2015-03-31

転職3年目

転職して3年目に突入した

この間、正直なところ、いろいろあったけど、最近はだいぶ落ち着いた

いろんなことの詳細について書くつもりないけど、やっぱり、調子が悪い会社というのは、なるべくしてなっているというのが正直なところだ。前もそうだったけど、今回も、数多くのリストラ・早期希望退職を繰り返すうちに、能力の高い頑張る人は早々に辞めていき、頑張らない上に、能力もない人たちが会社に残っている。さらに悪いことに、能力もやる気もないにもかかわらず、会社に長く残っているというだけで、年功序列に基づき昇進するために、ありていに言ってしまうと、キチガイに刃物とでもいうべき状況が起き、混乱が混乱を生む悪循環に陥ってしまうわけだ。

まあ、そんなことはどうでもいい

転職したメリットはボチボチあるけど、分析という点では、自分が好きなように分析できるようになったことがすごく大きい。

前の会社は、その会社が独自に編み出したという、言ってみれば摩訶不思議な分析方法、というか集計方法が沢山あった。で、なにかお客さんの分析するときは、世の中で出回っているマーケティングサイエンス的な手法をとることはなんとなくはばかられ、そのかわりに、会社独自の摩訶不思議分析を組み合わせることを強いられた。この摩訶不思議分析、まあ、いいといえばいいんだけど、やっぱりなんとなく中途半端感があるのだ。そんな会社の中で、多変量やデータマイニングを口にすることははばかられ、この摩訶不思議分析を使いこなすことが優秀な社員というか、上司が評価する社員となっていた。正確に書くと、その会社の上司も、まあボンクラなので、数学的に小難しいものは分からないのである。もっと言ってしまうと、別にわからないのは数学だけに限らず、マーケティングも経営戦略も、分析も、なーーーーんにもしたことのない人たちが、部長になってのさばっていた。だから、まともに分析できる人なんて評価されない。仮に、分析で失敗した時、多変量を使うと激しい批判にさらされる可能性はかなり高い。がしかし、その会社独自の摩訶不思議分析をつかうと、まあ、仕方ないよねということになるわけで、その会社にいるときは、本当に息苦しかった。

がしかし、今は晴れて自由の身になったのだ。何をどう分析しようが、はっきり言って何の関係もない。僕ができることなど、会社の誰も理解できないけど、だからと言って、前の会社のように陰湿、イジイジとして存在を無視するということもない。前の会社のように、中途半端な分析結果なのにもかかわらず、堂々と金をもらおうとするうしろめたさも皆無。そういう意味では、ほんとうに心が晴れ晴れとしている。

思えば、前の会社は、手足をきつく縛られていたとつくづく思う。いまは、本当に好きなように分析できて、あの監獄から抜け出せて本当に幸せな毎日なのです。

2015-03-29

2015年ポルトガル旅行9 ~2月12日(金) ポルト2

ポルトガル旅行に行って、はや2か月がたとうとしているにもかかわらず、旅行記がいまだまとまらない。すでに、だいぶ忘れつつあるが、記憶にある限り記録に残したいのだ

サン・フランシスコ教会の荘厳な雰囲気を堪能した後は、再びカイス・ダ・リベイラにもどる。河岸の雰囲気を堪能しつつ、ポートワインのワイナリーが林立するする対岸に歩いて渡る。対岸のノヴァ・デ・ガイアから対岸の歴史地区を見る。本当に、綺麗な風景で感動。




天気が良かったら、と何度思ったことか。思い直して、見学ができそうなワイナリーを探す。



何の手がかりもないので、とりあえず、端まで歩いてみる。川沿い最後のワイナリーが、Ferreiraだ。おもむろに建物に入る。すると、受付にお姉ちゃんが座っている。見学したい旨を伝えると、今日、残りのツアーはスペイン語とフランス語だけよと言わる、さすがに、それではあきらめるしかない。見学はいいよと言って、ワイナリーを出る。仕方ないので来た道を戻る。いくつかのワイナリーに入るが、すでに営業が終わっていたり、展示物は見学できるけど、工場そのものの見学ができないワイナリーが続く。それもそうだ、すでに午後4時。シーズンオフの観光地の店じまいは早い。最後に入ったのが、一番手前にあったCalem。





