2011-07-31

ヤァーヤァーヤァー 我が家に電子ピアノがやってきた

我が家に電子ピアノがやってきました

CASIO Privia-730 
Privia 30th Limited Edition

展示品処分で49,900円でした。Amazonを見たところ、30周年限定モデルは6万円ぐらいだったので、多少汚れていましたが、良い買い物をしました。



1年位前から、ピアノを再開したいなあーーーと思ってました。が、ズルズルズルズルズルズルズルズル伸びていたのです。で、今日、思い立って、柏の葉ららぽーとにある島村楽器に行き、店員さんと話すこと10分くらいで買うことにしました。

展示品を軽くばらしてもらい、車で家に持ち帰り、汗だくで組み立て、さらにマジックリンでみがくことこと1時間、ようやく先ほど完成しました。

ピアノ再開・・・・といっても、10年以上、まともにピアノを弾いていません。まったく弾ける気がしません。まあ、ボチボチ練習しよーと思った日曜の夜なのでした♪

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追記

先ほど、ピアノを弾いてみました。やはり、指はまったく動きません。ツェルニー100番すら、まったく弾けません。だけど、でも、やっぱり、ちょーーー楽しい!

ツェルニーって、子供の頃、退屈な練習曲としか思えませんでした。が、今になって聞いてみると、まあ単純だけど、小さくてかわいらしい練習曲が多いのです。ツェルニーって、なんだか、とてもほほえましいなあ、、、などと、練習しながら思ったのでした。

しかし、久々に弾きまくって、とても疲れたのでしたー

丸亀製麺所にちょーはまる&またまた原発ネタ

丸亀製麺所のさぬきうどんにちょーーーーーはまっています

子供の頃、うどんが大キライでした。
なぜなら、完全にのびきたうどんを食べさせられたから。子供の頃住んでいた千葉県は、うどん不毛の地。だから、ちょーマズイのびたうどんしか食べたことなかったのです。そんなことで、うどんが世の中に存在すること自体、理解不能でした。

しかし、やんごとなき理由により京都の会社に就職。うどん文化圏の関西で、本場のうどんを食べたとき価値観が変わりました。

おつゆが辛くない!
麺にコシがある!

特に、コシがあるうどんのおいしさに大感激。で、コシがあるうどんとは、さぬきうどんのことだと知り、一気にさぬきうどんフリークとなりました。ちなみに、さぬきうどん、というより、コシのあるうどんフリークになってから、はや10年以上。

がしかし、関東では、おいしいうどんを出すお店がない。一番近場でも、加須とか水沢。四国より近いけど、それでも遠い。ということで、お手軽でかつ、そこそこおいしい加ト吉の冷凍讃岐うどんを食べる日々が続きました。

がしかし、最近、近所に丸亀製麺所ができました。でも、所詮チェーン店。ってことで、最初は馬鹿にしてました。が、何かの拍子でお店でうどんを食べたら、予想外のおいしさにびっくり。本場人気店のさぬきうどんは、1、2回しか食べたことしかないのですが、丸亀製麺所のうどんも、十分満足できるレベル。で、そんなことで今日も、丸亀製麺所でうどんを食べ、至福のひと時を過ごしたのでした。

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またまた原発ネタです

最近、脱原発か原発推進かで、有名なんだか、そうでないんだかちょーーー微妙な、有力ブロガー的な人々が、好き勝手な主張を繰り広げています。たとえば

<推進派>
金融日記
世界では原発のシビア・アクシデントの後に脱原発が進んだのか?


<中庸>
Chikirinの日記
2011-07-24 「自然エネルギーか原発か」という議論の不毛


<脱原発>
Life is Beautiful
私が事故後、脱原発派に転向した一番の理由


なんとなく思ったのですが、有名ブロガーとは、所詮匿名の素人なので、無責任で好き勝手なことが主張でき、とても便利な立場だなーなどと思ったのでした。その意味で、テレビに出てくる低俗評論家と一緒なんだという気がします。

