2019-07-22

成りあがり芸能事務所とお笑い芸人2

昨日の宮迫たちの機能の謝罪会見を受けて、吉本の社長が記者会見をした。


「宮迫の主張は事実と違う」吉本が経過公表するもグタグタ 岡本社長は号泣し謝罪 処分撤回、復帰呼びかけ

Aera.com

岡本昭彦社長は会見の冒頭で、契約解消した宮迫と謹慎処分中の田村について、「非常につらい思いをさせてしまい、本当に申し訳なく思っています。2人の処分の撤回を行い、彼らがミーティングの席に立っていただけることがあるなら、いつの日か戻ってきてもらえるなら全力でサポートしていく」などと時折、号泣しながら語った。

宮迫たちは、反社会的勢力からの金銭授受と虚偽報告で、契約解除されたはずだ。それが、宮迫たちの記者会見が、想像以上に世間からの同情をかったからと言って、昨日の契約解除を撤回するなんて、茶番もいいところだ。

結局のところ、今回の契約解除撤回は、契約解除そのものが、吉本がそのときの勢いで意思決定をしていたことを暗に認めことと同じだ。これが立ち飲み屋でクダを巻いているオヤジの行動ならば、笑って過ごせる話だろう。しかし、大企業のマネージメントがこんな意思決定をして良いわけがない。

今回、宮迫たちは吉本から契約解除を撤回してもらった。しかし、だからと言って、彼らの行動が軽率であることは何も変わりない。吉本が許したらからといって、ここまで騒動が大きくなった以上、広告主は宮迫たちを許すことはできないだろう。むしろ、このような対応をとる吉本を信頼をできない、ということにもなるはずだ。吉本の一貫性のないリスク管理は、状況を悪化させる一方である。



【宮迫博之と田村亮が謝罪会見】加藤浩次『スッキリ』で「経営陣が変わらぬなら退社」
Nifty News

お笑いコンビ「極楽とんぼ」の加藤浩次(50)が22日、MCを務める日本テレビ系「スッキリ」(月~金曜前8・00)に出演。特殊詐欺グループとの間に闇営業を行った問題で契約解消処分となった雨上がり決死隊の宮迫博之(49)と、謹慎中のロンドンブーツ1号2号の田村亮(47)が20日に行った謝罪会見について言及。取締役ほか経営側の刷新を求め、「(同社の)経営陣が変わらないなら僕は会社を辞める」と訴えた。

極楽の加藤も怒っているが、加藤も偉くなったもんだというのが、正直な感想です。本人の努力もあったのでしょうが、今、ワイドショーなどの司会をできているのは、加藤の力というよりも吉本の営業力でしょう。

加藤は、芸人上がりのわりには、番組進行という制約の中で、バカなフリもできなければ、シニカルな視点も提供できない。司会は意見を言う必要はないというのは事実だと思う。がしかし、与えられた一瞬の進行の隙間に、自分の意見をねじ込める力がないならば、そいつは、キー局で司会を張る資格はないと思う。加藤も勘違い芸人の一人であり、こんな世渡りだけがうまい勘違い芸人を作ってしまったのも、吉本の管理の甘さの一面なのだろう





2019-07-21

成りあがり芸能事務所とお笑い芸人1


犯罪者集団に闇営業をしたということで謹慎していた宮迫と田村亮が、吉本との調整に苦慮した挙句、会社とのやり取りを洗いざらい話してしまった。

宮迫と田村は、謝罪会見の開催を求めていたが、吉本に拒否されたと主張した。宮迫たちは、はやく世間様に謝罪をしたかったと。多くのコメンテーターは宮迫たちの誠実な態度に同情を寄せた。そして、早めの記者会見が、事態の収束を速めたかのようにも言っていた。吉本の対応の悪さが、宮迫たちの復帰を阻んだと。テレビを見ていた時は、なんどなくそんな気がしたが、よく考えると、ちょっと違う気がしてきた。

