシーズンも今月で終わり、思い立って八溝川にヤマメ釣りに行きました

8時ごろおきて家を出発、なんだかんだ車で走ること3時間くらいでようやく現地に到着しました。で、何時かといえば、すでに12時。

それでもせっかくきたんだからと思ってフライでつりあがるものの、当然というべきか、まったくつれる様子がない。1時間くらい釣りをしたのですが、道路沿いだし、つれる気がまったくしなかったので、そのまま終了していましました

以前ならば、執念深くアッチコッチ移動しまくって、ヤマメを釣りたい衝動を抑え切れなかったのですが、最近は、どうもそこまで熱くなれない自分がいる。まあ、今回の川も初めてだったので、勝手が分からないというのもあるんだけど、なんだか、それ以上にさめている気がするのは気のせいだろうか。

で、まだ時間は、1時過ぎ。どうしようかと逡巡しているとき、ふと、喜連川にある早乙女温泉をおもいだし、温泉に行くことにしました

八溝山を越え、黒羽~大田原~喜連川と走ること1時間くらいで喜連川早乙女温泉に到着


ここは関東平野の端っこの丘陵地帯にもかかわらず、いおうの香りがします
ただいまの料金、1000円をはらって、温泉へ。

お湯が、白濁したエメラルドグリーン。シャワーも温泉を使っている模様。脱衣所の張り紙をみると、毎日お湯を張り替えていて、かつ、かけ流しのこと。すばらしい。でも、ということは、普通の温泉は、毎日、お湯を張り替えていないんですね。まあ、それはおいておいても、いおうの香りと、ちょっとだけ熱めの温泉がすごく気持ちよい。どこと近いかといえば、しいて言えば、日光湯元の温泉ですかね。でも、日光ほどには、熱くもなく、PHも低そうで、これはこれで気持ちよいです。先週行った、すぐ近くにある喜連川松島温泉のヌル湯とはぜんぜん違う泉質だけど、どっちもすごく気持ちよい温泉なのでした

ということで、この近辺の温泉を使い分けるならば、

初夏~夏は、八溝温泉。ぬる湯のヌルヌルで夏に長時間はいるにはサイコー。といっても、一回しかいっていないが。

春・秋は、松島温泉、あるいは馬頭温泉あたりだと思う。適温のヌル湯のやさしい浴感は、春・秋の涼しい日中に入るのがベター

晩秋~冬は、喜連川早乙女温泉をお勧めしたい。さむーーーい冬は、この手のパンチが効いた熱めのお湯で、ゆっくりと温まるのがベスト

温泉に入った後、氏家町をとおり、上河内SAから東北道に入り、SAで昼寝をしつつ家に戻ってきました。今日の温泉もとっても気持ちよかったので、また、どこかに入りに行きたいなーと思ったわけでございます




2013-09-23

2013年9月22日 喜連川松島温泉・那須烏山 矢沢簗

連休中日の日曜日は栃木県の丘陵地帯をドライブなどをしました

9時すきに起床し、まずは、買って以来洗ったことがなかったレースのカーテンを洗濯。選択を始めると、洗濯機の水が真っ黒になったので、これはいかんと思い、つけ置きの後、二度洗いをしました。これで、きっと長年の汚れは落ちきったことであろう

で、そんなこんなでお昼前に出発。流山ICから外環・東北道を走ること約2時間で、今回の第一の目的地である喜連川市にある喜連川早乙女温泉に到着しました

なぜここかといわれれば、温泉フリークのHPをみていると、この温泉の評価がとても高いのですよ。で、だったら行かねばなるまい、ということで今回の訪問となったのです。で、これが早乙女温泉の写真たち


周りは、本当になんて事のない里山と田園地帯

これが松島温泉の入り口

で、温泉は?というと、これがぬる湯かつヌルヌルで、すごく気持ちよい。こんななんて事のない場所なのに、温泉からは、ほのかにイオウの香りがする。この時期にちょうどよい温度なので、本当にいつまででも使っていられる感じ。日曜の昼間ということで、人も少ないのでいい感じ。といことで、小一時間、ヌルヌルのぬる湯を堪能しました。これが成分表。注目すべきだったのは、全部かけ流しで、体を洗うシャワーのお湯まで温泉だったことです