個人的には、原発推進しようがやめようがどっちでもいいかな。原発ナシ・代替エネルギー政策もナシの不便な生活でも、それなりに満足した生活を送りそう気がするけど。

実は、原発推進・脱原発でも、現在の電気使用量や生活レベルを落とさない点では共通。でも、電気使用量を維持することは、何らかのリスク(原発事故・環境悪化)を受け入れることを意味すると思う。つまり、全ての事故を想定することなど不可能だと思う。だから、原発推進・脱原発とは、市井の人々が、どのような社会生活を選ぶか?という問題なんだと思。が、有名ブロガーたちは、すべてリスクはテクノロジーで完全に解決できる的な主張を展開しており、なんだかナイーブな感じがするのだ。

あと、シビアアクシデントなのに、事故で死んだ人は皆無。そう考えると、想定外と言いながら、それなりに事故をコントロールしているとも言えるかもね。食べ物による内部被爆の話だって、現実的には、なんだか気色悪いって話だと思うし・・・

とつれづれ思った土曜の夜なのでした

2011-07-25

知らぬ間にデジアナ変換されてました

今日(24日)の正午は、アナログ放送停止のようでした。が、我が家のテレビは依然として、昔のアナログテレビのまま。ボチボチ、テレビ買い換えなきゃいけないなーと思いながら、時は過ぎ去り、ついにアナログ放送停止の日を迎えてしまいました。

で、今日は朝から用事があり、あー、家に帰ったらテレビつかないんだなーと思っていたのです。が、夕方、家に帰ってから、なんとなくテレビをつけてみたら、普段と変わりなくテレビが映っているではないですか!

しかも、いつもよりも、若干映像がきれいな気さえする・・・・

で、なんでかなー?と思っていたのですが、そーいえば、わがマンションはケーブルテレビだったことを思い出したのでした。で、ケーブルテレビ会社のHPを見たところ、あと数年はデジタル放送をアナログ変換して送信してくれるようです。

この間、テレビを買いに行ったら、全般的に品切れで値段も高かったので、しばらくテレビは買いたくないなーと思っていたので、思いかけずラッキーな展開になりました。

ケーブルテレビ会社(コアラ)は、今のマンションに住み始めた頃、テレビの受信?のチェックといいながら、しつこくCSとかスカパーに入れと、エラソーな態度で勧誘してきて、すごい感じ悪く、いまだに、大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいキライなのですが、たまにはマシなことをするんだなーなどと思ったのでした。(が実際は、ケーブルテレビ会社に国がデジアナ変換するよう指導したようです)

というようなことで、日曜日の夜も更けていったのでしたー

2011-07-20

都の西北 早稲田大学へ

今日は、仕事の都合で、早稲田大学のウラにある、とある会社へ打ち合わせに行きました。
で、打ち合わせ後、せっかく来たのだからと、早稲田大学の中をブラブラ散歩しました。

まず、これが、かの有名な大隈講堂





さらに、これが、かの有名な、大隈重信・・・・学長





で、そののち、学食でカツカレーを食べました
カツカレーは、普通の学食のカツカレーに寸分違いない味がしておりました。

個人的には、あまりにも偏差値が高すぎて縁もゆかりもない学校だったので、初めての訪問となり、まあ、なかなか良い思い出となったのでした。

原発用の冷却用ポンプは、電気以外の動力源でまわせないのか?

このたびの震災で、福島第一原発の冷却装置のダウンし、炉が制御不能になったのは周知のとおりです。制御不能とは、炉の冷却装置を動かせないので、沸騰した水が全部蒸発してしまいました・・・ということですよね。

で、ふと思ったのですが、この沸騰した水をつかって、冷却装置を動かすことってできないんですかね。原発の冷却装置とは、電気を使ってポンプを回しますって方法でしょ。で、電気の代わり、沸騰した水のエネルギーをポンプの回転力に変換できないのでしょうか?