半ばあきらめの境地で工場に入り、再び受付のお姉ちゃんに尋ねる

わし 「ポートワインだけでも買えればと思ってるんだけど」

お姉ちゃん 「ワインだけ買えればいいの?それだったら、売店があるよ。5時から見学ツアーもやってるけど」


わし 「見学ツアー、行けるんだったら行きたいな」

お姉ちゃん「5時から英語のツアーがあるから、それに参加できるよ。ただし、費用は5ユーロかかるけど、2杯のポートワインを試飲できるよ。ちなみに、どこから来たの?」

わし 「そうなんだ、じゃあ、それに申し込むよ。日本から来たんだ」

おねえちゃん 「オッケー。じゃあ、15分ぐらいその辺で待っててね」

といったやり取りがあり、無事、ワイナリーツアーに参加することに成功。待合室?で、ツアーの他の参加者のようすを見る。ボチボチ参加者がやってきて受付をしている。


20人くらい集まったころ、ツアーが始まる。ワイナリーのお姉ちゃんが、ポートワインの成り立ちを説明する。ドロウ川の上流はブドウ産地として適していること、かつて、ブドウの収穫は大変な重労働だったけど、最近は、機械化が進んでいること、ポートワインは、船で樽に詰めたワインを船で運ぶ時に、ワインと樽との間にできた空間によって、発酵度合いが異なることに偶然発見し、Tawnyなどのいろんな種類のワインが製造するようになった、、、といったことをたぶん、説明してくれました。が、いかんせん、早口で細かかったので、あまりしっかりとは理解できませんでした。




まあ、一通り説明を聞いた後、試飲コーナーへ。正直なところ、いろんなワインが飲み放題なのかなーと思ったけど、個人で参加したツアー、そんなわけあるわけない。2種類のワインを試飲することに。たぶん、どちらも、それなりに甘くおいしかったと思われます





ワインを飲んだ後、適当に写真を撮っていたところ

「写真、とってあげましょうか?」

と、ドイツ人(とかってにおもっているのだが)の女の子に、日本語で話しかけられる。いきなり日本語で話しかけられたので、相当、びっくりしたので思わず断ってしまった。しかし、今思えば、写真を撮ってもらい、異国の地で異国の女子との交流を満喫すればよかったと、心から後悔するのであった。今思うと、リスボンとポルトで、2匹の大物とのやり取りに敗れ去ったということだと思う。旅慣れてないって、損ですよね。

お土産用に、5000円ぐらいの30年物のビンテージポートワインを購入する。別便で送ってもらおうと思ったのだが、受付のお姉ちゃんに調べてもらうと、ワイン3本で8000円の運賃がかかるという。これはありえん選択だと考え、1本だけ購入することに決定。

ワイナリーツアーを終えた後、再び、対岸のカイス・ダ・リベイラを散歩しつつ、ホテルに戻る


ノラ・デ・ガイアから再び眺めた歴史地区


カイス・デ・リベイラでくつろぐ若者たち。
本当に、何でもない風景にいちいち感動してしまう自分の安っぽさ万歳なんです。まあ、そりゃそうだ、近所の健康ランドの温泉に行くだけで、すごく楽しいんだから、日本から何千キロも離れた異国の地にいるだけで楽しいのは当然に決まっている。

ブラブラ散歩しつつ、ホテルに戻る。一休みした後、携帯の電池がないこと=目覚ましがないことに気づく。さてどうしようと思いつつ、なんとなく、ホテルの案内を見ていると、モーニングコールサービスがあることを見つける。こんな手があったんだ!ときづき、フロントに次の日の朝6時に、モーニングコールというか、英語ではWake up callを頼み事なきを得る。もろもろ、次の日の準備が終わった後は晩御ご飯へレッツゴー。

さて、どうしようと思ってうろうろしていると、グレリゴス教会がライトアップしている。あまりの荘厳さに感動し、再び写真撮影。すると、近くにいたポルトガル人がスマホを渡してくるので、写真を撮ってあげる。そう、この感動に国境はないのだ。