で、早乙女温泉を堪能した後、先週も訪問した那珂川町方面に向かいました。なぜならば、次の狙いは、観光簗で、鮎の塩焼きを食べることだからです。たしか、国道293号線を東に向かうこと1時間で那珂川町に到着。前回訪問した高瀬観光やなをに行ってみたのですが、相変わらず注文できる雰囲気でなかったので、そうそうに立ち去りました。で、しばらく那珂川沿いに南下したところ、矢沢やなに到着。ここもまあ、、、という雰囲気だったのですが、なんとか注文し、鮎定食をいただきました

で、これが鮎定食

塩焼きの鮎。鮎は、やや小ぶりだったけど、今シーズン初めてだったということもあり、すごくおいしかったです。内臓も苦くて、すごくおいしい、ご飯もすごくおいしかったです。




烏山から茂木、友部、岩間と走った後、常磐道を走って家に帰ってきました
温泉も入れたし、夏の風物詩鮎も食べれたので大満足の一日でした

2013-09-17

ぼくには数字が風景に見える

僕には数字が風景に見える(2007)
ダニエル・タメット
講談社

ぼくには数字が風景に見える


自閉症の一種であるサヴァン症候群の著者が、自分が住む世界観を語った本。

サヴァン症候群という自閉症を罹患している人の中に、特殊な才能を持つ人がいると知ったのはごく最近だと思う。子供のころ、映画レインマンを見たことはあった。が、レインマンの主人公がサヴァンだとは知らなかった。その意味で、映画レインマンは、エンターテイメントとして楽しんだけど、自閉症という病気に対する理解を深めたとはいえなかった。

で、時はたち、いろいろあって数学や心理学を勉強することになった。すると、オイラーやラマヌジャンといった天才数学者は強い自閉症だった可能性がある、といったことを書いてある本を時々目にするようになった。実際、サヴァンとしては、ラマヌジャンの逸話が一番有名で、なにやら突拍子もない連分数を神の啓示のごとく喋りだすといった逸話を目にするにつけ、一度、なにかその手の本を読んでみたいと常々思っていた。

サヴァンの人は、たいてい、生活に支障が出るほど強い障害を持っており、自分の世界観を語ることなど到底できないらしい。がしかし、ダニエルは、まあ障害が軽いのでしょう、サヴァンが持つ数字や言葉に対する特殊な世界観、障害を通した人生観、子供のころからの人生や自分自身に起きた出来事について、淡々と事実を連ねている。

正直な話、ラマヌジャンやレインマンのようなエキセントリックな展開を期待すると、かなり拍子抜けするのではないか。がしかし、それは別に悪いことではないはずだ。なぜならば、この本の内容自体、ダニエルが体験してきた世界を、彼自身が忠実に表現した結果なのだから。

一部、疑惑もないわけでもないらしい。だけど、まあ、本人がそういうのだから、まあいいじゃないか、、、といった穏やかな気にさせる本。





2013-09-16

2013年9月15日 馬頭温泉

久々の3連休の中日は、栃木の馬頭温泉に行きました

お昼ごろ家を出発し、いつものようにTFMの山下達郎サンデーソングブックを聞きながら北上すること約2時間半で馬頭温泉に到着。今回は、南平台温泉ホテルの観音湯に行きました

で、現実の観音湯はこんな感じで、中は、まあ田舎の健康ランドといった風情



で、420円を払い、温泉へ。
休みの昼間だからか?なのにか?そこそこ人がいます
お湯は、加温したアルカリ泉なのでしょう、ヌルヌルですごく気持ちよかったです
ただ、夏に入る温泉としては、ちょっと熱かったです、といっても普通のなのだけど。
前行った八溝温泉は、加温してないぬる湯だったことを考えると、夏は、ぬる湯がベストだったかもと、ちょっと後悔しました