まあ、当たり前だけど、今の原子炉ではそんなことできないのは分かってます。

そもそも、冷温停止なる状態になるまで、相当時間がかかるし、さらにその間、相当なエネルギーを出力し続けるわけですよね。だったら、余熱?で、ポンプを回すような仕掛けを入れてやれば、かりに冷却ポンプを電気で回せなくても、冷却できるんじゃないかなあ。

まあ、できればやってるよってことでしょうか。
あと、もはや原発がこんな状況になってしまったいま、どんな対策を講じようが、だれからも信頼を得ることは難しそうなのだが。

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あと、最近、放射能被害を訴える人々の要求が、みょーに高まってきたのがすごく気になる。まあ、高い要求は、人情だって気もする。その人たちにとっては、青天の霹靂のような被害だから。がしかし、だからといって、たとえば放射能から受けるあらゆる健康リスクは、どんなレベルだろうが許容できないっていう主張は賛成できない・・・な。

そもそも、被災地域の人々でさえ、電気を無尽蔵に使える豊かな生活を享受していたはず。都会の電気使用量が多いってのは事実だと思う。だけど、一人当たりの電気使用量って、都会の人々は、田舎の人たちより圧倒的に多いのだろうか?

もちろん、補償は必要だと思う。ただし、必要なレベルに対して、、、だ。何の健康被害も見込めないのに、ただただ放射能は危険、気味が悪い、俺たちは被害者だ!要求して何が悪い・・・・といった言い方には賛成できないよな、、、などと思うのでありました。

2011-07-17

7月16日 夏の日光へ

今週は、ゴールデンウイーク以来の連休。そこで、昨日は、夏の日光へ避暑に行きました

いつものように常磐道から外環を通り、東北道を北上する事3時間で日光の中禅寺湖へ付きました。で、最初に行ったのが湖畔のカフェBOSCO。


お店でパスタを食べ、その後コーヒーを飲みました
で、続いてむかったのがイタリア大使館別荘記念公園。
もともと、その名の通り大使館の別荘だったようです。が、老朽化にともない、栃木県が譲り受けて公園になったようです。


で、これが別荘
杉の皮でできた涼しげな家で、湖畔に面しています。だから、家の中から中禅寺湖と山々の絶景を眺める事ができるのです。


部屋から見えた中禅寺湖と日光の山並み
絶景だあー


吹いている風もヒンヤリしていて、ちょーーー癒されました。
小一時間ふらついたあと、いつものように湯の湖のあたりをうろつき、続いて光徳牧場でアイスを食べ、さらに、イオウの日帰り温泉につかって、さらに癒されました。
しかし、いおうの温泉を夏に入るのは、かなり暑かったです。夏用にぬる湯の温泉を探さねばなりません。

で、そのまま山から下りるのも物足りなかったので、湖畔の駐車場で、しばらくぼーーーとしてたそがれました。これが、湖畔の駐車場から見えた男体山


桟橋から釣している人々がいました。が、つれている様子はありませんでした。
で、そんなこんなで、夕方になったので、いろは坂をおり、日光の町のはずれにある、山のレストランでハンバーグを食べました。


いつものように、量も多く、とても美味しかったので大満足なのでした
で、その後は、高速道路をひたすら走り柏まで帰ってきました。

日光は、本当にいいところで、今回も大満足でした
次回訪問は、初秋か晩秋になる予定です。早くも次回訪問が楽しみなのでしたー

2011-07-09

世間は感情で動いている!

このブログを、毎日見ています。なんか、おもしろいので。
で、今日のネタはコレ。思うことがあったので、金曜の夜だし、もうお風呂もはいったので、いろいろ書いてみます。

Limnology 水から環境を考える
科学の花

(以下、引用)

今でも土浦市の小学生がアサザ植栽事業にかり出されているようです。その子達が自然科学を通じて水環境を考えるようになれば、子供の頃のアサザ植栽事業がどういうことだったのか、なぞがとけると思います

#アサザを植えることで霞ヶ浦にトキが来るようになるのか。トキ復活の専門家である山岸先生は、「非常にシンボリックにわかりやすいのでお使いになっているだけで、本心は来るとは思っていないのではないかと僕は思うんですけどね」と言われています(河川環境管理財団講演集vol.14,p25)。

たしか、かの東京大学で陸水学?を研究している先生のブログです。ブログ内容から推測するに、この先生は、湖沼沿岸における生態学、つまり、水際とか水中の水草の生態が、湖沼の水質・底質・生態系に与える影響を研究しているようです。で、専門家の立場から、このブログで、霞ヶ浦のアサザ(という水草を増やす)プロジェクト(を行っているNPOを)を痛烈に批判し(続け)ています。