といったこと思いつつ、ふたたび、優ご飯を食べにカイス・ダ・リベイラを目指す。が、思いのほか、遠くて途中で断念。駅方面に戻り、リベルターデ広場前のレストランに呼び込みのお兄ちゃんが話しかけてくる。パスタもピザもがあるよとか結構適当なことを言ってきて、なんとなく信用しきれなかったけど、まあいいやと入ることに。席に通されると、メニューを渡される。すると、この時期のお店のおすすめメニューなるものが書いてあり、ウエイターのお兄ちゃんが、今の時期はLampreyのリゾットが一押しだと言ってくる。Lampreyってなんだ?とおもったけど、よくわかんないけど、一押しだっていうならと、白ワインとともに注文。白ワインを飲みつつ待つこと20分くらいでLampreyのリゾット到着。それがこのもの。



何とも言えないような色をしている。大した期待もせず、リゾットをいただくと、想像以上のうまみが口の中を支配する。えっ?と思い、もう一口、リゾットを食べる。疑問は確信に変わる。

「これは、確実においしい!」

夢中で、お皿にリゾットをよそい口に運ぶ。やっぱりうまい。しばし、白ワインを飲みつつ、無我夢中でリゾットを食べる。ふと、lampreyってなんだという疑問が頭に浮かぶ。鍋に入った魚類らしきものをじっくり眺めるが、なんだかよくわからない。カバンの中に電子辞書が入っていることを思い出し、Lampreyを調べる。

「ヤツメウナギ!!」

たしかに、鍋の中の魚はドジョウのようだ。しかし、ウナギとは異なる食感。無我夢中で食べ、あっという間に完食。ポルトガル最終日にして、この旅、最高の食材に出会う幸せに感動。お米を最後の一粒まできれいにいただき、ウエイターにお勘定を頼む。ウエイターは、食べ終わった空っぽ鍋を見て満足げな笑みを浮かべた後、たしか20ユーロ強?を請求。気持ちよくお金をはらいお店を出る。すると、客引きをしていた男の子が「うちのお店どうだった?」と聞いてきたので「すごくおいしかったよ」と答えて、お店を後にする。

ポルト、それほど期待していなかっただけに、すごく楽しい最高の一日だった

2015-03-16

大きい声で言えないこと

(1) 子供
いい年なので、友達の子供とご面会することがある。実際に会うこともあれば、Facebookで拝見することもある。正直な話、友達の子供は、他人様のお子様なのである。僕とは、遺伝的ながりはもちろん、情緒的なつながりもない。すなわち・・・・、他人の子供はかわいくない。あーいってしまった。

全ての子供が、かわいくないわけではない。かわいい子もいる。何が違うかといえば、顔が整っているかいないかだ。僕は他人なので、本当に客観的にしか見れないのだが、よく言えば愛嬌がある顔の子供を見ても、愛嬌がある(ブサイク)とは思っても、かわいいなーとは思えないことが多い

逆に、かわいい子供=顔が整っている子供は、友達の子供でもかわいいものだ。それは、友達の子供でなくても、かわいいかもしれない。ありていに言ってしまうと、こんなことをいうと何様だと思われるので怖いんだけど、子供の顔は親の顔の生き写しなのだ。だから、、、、、親の顔の造作がアレだと子供もアレ・・・・・、うーーーん、すべては言うまい。

なんとなく困ってしまうのは、子供の写真を得意げに見せられる時だ。自分の目の前には、親の顔があり、スマホには、その親の顔の遺伝子をもった子供の顔があるわけだ。普段、その親の顔が整っていようがいまいが、全く気にならないけど、スマホの写真を得意げに見せられると、親と子供の顔のつくりが気になってしょうがなくなる。親バカだからさーとか何とか言って写真を見せるのは、全然構わないんだけど、「かわいいだろー」といってくると、本当に、親の顔の造作がすごく気になりだして、すごく返答に窮してしまう。まあ、といっても、かわいいお子さんですね~くらいのウソを付ける程度の社会性は、一応、持ち合わせいている。じゃないと、すでに誰かに殺されている気がする。