で、これがホテルの駐車場からの眺め
露天風呂から見えるわけじゃないですが、のどかな眺めに癒されました



で、その後、第二の目的である鮎の塩焼きを食べるべく、大瀬観光やなにいってみたのですが、時間が遅かったのか、雨が降っていたからなのか、すでに営業終了の模様。何人かお客らしき人もいたのですが、店員は完全無視を決め込んで、黙々と後片付けしていたので、何も食べられず。


で、その後、黒羽あたりから那須方面に向かい、東北道を通って家に帰ってきました
鮎は食べれなかったけど、久々に温泉に入れて充実した一日を過ごせて幸せなのでした

2013-08-04

マネーボール


マネーボール(完全版)
マイケル ルイス
ハヤカワ・ノンフィクション文庫
マネー・ボール〔完全版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)


あれは新卒で勤めた会社を辞めて、ブラブラしていた2000年ごろ、偶然本屋で野球に関するでデータ分析の本を見つけた(メジャーリーグの数理科学 上 (シュプリンガー数学リーディングス))。そのときすでにデータ分析を勉強していたこともあり、あーこんな本もあるのか、と漠然と思ったことを憶えている。で、時は過ぎ去り2011年、セイバーメトリックスを題材にしたマネーボールが上映された。そのときも、これは見なければと思ったのだが、忙しさにかまけ、見過してしまった。で、さらに時は過ぎ去り、たまたま行った本屋で文庫本になったマネーボールを発見・読了の運びとなったのでした

この本のストーリー性は抜群。伝統を重視する球界と、伝統にチャレンジする、貧乏球団アスレチックスGMの主人公ビリー。データ分析でビリーをサポートするポール。そして、ビリーとポールに見出された、無名のマイナーリーガーや、ドレフトで誰も注目しなかった大学生野球選手、メジャーリーグーを解雇された選手が、アスレチックスで活躍する様子には本当に魅力的。データ分析を知らなくても、いわゆる水戸黄門風の勧善懲悪風ストーリーだから、誰もが十分に楽しめる内容なのだ。

データ分析という点では、ビジネス・意思決定の現場において、分析者たちがどんな困難に直面するか?が、とても興味深い

(ビリーとスカウトたちが、来年ドラフト指名する大学生を検討する会議で)

GMのビリー
「アラバマ大学のジェレミー・ブラウンを検討したい」

スカウト
「(あのブラウンか???)ブラウンは太りすぎだ。

アナリストのポール
「大学リーグで史上初めて安打300本と四球200個を記録しています」

スカウト
「大学では記録的な活躍だが、デブにはかわりない」

GMのビリー
「じゃあベーブルース似だな」


いつも思うのだが、データ分析だけで、すべての疑問を検証できることはめったにない。現実的には、時間やデータがたりないことが多い。そんな場面で、データ分析を信用しない人たちの揚げ足取りを、どんな風にやりこむかは、分析者にとって現実的に極めて重要なスキルだ。ポールにとって、データを信奉し球界に精通したビリーの存在なしで彼のデータ分析スキルが意思決定をサポートすることはなかったと思う。

マネーボールはアメリカでベストセラーになり、映画ではアカデミー賞受賞者が出たようだ。筆者のマイケル・ルイスは隠れた優良株を見つけ出す、ノンフィクション界のビリーなのかもしれない。

2013-07-22

2013年7月21日日光霧降高原

今日は、日光霧降高原までドライブしました

お昼前に柏を出発し、何の当てもなく東北道を北上、ぼんやり運転するうちに日光の霧降高原に行くことに決定、宇都宮から日光道を走ること約2時間で、日光ICに到着。霧降高原に向かうべく、大谷川の橋を渡ろうとすると、たくさんの釣り人が見えたので河川敷に立ち寄ってみました