で、今日のネタは、そのアサザプロジェクトの冊子が、「アサザを植えるとトキがやってくる」といった感じのことを宣伝しているらしく、トキの専門家の意見を引用して、アサザプロジェクトを大批判しているのです。

というのが前置き。で、以下思ったこと。

先生は、トキをモチーフにしたアサザプロジェクトを批判しています。なぜならば、非(自然)科学的だから。でも、自然保護・自然の大切さを子供に教えるときに、科学的な根拠を教えることを優先すべきなんでしょうかね?というか、そんなこと、個人的には、あとからでもかまわない気がする。むしろ、子供には、大嘘にならない程度の自然保護を重視したときの夢を抱かせたほうが良いのではないんでしょうか。

というのも、子供に、正しさを重視した説明をしても、よく理解できないから。つまり、合理的な説明が理解できないから、自然保護を重視することに共感してもらえない・・・というパターンに陥る気がする。

そもそも、誰かに、ある種の社会活動を理解してもらうためには、正しさというよりも、親近感とか共感の方が重要だと思う。もちろん、親近感とか共感は、問題の正しい理解とは無関係です。だけど、自然科学は難しいので 、親近感とか共感がない限り、正しく理解したいという気持ちすら生まれないのではないですかね。その意味で、他人様の寄付でしか運営できないNPOアサザプロジェクトは、かなりの誇張を承知の上で、トキがやってくる絵?を書いてる気がします。

そもそも、アサザプロジェクトの支持者って、子供たちってより、学校の先生とか親のはず。先生が子供の課外活動として、アサザを植えるプロジェクトを選ぶんでしょ。だから、先生たちにとって重要なことは、子供がアサザプロジェクトを通して、それっぽい夢を描かけるようになることなんでしょうね。だから、誇張してでも、多少大げさな夢を与える雰囲気が必要なんでしょうね。そして、この辺の違いを、学会で正しさを認められれば予算が下りる大学の先生には、自然科学など何の興味もない世間様の寄付で運営しているNPOのやり方など理解できないのでしょうね。

まあ、目指しているもの、たとえばコレで言えば霞ヶ浦の自然保護、、、ってのは同じなんだから、うまく協力してやればいいのにねーーーなんて思ったのでした。

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2012/3/14 追記

べつに、誰に聞かれてるわけでもないですが、わたくし、アサザプロジェクトが繰り広げる主張を支持してませんし、大学の先生は、自然科学的に圧倒的に正しいと思います。でも、アサザプロジェクトに何が示唆の妥当性(正しさじゃない!)があるとするならば、大学の先生はアサザプロジェクトの欺瞞を糾弾するけど、個人的には、ウソのつき方にも何がしかの芸があって、それは大学の先生にとっても注目に値することではないのか?などと漠然と思うわけなのですよ。ちなみに、このブログ、アサザプロジェクト批判というキーワードですごく上位に上がってくるんですよね。なぜか。以上、おわり。

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2012/3/18 さらに追記

なにやってんだろ?という感じですが、先生とアサザプロジェクトの関係を端的に表現するブログを発見したので、引用します。

Theoretical Sociology
『ベストセラー小説の書き方』を通して小説と社会学論文の違いを考える http://sociology.jugem.jp/?day=20120308

ただし、できるだけ多くの人に理解できるおもしろいものを書こうとする態度は、ベストセラー小説だけでなく、社会学の論文においても(正しさやオリジナリティ、厳格な論証といった基本を外しさえしなければ)重要なものなのである。この文脈での Koontz と私の共通の敵は、「自分が納得できればそれでいい」といった読者を無視した自己欺瞞的な作家/学者たちである。彼らは本当は高い評価を得たがっているのだが、そのために努力することを怠っており、なおかつそのような屈折した欲望を隠ぺいしようとしている、としか私には(そして Koontz にも)思えないのである。


個人的には、まさにこのとおりと思うのです。つまり、先生たちが固執する「厳格な論証」によって、読者や世間様を無視する結果、ペテン師アサザプロジェクトが繁栄するわけです。といっても、こちらの東大の大先生さまが、アサザプロジェクトの養分につながっているかは、私には分かりません。が、まあ、世間は、学者先生を、そんな風に見ているってのは、まあ、それなりに事実って気がしますよね。