自分の見た目・容姿にはまったく自信がないどころか、写真を撮られるのも、撮った写真を見るのも苦痛なので、いつか子供ができたとき、子供の写真を他人に見せるようなことだけは決してするまいと心に誓う日々なのである

(2)経営者
この間、えらい人と打ち合わせをしていた時のこと

「業績が悪い。それもこれも、お前ら(ヒラ)が、業績が良くなるよう、本気で仕事をしてないからだ。そもそも、業績が悪くて心配しているのも、俺だけだ。だから、明日からお前らも経営者の気持ちで仕事をしなきゃいけない」

といったテイのことを言った。その時に、経営者のような気持ちで働いてほしかったら、払う金も経営者並にしろよと、心の中だけでおおきく叫んだ。ホント、思い違いもはなはだしいぜ。経営者は、基本、誰にも文句言われないからと言って、お前らの指図が悪くないことの証明ではなんだからな。



2015-03-15

2015年ポルトガル旅行8  ~2月12日(木) ポルト1

12日はギマラインスからポルトに移動する日。

8時ごろ、ややゆっくりと起床。身支度を整えて、朝食をたべにレストランへ行く。パン、チーズ、そしてスイーツの類まで、いろいろ用意してある。食いしんぼうな自分は、すべての料理一通り食べないと気が済まない悪い癖がある。で、この日も、ほぼ全部の料理を食べてしまう。またしても、おなか一杯に。日本人ツアーのオバちゃんたちは、すでに出発したようだ。

ご飯を食べた後、用意をして11時ごろホテルをチェックアウト。フロントでタクシーを呼んでもらう。で、そのまま駅へ移動。券売機でチケットを購入し、11時45分発の電車にのりこむ。で小一時間でポルト、サンベントス駅に到着。で、そのままホテルにチェックイン。

Grande Hotel de Paris



駅そばにある、1877年に創業したとう小さいホテル。別に豪華でも広くもないんだけど、小さいけど、小じゃれた女子好みのホテルだと思う。エレベーターが、昔ながらの自分で扉を閉めるタイプだったことが印象的だった。

荷物を置き、スマホを充電しようとして気がついた。ケーブルがない!色々さがしても、どうしてもない。どうやら、ギマラインスのホテルに置き忘れたようだ。仕方ないので、何かの時のために、そのままスマホの電源を切った。

気持ちを取り直し、ポルト観光へ出発。まずは、駅で、次の日の特急のチケットを購入。で、まずは、目の前に見えていたグレリゴス教会へ。


礼拝堂を通り、教会の展望台に上る。
登り切った展望台から望む、整ったポルトの街並みに大感動!




展望台は狭かったけど、ほかの観光客もすくなく、景観を堪能した。本当に、なんども写真を撮ってしまった。ポルト、それほど期待していたわけでなかったけど、それだけに、感動も大きかった。

再び、駅方面に戻る。途中の街並みを見るだけでうれしい



そのまま、カテドラルSeへ。これまた、荘厳な建築物だ




街角にいたネコ。かわいい

カテドラルSeから眺める街並み



言葉いらないのだ。カテドラルSeからポルトの歴史地区を歩き、ドロウ川の河岸、カイス・ダ・リベイラに到着。

歴史地区の街並み。


カイス・ダ・リベイラと、ドン・ルイス一世橋






カイス・ダ・リベイラをざっと見た後は、サン・フランシスコ教会へ移動。

ポルトの街並みを走るトラム

サン・フランシスコ教会



教会を見た後は、再びカイス・ダ・リベイラへ移動。
橋を渡り、対岸のノヴァ・デ・ガイアへ。そう、ポルトワインの見学に行くのだ

2015-03-10

大学教育と職業訓練

ふと、大学(院)教育と職業訓練について考えることがあった。というか、昨日、ゼミの同窓会に行ったとき、新聞記者になった同級生がいて、その人が、いま、大学の社会的意義を調べているとかで、そんな話になった。