写真ではよく見えないけど、橋の袂の堰堤にだけ、たくさん釣り人がいます。おそらく、この堰堤の深みに、漁協が魚を放流したのでしょう。で、川べりにたたずんでいると、漁協のおじいちゃんが寄ってきて、理由は分かりませんが、焼いたニジマスを食べさせてくれました


焼いたニジマス、遠火でじっくりと焼いてあったのでしょう、皮目はバリッと香ばしく、実はジューシーに非常に上手く焼きあがっていました。ただ、このあら塩を落としはぐってしまったので、思いのほか塩辛かったです。

で、ニジマスを食べた後、霧降高原をドライブしました。とくによるところもなくひたすらドライブ、ドライブ、、、、、しばらくすると牧場があったので小休止しました


逆光でよく見えないんですけど、大笹牧場だったと思います。まあ、牧場がやっているドライブインって所ですかね。牧場で取れた牛乳で作ったと信じたいソフトクリームをたべました

で、その後、小百方面から高原を下り、再び今市に戻り、さらに再び日光方面に向かったのち、大谷川の河川敷で休憩がてら昼寝をしました。で、目覚めた後、そのまま帰るのもつまらなかったので、再び日光市内をブラブラ、ガソリンを入れた後、ようやく帰路にました

本当ならば、夜ご飯は、明治の館か、山のレストランで、ニジマスのソテーを食べたかったのですが、河川敷で思いがけずニジマスを食べてしまったので、どちらにも行く気になれず、かなり拍子抜けしてしまいました

といった感じで、貴重な休日も過ぎ去っていったわけでございます


2013-07-16

2013年7月13~15日 初夏の連休

今週末は、5月のGW以来、久々の連休でした

3月に会社が変わりバタバタしていたけど、ここに来て、ちょっとだけ業務に慣れてきたこともあり、若干落ち着きつつあります

12日金曜日は、髪が伸びていたので、定時6時きっかり退社し、7時から、いつもの美容院で、いつもの人にカットをしてもらいました。で、髪を切った後、豊四季のはな膳でひとり打ち上げを敢行、日本酒を飲みながら、おすしをいただき、至福のひと時をすごし、散歩がてら家まで歩いて帰りました。で、家に帰った後、洗濯などをしつつ、第3のビールを飲みながら、ぼんやりしていたのですが、いつの間にやら、12時前には床の上で寝てしまいました

で、13日は、前日、早寝したこともあり、8時過ぎに起床。たしか、一週間ぶりのダラダランニングを行った後、実家に戻り、実家のワンコとともに東北ドライブへいきました。いつものように常磐道から東北道を北上すること2時間くらいで、たぶん西那須塩原ICに到着。那須高原をあてもなく、ブラブラドライブ。で、夕方になりおなかもすいたので、いかにも観光客向けのイタリアンレストランで夕ご飯を食べました。がしかし、これが大外れ。まあ、観光地だから仕方ないのかもしれないけど、簡単に言うと、家で作ったようなパスタとサラダが出てきた。トマトベースのナスとベーコンのパスタを頼んだのだが、トマトソースにベースとなる味がついていないし、オリーブオイルとソース?スープ?が分離しているし。サラダは作りおきをだしたのか、レタスはしーーーんなりしていました。サイゼリアでも、もっとまともなパスタ出てくるよなー、というかサイゼリアは普通においしいけどな、、、などと思い巡らしながら、ご飯を食べました。で、そのまま、那須ICにから東北道で柏に戻ってきました。宇都宮で那須か日光どっちに行こうか迷ったのだが、こんなことなら日光にいって中禅寺湖のほとりでぼんやりした後、明治の館でご飯を食べればよかった

