2015-04-05

2015年ポルトガル旅行10 ~2月13日(土) ポルト~リスボン~パリ~日本

ポルトガル最終日、そして、ついに日本に帰る日。

朝6時、前日フロントに頼んでいたモーニングコールが鳴る

'Mr.***,  Good morning. It is 6:00am now. This is wake-up call from hotel front'

といったことを言ったはずだ。
前の晩に残り少ない電池を使って5:45分に設定したスマホ目覚まし、たしかに目覚ましは動いたのだが、マナーモードになっていて、音は鳴っていなかった。モーニングコールがなかったら間違いなく寝過ごしていた。マジ、ヤバかった

身支度を整え、朝7時にホテルをチェックアウト。このホテルの朝食は評判が良いのだが、朝食は朝7時から。残念だが仕方ない。まだ薄暗い街をスーツケースを引きながら、サン・ベント駅へ向かう。朝7時のターミナル駅は、閑散としている。リスボン行の特急は隣のカンパニャン駅から出発する。隣駅までの切符を買おうとマゴマゴしていると、親切な駅員が何か困ったことがあるのかと話しかけてくる。リスボン行の特急チケットを見せて、カンパニャン駅に行きたいというと、このまま電車に乗れるという。親切なおじさんにお礼を言い、7時15分発の電車に乗り込む。すぐに、おとなりカンパニャン駅へ到着。7時45分発の特急がくるまでしばし駅で待つ。

どこかに向かう特急。気動車が客車を引っ張る形式


しばらくすると、リスボン行の特急が到着。結構汚れている。


2等の指定席に乗り込む。定刻通りに出発。ぼんやり車窓を眺める。特急は、在来線の線路を、最高時速200㎞で走っていく。スーツケースはデッキの荷物置き場に置いた。電車に乗っている間中、だれかに持っていかれるのではないかとずーと気になっていたが、ポルトガルの人も、鍵もかけずにそのまま置いていたので、それほど心配いらないのかもしれない。まあ、取られたところで着替えと洗面用具しか入っていないのだが。

3時間後にリスボンのオリエント駅に到着。地下鉄に乗り換え、空港に向かう。ほどなくして、空港に到着。たしか12時ごろ。早々にチケットを無事発券。がしかし、リスボン行飛行機の出発は16時20分なのだ。なんと4時間もある。ご飯を食べたり、無意味に空港内をウロウロしたり、ベンチでほかの旅人と一緒に昼寝をしたりして時間をつぶす。15時半ごろ、スーツケースを預けるべくドロップオフに向かう。空港のカウンターにはオバちゃんにチケットを見せて荷物を預ける。すると、Final destinationを確認してくる。羽田だけどと答えると、パリの乗り換え、オルリーからCDGに移動しなきゃいけないけど、あなた、ちゃんと理解しているの?と聞いてくるので、大丈夫わかってるよと答える。するとと、オバちゃんは安心して、分かった、荷物を預かるわといって手続きをしてくれた。

X線検査などを受け、Boarding gateに向かい、さらにうだうだする。16時ごろようやく飛行機に搭乗。定刻に出発するかと思いきや、機内アナウンスが流れる

「悪いけど、Boarding bridgeが壊れてて、15分ほど遅れるからヨロシク!」

まじかよ、乗り換えギリギリなんだけどー、だけどなんか微妙。と思いつつアナウンスを聞く。そうこうしているうちに、リスボン空港を離陸。さよならリスボン。

機内で軽食を食べたり本を読んだりして暇をつぶす。3時間後、ほぼ定刻19時50分ごろオルリーに到着。荷物もまあ、それなりの時間で受け取る。初めてのオルリー、バス乗り場もちゃんとたどり着けるか心配だったけど、何かに導かれるように、無事、空港間バス乗り場へ到着。CDG行きバスも予定通り20時35分に出発した。

オルリーのCDG行きバス乗り場。



バスは渋滞も事故もなく順調に進む。相当心配して、いろいろ調べまくったけど、何のトラブルもない。あとはCDGで2Eというバス停で降りるだけとなった。バスの中からパリの風景を見ながら、旅の思い出に浸っていると、どこかのバス停にとまる。2Eかと思いつつ、何のアナウンスもないので、思わずそのままスルー。しばらくして、終点に到着する。そのとき21時半ごろ。なんとなく、運転手に話しかける

わし
「ここが2Eなの?」

アラブ系の運転手
「いや2Aだ」

わし
「あれおかしい、2Eってどこだったの?」

アラブ系の運転手
「さっきとまったバス停だよ、クソ、まじかよ。で、どうすんの?」

わし
「まあ、タクシーで移動するよ」

アラブ系の運転手
「いや、ムリムリムリ。まじかよ、クソー。で、何時出発?」

わし
「23時半だけど」

アラブ系の運転手
「・・・・・・・・、仕方ねえな、まあ、その辺、座っとけよ」

わし
「わかった」

アラブ系の運転手
「ちっ、クソー、オレ完璧主義なんだんけど、クソー」

バスは再び走り始めた。運転手は、ずーーと、なにかぶつぶつ言いながらバスを運転している。なんかわかんないけど、めっちゃ怒っている。まあ、知らないけどって感じだけどね。