自分自身、大学での勉強は、いまの仕事内容と無縁と言い切れる。じゃあ、何の役にも立っていないかと言われれば、まあ、何かの役に立っている気はする。今、マーケティングの仕事をしているけど、マーケティングが社会科学である以上、社会学部で習ったことが無縁と言い切れないからだ。実際、大学で聞いたような考え方は、ちょいちょいでてくる。でも、だからと言って、直接、その知識を駆使して、仕事をすることは、まずない。

個人的な話をすると、大学を卒業してしばらくしてから、大学院に行った。大学院では、統計学やプログラミングなど、まあデータ分析のお作法を勉強した。大学院進学の目的は、職業訓練そのものであり、勉強内容が、今の仕事に直接関係していることは間違いない。だけど、役に立っているかと言われれば、なぜか、これまた断言しきれない。

なぜかといえば、学校で習ったことは、いわばお作法というか、手ほどきであり、Working knowledgeにはほど遠いからだ。もちろん、学校で勉強した基礎理論をしらなければ、その先もないんだけど、今となっては、学校を出た後のほうが、とんでもなく長いわけだ。だから、なんといっていいかわからないけど、学校で習ったことが役立って、もう、その後の人生ウハウハですわ、とはならないのだ。まあ、当たり前だけど。

なんとなく思うのは、大学教育が職業訓練に結び付けば、大学の社会的価値は高まるのは間違いない。だけど、学生の側からいえば、大学を出た後の人生のほうが圧倒的に長いのも事実なのですよ。個人的には、どんな仕事が向いていそうかなんて、働いてみないとわかりっこないと思うので、そりゃなんでもすんなりいけばいいんだけど、人間万事塞翁が馬と考えて、20代のうちは、勤める会社すべてインターン的なノリで過ごしても悪くないんじゃないかと、無責任に考えたりもする。

と同時に、学校(大学院)で習ったこと、例えば、自分でいえば統計学やデータ構造とアルゴリズム系の基礎理論ですら、関連する職に就いてるにもかかわらず、もうすっかり忘れ去ってしまっており、知識の錆びつき具合もハンバなく、どんどんバカになって行っているいることは確実なので、定期的に頭の中身をアップデートし、凝り固まった頭をほぐさなきゃいけないんだけどなあ~、とよく考える今日この頃なのである。

2015-03-08

2015年ポルトガル旅行7  ~2月11日(水) ナザレ~ギマラインス2

ギマラインス行きの鉄道は、ゆっくりと北上していく。
社内は平日の昼間だけあって閑散としている。日本人どころか、アジア系は一人もいない。観光客は、めったに乗らないであろう鉄道で移動することを心から楽しんだ。電車に乗っているだけでも幸せなのです。


小一時間後、目的地ギマラインスへ到着する。駅前に止まっているタクシーに乗り込み、ポザータへ向かう。10分ほどで目的地に到着した。このとき、たぶん、16時前。ナザレを出て、8時間たっていた。



このポザータは、12世紀にたてられた修道院 'the Monastery dos Agostinhos'を改築したホテルなのだそうです。丘の中腹にあるこの落ち着いたホテルからは、ポルトガル初代国王アルフォンソ・エンリケスが生まれたといわれているギマラインスの街を見渡すことができるのです。

と・も・か・く!期待以上の景観!テンション、ハイパーマックスへー、と興奮してもひとり。



ひとまず、カウンターでチェックインをする。さすが、たぶん高級な類のホテル。いままでのホテルの従業員と異なる丁寧な対応。カウンターからは、ボーイさんが荷物を運んでくれた。チップを払ったはずだが、あまりはっきり覚えていない。

大広間


これはおそらく応接であろう


ピアノもおいてある


応接にある暖炉
暖炉の前のソファーでくつろぐ。気持ちだけは、王様になったようだ。といっても、ここは元修道院なのだが。バチバチと燃える木の音にいやされる



これが、案内された部屋。
落ち着いた雰囲気でブルーのベッドカバーがシャレている。ちなみに、初の床暖房だった。あったかい。


廊下。無造作にとっているので写真が曲がっている


噴水


といった感じで、写真を撮りまくったわけです。部屋に戻って、一休み。その後、19時30分ごろにホテルのレストランに移動し、待望のディナーをいただく。で、ここでも現れた、日本のツアー客。ここぞというところで現れる。どうやら、ポルトガルの人は、夜8~9時ごろにご飯を食べるようで、悲しき日本人同士、時間と場所がかち合うようなのでした。