宮迫&田村亮緊急会見 島田紳助氏にあって、2人にはなかったもの
https://bunshun.jp/articles/-/12938

「宮迫と田村は会見で謝罪会見を開きたいと吉本興業に訴えたが、岡本社長に聞き入れてもらえなかったと何度も会社側を批判しました。しかし、吉本側にしてみれば、2人が当初『詐欺グループからお金を受取っていない』とウソをついていたので、会見で更なるボロが出るのを懸念した部分もあったはず。宮迫や田村には、安直に言い逃れ出来ると高をくくっていた節が垣間見えましたからね。確かに吉本興業が上手いメディア対応をしていたとはいえませんが、2人が会社批判を繰り広げたことには拭いがたい違和感が残りました」

宮迫たちが望む早めの謝罪会見は騒動を治めただろうか?早めの謝罪会見とは、自分たちが、反社会団体から金を受け取っていたことを、公に認めることである。今回の批判の本質は、犯罪者集団からの金銭の授受である。とすれば、謝罪が早いことが、彼らが許される理由にはならない。

一方、吉本は静観を指示した。多くのコメンテーターは吉本の対応のお粗末さを批判した。たしかに吉本の対応はお粗末である。がしかし、よく考えれば、謝っても許してもらえないならば、ホトボリが覚めるまで、だんまりを決め込むのも悪い手ではない。芸能関係者(に限らない)がとる昔ながらの手だ。そもそも、吉本と宮迫たちからいえば、彼らは犯罪者に利用されたのであり、彼ら自身はなんら犯罪を犯していない。モラル以上に負う責任はない。であるならば、世の中の騒動に付き合う理由はない。

ところで、宮迫たちが熱望した早めの謝罪会見のもう一つの含意は、さっさと謝って、しばらく謹慎して、また何もなかったように復帰したいということでもある。がしかし、そうは問屋は下ろさないだろう。というのも、ここ数年、島田紳助・ベッキーのように、モラルに反しただけで、芸能界から引退した、あるいは、仕事が激減したタレントがいた。最近の芸能人は、ちょっとしたスキャンダルで、ポジションを失う。そう考えると、宮迫と田村亮は、このスキャンダルが出た時点で、芸能界でのポジションを、ほぼ失ったともいえる。そう考えると、早めの謝罪会見は、宮迫たちの認識の甘さをあらわにしている。

吉本は、ここ数十年で、大阪の芸能事務所から、巨大なエンターテイメント企業に様変わりした。お笑い芸人の仕事場は、お笑い番組から、ニュース番組のコメンテーターまで広がった。その一方で、芸人たちの行動や吉本のマネージメントは、いかにも前近代的であり、横山やすしがスキャンダルを起こしていた時代と、代わり映えしないように見える。お笑い芸人に求められるモラルは、彼らの仕事場の広がりとともに、変化している。だからこそ、世のモラルにまで、芸人が従う必要性が出てきた。駅前の定食屋が、食中毒を起こさないように衛生管理するように、巨大エンターテイメント企業の吉本も、芸人の行動のリスク管理を行う必要があるということが、今回の騒動の原因に思えてならない。

2019-05-26

Englishman in new york / 存在証明

最近、めっきり音楽を聴かなくなってしまったのだが、ふと聞いたFMからこの曲が流れてきた

Ren 存在証明

ReN 180827 J-WAVE SONAR MUSIC スタジオ生ライブ 存在証明


聞いた瞬間、どこかで聞いたことあるけど、いい曲じゃんと思った。何かに似ているけど、何だったか思い出せず、その時は、曲の名前とともに忘れてしまった。で、しばらくして、この曲が何と似ているか気がついた。