約10分後、目的の2Eに到着。

アラブ系の運転手
「2Eだよ、ありがとう」

わし
「いやいや、こっちこそ、わるかった。ありがとう」

といって、10ユーロ紙幣を握らせる。まあ、タクシー代と考えれば、安いもんだ。
荷物を受け取る。建物の入り口に向かうべく歩き出すと、アラブ系の運転手が

「オイ、そっち、逆だよ。あっちだから」

といって、入り口を指さす。わるいねー、と言って、空港の建物に入る。

なんとか、CDGからのチケットを発券し日本行Drop offの列に並ぶ。チケットには搭乗時間22時20分と書いてある。列に並んだのが21時45分ごろ、これはヤバいのでは。Drop offは思った以上に並んでいる、なかなか進まない。フランス人の係員は、どんなに並んでいようと、全く焦る様子もなく淡々と業務をこなしている。うーん、まあ、出発を起点にすればだいぶ時間があるけど、搭乗時間ベースではギリギリだ。本当に大丈夫なのか?とイライラしつつ列に並ぶ、とにかく待つしかないのだ。はやくはやくと思いながら、自分の順番が来たのが22時15分ごろ。速攻で荷物を預ける。とち土地勘がないCDG、しかし出国・X線検査・ターミナル移動となにかに導かれるように進む。なんとか、帰国便のJAL共同運航便のAir France搭乗口に到着したのが22:30。搭乗口の到着した瞬間、10分後に搭乗を開始するアナウンスが流れる。羽田行のAir France、搭乗待合室は日本人しかいない、ここはもう日本だと認識する、やったー間に合った、これで追加料金ゼロで日本に帰れると、と心の底から安心する。



トイレに行ったり、水を買ったりして、一息つく。ファーストクラス・ビジネスと金持ちから登場し始めている。しばらくして、エコノミーの搭乗が始まる。気楽な一人旅、しばらく様子見を決め込む。大分、人が少なくなってきたころ、列に並ぶべく、ゲート近くの席に移動する。すると、ふと、なにか視線を感じる。そちらに目を向けると、なぜか目が合った。この子、何か見覚えがある若い女子だな、でも、なぜか一人で椅子に座っている、、、

あれー、だれだろう。知り合いじゃないけど、何だか知らないけど、妙に見覚えがある顔。だれだろう、知り合いなわけないけど、、、、としばらく頭が混乱する。しばらくして、ある言葉が思い浮かぶ

「大島・・・・ようこ?ゆうこ?・・・・、、、、だれだっけ?、芸能人??だっけ???」

目がパッチリした小さい子という印象。なんとなく腑に落ちなかったけど、芸能人などなんの興味もない、そのまま、どうでもよくなってしまった。大島さん?のすぐ近くに座って、搭乗のタイミングを計る。しばらくして、列に並ぶことに。ちょっとして、ゲートへの列に並び搭乗、ジャンバーを網棚?に預け、無事自分の席へ座る。ヤレヤレこれで安心だと思っていると、先ほどの大島さん?らしき女子が斜め前の通路側の席に座ろうとしているではないか。網棚に乗せる荷物を整理する横顔は、明らかにかのAKBの大島さんのように見える。が、周囲は彼女に気づいている様子はない。まあ、無視していたのかもしれない。僕は、ごく単純にかわいい子を見れてラッキー的な感じで彼女の様子を見続けた。そうこうしているうちに、飛行機は離陸。日本へ出発。その間、何もなく、12時間後、羽田へ到着。

なんとなく降車時に大島さんの様子を横目で伺う。日本についたからか知らないけど、マスクとメガネで完全防備の準備を整えていた。まあ、本物だとしたら、当然ですよね。もし、本物だとしたら、空港で声をかけなくてよかった。きっと、最後の最後までプライベートを楽しみたかったに違いないはずだ。フランス?では、友達あるいは、彼氏とプライベートを十分楽しんだにちがいない。

十何年ぶりかの海外旅行。この間、本当にいろいろありすぎたけど、こうやって海外旅行に行けるというのも、その混乱がようやく収束した証拠。新卒で勤めた会社を辞めた代償、言い換えれば、Carrier Developmentの宗旨変更した代償はとてつもなく大きかったけど、それも10年以上かけてようやく返し終えたのだと思う

その意味でも、今回の海外旅行は、一つの極めて大きな区切りであり、すごく単なるお休み以上の感慨深さがあったと強く感じる。来年は、何の重みも意味合いもない、単なるレジャーとしての旅行に行きたいものだと思うわけなのです