まあ、離れてれば何でもいいやと思い直し、適当に席に座る。メニューを見て、前日は、サンミゲルで焼き魚を食べたことを思い出し、今回はは鶏肉をいただくことにした。しばらくして、ポテトのペーストの上にシンプルに塩で焼いたチキンの料理がサーブされた。そして、白ワイン。実は、ウエイターのおじさんに、メニューに書いてあるSparkling wineを頼んだのだが、なぜかおじさんは、それはSparkling wineじゃないとかたくなに主張する。そして、白ワインを飲めと。いや、これメニューにSparklingってかいてあるじゃんといったら、おじさんは、「それ、シャンパンだから」と。なぜか、そこでなっとくしていまい、白ワインを頼んだのだが、べつにシャンパンでよかったのだ。おじさんは、いったい、何が言いたかったのだろうか?


ま、そんことで、グラスワインを2杯ほどのみ、メインを食べ、おかれていた前菜とパンをパクパク食べたら、なんと5000円近くになってしまった。まあ、ホテルのレストランだから仕方ない。でも、味は確か。ポテトのペーストもチキンもすごくシンプルな塩味だけど、それが絶妙ですごくおいしかった。白ワインも、オバちゃんが、居酒屋のようにドバドバついでくれて、風情も何もあったもんじゃなかったけど、まあそれはそれでよかった感じがして、大満足。というか、食べ過ぎた。

その後、先ほどの応接に行き、暖炉の前でひとりたそがれる。本当は、暖炉の前のバーで、ポルトワインや、飲みそこなっていたVinho Verde(緑のワイン)を飲みたかったのだが、お腹いっぱいであきらめることに。

そんな感じで、心もおなかも満たされ部屋に戻り、シャワーを浴びて、幸福感満載で4日目も終了となったのでした。

2015-03-05

ポルトガル鉄道 券売機の使い方Tips

別に、だれに頼まれてるわけでもないんだけど、ポルトガル鉄道券売機の使い方Tips
下の写真が、ポルトガル鉄道の券売機。そのままだと、完全にポルトガル語であり、何のこっちゃわからない。が、しかしである。

券売機の左下のほうに、イギリス国旗のシールが貼ってある。実は、このシールの下のボタンを押せば、券売機は、英語表記になるのである。そう、ポルトのサン・ベントス駅の券売機、このシールが、きれいさっぱり剥がれてていたのだった!

ポルトガル国鉄は、ICカード乗車券なので、初めての人は、たしか右側の"Comprar bihlete"のボタンを押すと、ICカードとともに、切符が買えるはず。すでにICカードを持っている人は、左側の"Recarregar CP Urbanos Porto"を押せばよい。たしか、片道と往復をえらべるので、お好みのほうをどうぞ

ただし、この券売機は近郊区間(ただし、どこまでが近郊なのかはわかりません)だけしか、切符を買えません。たしか、画面に行きたい駅が表示された気がするので、そこまでかと。ちなみに、最終日に、サンベントス駅からカンパニャン駅を経由し、特急でリスボンにもどったのだが、その時は、駅の窓口で乗車券と特急券を購入しました

一体だれのために書いてるかわからないのだが・・・・

です!