14日は、昔の同僚とお茶をしたのち、地元のつれと飲み会をしました
12日夜に、ふと、数年前に退職した同僚に連絡したら、偶然、7月に里帰りしてることが発覚。そこで、日曜の夕方から2時間ほどお茶をしてきました。やつは、ダンナの海外転勤についていったのだが、海外駐在員の妻の生活を、詳細にわたり講演してくださいました。頭の回転も速く、勉強も仕事もできる子だったけど、出産とダンナの転勤を優先し、会社を辞める選択をしたものの、やっぱり駐在員の妻・専業主婦生活だけでは物足りない様子。全部で5年程度、現地駐在する必要があるらしく、今度日本に帰ってきたら40歳目前、さらに働いていない期間も10年弱となり、正社員での復帰は難しそうだなーと感じたわけです。こんな感じで、働きたい女性のキャリアは中断してしまうんだなーとしみじみ思ったわけです。
で、お茶した後は、柏に戻りいつもの面子で飲み会をしました。何を話したのか憶えてないのだけど、最後は最近のお決まりコースであるキャバクラで散財した後、家に帰ってきました

15日は、14日の疲れがどっと出て家でずーーと寝ていました

といった感じで、3連休も過ぎ去っていきました




2013-07-08

2013年6月22日野辺山・30日富浦・7月6日御前山

梅雨まっただ中の6月末~7月第一週も、各地にドライブへ行きまし

[1] 6月22日 野辺山~佐久~下仁田

たしか、思い立って八ヶ岳のふもとをドライブしました
お昼前に家を出発、常磐道~首都高~中央道をひたすら走り、たしか須玉ICで高速をおりました。その後、八ヶ岳のふもとの国道をひたすら北上し佐久方面にむかいました。で、たどり着いたのが、小海線にある鉄道最高地の野辺山に到着。駅に最高地点があるもと思っていたけど、現実はさにあらず、こんな感じの碑とおみやげ物屋さんが数軒がありました。


で、その後、峠?を越え、佐久に到着。そのまま高速に乗るものつまらなかったので、国道245号線を今度は東にむかい下仁田へ。途中、すごい峠があって、運転しながら車酔いしてしまいました。で、道の駅下仁田でしばし休憩。たしか富岡ICから上信越道にのり、藤岡PAで再び休憩。PAに売っていたガトーハラダのラスクを購入したのち、家に帰りました。

いつものように家のワンコと一緒に行ったのですが、道中ずっと、こんな感じでグッタリ昼寝していました。

といった感じで、休みが過ぎ去っていったと思われます。


[2] 6月30日 富浦

30日は、今度は南に向かいました。内房は、結構久しぶりのはずです。
たしか、常磐道から首都高をとおり、湾岸道~館山道をとおり、富津の先の金谷港に到着しました。で、しばしフェリーや釣り人を鑑賞した後、ふたたび出発。さらに南に向かいました。で、たぶん、車で走ること30分くらいで、富浦海岸に到着

東京湾もここまでくると、水がかなり澄んでいます
岩場で釣りをする人


海岸の中の波止
散歩がてら、波止に向かいました


波止に埋め込まれていたレリーフ
青学の学生のもののようです。


波止からの風景

波止では、子供たちがつりをしていたのですが、巻き上げた仕掛けに大きなガザミがかかっていて、かにのつかみ方が分からないと大騒ぎしていました。波止でしばらくたそがれたのち、家に帰りました。


[3] 7月6日 御前山・那珂川

梅雨明けした6日は、那珂川の中流御前山までドライブしました。
お昼過ぎに家を出発。守谷SAでスタバのアイスラテを買い、車で走ること1時間半くらいで、道の駅桂に到着。しばし、休憩した後、再び那珂川の上流を目指してクルマを走らせました。で、茨城と栃木の県境付近で再び休憩、川をみながら人生を黄昏ました

これが那珂川の河原。ダムがないからか、護岸されていないからか分からないけど、いまどき珍しく藪じゃなくて砂利が広がっている河原



那珂川の浅瀬で、ワンコをつれて水遊びしました。
体が小さいので、ちょっとした深みでも足が届かなくなってしまう姿がほほえましかったです。
で、ずぶ濡れになってしまいました


しばし、川遊びをした後、帰路につきました
といった感じで、初夏の休日も過ぎ去っていったわけです。