Englishman in New York

Englishman in New Yorkをギターで弾くと、雰囲気がさらに似てくる

Englishman In New York Guitar Tab

山崎まさよしLIVE《先輩Rock You》Englishman In New York【stingのカバー】

そう考えると、歌詞も似ていなくもない。

--  Ren 存在証明

僕が僕という形で生まれてきた意味を
自らの手で探し当ててみたくて

--  Englishman in New York

I’m an alien I’m a legal alien
I’m an Englishman in New York

ネットで調べると、Ren、長渕剛の息子らしい。ネットの記事を見ると、Ed Sheeranのパクリ疑惑も出ていた。

思うに、音楽でパクリを持ち出すのはヤボだと思う。正直、どの曲も何らかの意味で似ている。大事なことは、ふときいたド素人に、その曲の元ネタを推測させないことだ。ユーミンのインタビューに、バブル期に一世を風靡したスキー天国・サーフ天国の時には、Donald FagenやPink Floydをパクった、失礼、彼らの雰囲気をいかに取り入れるかを研究したと言っていた。Ren、声もいいし、曲もかっこよいので、上手く名曲のエッセンスを自分のものにして、よい曲をかいてほしいものだ。

love actually

love actually(2004)
Universal studio


クリスマスに向かって、友達・家族・夫婦などの身近な人間関係の中にある小さな幸せを描いた作品。

知り合いの女性が好きだと言っていたことがきっかけで、数年前、初めてこの映画を見た。映画は、これといった大きな盛り上がりがあるわけでもなく、同時進行で、9個の人間関係が淡々と進んでいく。淡々と物語が進んでいく理由は、loveが題名に入っているにもかかわらず、三角関係やシンデレラストーリーを描いていないからだ。

いや、むしろ、どの登場人物も、なにがしかの欠点を抱えている上に、それぞれの場面設定は、簡単に言えば地味だ。ドラックにおぼれたロック歌手・下町訛りが抜けない首相秘書に恋するイケメン首相・夫に浮気されていることをクリスマス直前に知ってしまう妻、連れ子との関係構築に気をもむ男性・・・・など、全員が完全に幸せだったり、愛情いっぱいな登場人物はいない。むしろ、多くの気苦労や、思い通りにいかないことばかりの日々の生活の中で、登場人物は、周りの人が、常に自分を支えてくれることに改めて気づき、そのことを通じて自分の相手に対する愛を確認する。この映画をみると、どこかほっこりしたり、安心感をえられるのは、こういった小さな愛がたくさんあるからだ。

この映画で描くloveとは、日本語でいえば、恋愛というよりかは、愛情である。舞台設定がクリスマスに向けた日々なのは、単なる恋愛だけでなく、夫婦・家族・友情を描いたためだと思う。思えば、この映画を好きだった女性は、30代半ばで独身だった。彼女自身、こういった愛の形を探していたのかもしれない。

結局のところ、この映画は、ヒュー・グラントの、このセリフにいきつく

love actually is all around




2019-05-19

Spotlight


Spotlight(2015)

Spotlight Poster 

少年に性的暴行を加えていたカソリックの神父を、教会システムがうやむやにしていたことをスクープした新聞ジャーナリストたちの奮闘物語。

話としては単純な勧善懲悪もの。保守的な教会システムが、教会の権威を損なうような神父の性的暴行を、被害者との和解をとおしてうやむやにしていた。そのことを、あらゆる手段を通じてジャーナリズムが悪を暴く。そう聞くと、美しい話だが、私には話半分にしか聞こえない。

神父が性的暴行を加えていたことや、教会が、自分たちの権力を利用し、無力な被害者たちを金銭的な補償でウヤムヤにしていたことは、当然批判されるべきことであり、この映画の通りである。

もう一つ問題は、実は、神父による性的暴行は、スクープされる前にも、何度も記事になっていたことだ。しかし、記者自身が、教会との確執や、カソリック信者からの反発をおそれ、これらの事件を、きちんと調査していなかった。その意味では、新聞社の記者も、教会システムも、同じ穴の狢だ。映画全般を通じて、記者たちは、教会と被害者との和解を取り持った弁護士から、新聞社の不作為について、何度も指摘された。彼らは神父の性的暴行を、新聞が取り上げるようなんども訴えていたが無視されていたのである。が、そのことに対する反省は、ほぼなかったはずだ。もちろん、スクープしたことは評価されるべきだと思う。しかし同時に、ジャーナリズムも世間のしがらみから自由でないことも、この映画のテーマの一つであり、そのことも掘り下げるべきだったはずだ。

そうはいっても、普段の生活で目にすることのない調査報道の大切さを知ることができる一作と、最低限いうことはできる。