2015年ポルトガル旅行6  ~2月11日(火) ナザレ~ギマラインス1

4日目は、ナザレからポルトを経由し、ギマラインスへ。

実は、この4日目、このポルトガル旅行の2つ目の目的地ポザータがあるギマラインスへ移動する。ポザータとは、荒れ果てて管理が滞った古城や修道院を改装したホテルなのだ。そして、地球の歩き方の一番最初にデカデカと写真が載っていたのが、このギマラインスのポザータ・サンタマリアーニャであり、4日目は、このホテルに宿泊するのが一大イベントなのである。

朝、たしか6時過ぎに起床し、身支度を整える。ギマラインスへは、まず高速バスでポルトまでいき、そこから鉄道にのらなければならない。色々乗り継ぎや到着時刻を考えると、朝の8時発のバスに乗る必要がある。そこで、そのちょっと前にバスターミナルに行くために、7時半にホテルをチェックアウトし出発。

ちなみに、泊まったHotel Mar Bravoをチェックアウトするとき、料金をクレジットカードで支払ったのだが、ホテルのとぼけたオヤジは、なぜか0.54ユーロを入力し、サインを求めてきた。明らかに間違ってる気がしたが、口に出すのもバカらしいので、白々しくサイン。怪しげだが、まあいいやと思って、日本に帰ってきて、クレジットカードのWeb明細を見たところ、すでにBooking.comで予約したときに入力したクレジットカード番号で料金を引き落とされているではないか。Booking.comは、クレジットカード番号を入力させたけど、清算に使わないとかいてあったはずだが大嘘。ということで、0.54ユーロは、結果的に余分だったわけだが、まあう数十円のことなのでよしとすることにした。がしかし、このブログを書いている時点で、Webのクレジット明細を確認したところ、Booking.comの引き落とし明細は削除され、おっさんが入力した0.54ユーロだけが請求されている。Booking.com、さすが洋物だけあって、いい加減さ1億パーセントなのであるが、Mar Bravoのオヤジのおとぼけ加減で、二重請求どころか、たった数十円でホテルに泊まれたことは明記しとかねばなるまい。

歩いて、バスターミナルに行き、ターミナルでチケットを買う。20ユーロくらいだったか、もはや忘れてしまった。バスの出発には少々時間があった。ターミナルのそばには、朝からやってるカフェがあった。入って何か食べたかったけど、地元民だけの喫茶店、しかも、なかからは、地元のおっちゃんが、見慣れない東洋人をじーーと見ていて、店内に入る勇気が、最後までわかなかった。

そうこうしている内に、バスが到着。バッグを預けて乗り込む。8時に出発して、ポルトには、11時半ごろにつくはず。3時間半の長旅の始まりだ。ナザレからは、しばらく一般道をはしり、1時間程度でLeriaという町へ。結構、人が乗ってくる。そこから、おそらく高速道路に乗りCoimbraに到着。たぶん、10時ごろ。一瞬見えたCoimbra大学は、本当に立派だった。地球の歩き方では、イマイチ魅力がわからなかったのだが。Coimbraで多くの乗客が降りた。さらに、ここから北上し、11時半ごろPortoへ到着。まずは、サンベントス駅へ向かう。道すがら目にする風景すべて素晴らしい。リスボンをさらに、古めかしくした感じとでもいえばよいのかわからないけど、すごく魅力的。

ほどなくして、サンベントス駅に到着。グマラインス行きは14時20分発なので、まだ相当時間がある。コインロッカーにバッグを預けようとしてマゴマゴしていると、気のいいオッちゃんが、コインロッカーの使い方を手とり足とり教えてくれた。バッグを預けた後は、軽くポルトの街を散策。駅前のリベルダーデ広場では、トランペットを吹いているおっちゃんがいる、風情なり

駅前のリベルターデ広場


トランペットを吹くおっちゃん


坂の上のグレリゴス教会が見える。本当に絵になる風景だ。


市電もかわいい


街中のカフェでビーフバーガーを食べた


たしか、一時間ほどその辺をブラブラして、ふたたび駅に戻る。ギマラインスへはポルトガル国鉄で移動しなければならない。自動販売機で切符を買おうとしたら、なんとすべてポルトガル語。さすがに手も足も出ない。しばらくウロウロしていたけど、どうやっても切符を買えそうにない。そこで、切符を買っているお兄ちゃんに声をかけ、ポルトガル語がわからないから、代わりに機械を操作してくれとお願いをする。最初、いぶかし気な顔をしていたけど、ちゃんと操作してくれ、無事切符を購入。コインロッカーからバッグを取り出し、待合室で時間をつぶしたのち、ギマラインス域の電車に乗り込んだ。