2011-05-26

サプライチェーンで儲ける白物家電

ちきりんのブログで、なかなか面白いことが書いてあった。


Chikirinの日記

2011-05-21 エアコン設計にみる昭和的発想

そもそも「エアコン内部ってかなり汚れてるよね」というのは、昔から消費者も気がついていて、だからこそ洗浄スプレーや高圧洗浄などエアコン掃除関連業は大流行なわけです。

(中略)

ところが、エアコンを作っているメーカーは、今までそれ(エアコンの内部洗浄)に全く対応してきませんでした(中略)エアコンは「分解し、再組み立てすることを前提としない造り」になっているわけです。

(では、なぜ消費者が求める、分解可能な家庭用エアコンを作らず、お掃除機能つきエアコンを作るかといえば)「付加価値をあげるとは、付加機能を増やすことである」という昭和的価値観からメーカーが逃れられていないからです。

(省略)



チキリンが言いたいことは、「白物家電メーカーは、なぜサプライチェーンで商売しようとしないのか?」ってことですよね。

昨今のの携帯電話やパソコンはカミソリの類は、本体で儲けるより、商品のライフサイクル全体で消費者が落とすお金を頂戴する作戦をとっていますよね。いったん本体を買わせてしまえば、本体を持っている限り、値引きせずに定期的に消耗品や付帯サービスを買ってもらえる、、、、から。

だったら、エアコンも、清掃サービスで儲けるようにしもいいよね、消費者も望んでるしさ、、、ってことですね。

確かにそうだ。

実際、白物家電メーカーは、アフターサービスをないがしろにしてますよね。壊れたり、汚れたり、調子が悪くなったら、さあさあ新しいの買って下さいな、、、、というパターンです。もっと、サプライチェーン全体て儲けるものが多くてもよさそうなもんです

がしかし、、、、

現実的には、大企業としてサービス部隊を運営するには、修理・清掃する手間賃が非常に高くなるのかもしれない、、、。つまり、ゲリラ的な下請け業者が提示する金額でしか、消費者との取引が成立しない。

結局、自社組織を使ってアフターサービス市場を囲い込めない。ということがあって、現在の代物家電メーカーは、多機能主義・新製品主義に陥っているのかもね、、、という気がしたのでした。

2011-05-25

弱みを見せるべきか?

会社で、弱みを見せるべきか?ということをたまに考える。言い換えれば、社内で、自分の失敗を(ある程度)正直に言うべきかどうか?ということ。

一見、弱みを見せないほうが、何事もうまくいきそうな気がする。

がしかし、物事がうまく行っているいるかどうか?、とか、その人が保身に走り物事をごまかそうとしているか?とか、その人の発言に聞くべきことがあるか?などは、どんなに表面を取り取り繕っても、多くの場合、ばれていると思う。

個人的な体験では、失敗をごまかしたり、権威をひけらかしている様子が垣間見えると、その人に失望することが多い、、、。むしろ、難しい事例での失敗談や失敗談に基づく対処方法を正直に言ってもらう方が、自分のためにもなるし、その人への信頼感も増すことが多い、、、ように思う。

そもそも取り繕ったり、権威に頼ろうとするのは、そもそも、物事が良く分かっていないことの裏返しだと思う。簡単に言えば、実力がない人こそが、取り繕ったり、権威に頼ったりする、、、、のではないか。

と、いった事を感じる一場面を、本日(も?)、会社で目撃したのでした。

2011-05-24

やるせない夜

今日も、12時前に帰宅。

どうにもこうにもやるせない夜には、ユーミンや古内東子を聞いてたそがれるのものも悪くない。

荒井由実 晩夏(ひとりの季節)





古内東子 誰より好きなのに 



2011-05-21

そぞろ日記移行2

昨夜、会社の飲み会がありました。

まあ、それは、どーーでもいんですが、当の飲み会で中堅どころの某社員の人から、

「私、あなたのブログを見ています。で、会社への批判に関するいくつかの点ついては、賛同できます」

といわれたのでした。

まず初めに、某社員の方が見たブログが、なぜこのブログが、私のブログだって分かったのかすごく不思議でした。あと、会社に対する個人的な疑問は、人それぞれ多々あると思ってるのですが、某社員の方が、どれに賛同したのかということと、さらに賛同することメリットも、なぞなのでした。

しかし、自分のブログが社内の人にバレタことで、そぞろ日記へと引っ越したのですが、こっちは絶対ばれないでほしいところです。

まあ、ばれたとしても温かく見守くださいよ

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ふと、うちの親戚の叔父さんも、そういえばリサーチャーだったってことを思い出した。

実は、その叔父さんは親戚の中でも、特に変わっていると思われており、またそれがゆえに?、社費でアメリカに留学させてもらったことがあると、子供の頃から親から何度も聞かされていたのでした。がしかし、何を仕事にしていたのかとか、なぜ留学したのかは、ず---となぞだったのでした。

で、自分が今の職へ転職し、しばらくした後、当の叔父さんは若い頃、UCLAへ留学し、その後、とある証券系総研でマーケティングリサーチャー・マーケティングコンサルタトやってたことを知ったのでした。で、最近、おじさんの書いたものを読んだんだけど、マーケティングリサーチとは、マーケティングを行うために調査することだ的な観点からかかれており、まさに正論、かつ、今の会社では稀有な正論だなあー、なんておもったのでした。

2011-05-17

グローバル化

今日、会社で期始まりの会議がありました。

まあ、ありがちなのですが、弊社も、多くのお偉いさんたちが、長時間にわたり、あれやこれやとしゃべり、能力のない平社員のワタクシめは、たいそうありがたいお話を賜ったのでありました。

まあ、そんなこんなで、2時間にわたり、いろんなことをしゃべっていたのですが、その中でグローバル化という単語が何度も出てきておりました。

いわく、

「おきゃくさん(一般消費財メーカー)は、いま、こぞって海外、とくに中国・アジアに進出している。わが社も、このグローバル化の波に乗り遅れるわけにはいかない・・・」

といった感じです。

まあ、そりゃそうだろー、、、ということなんですが、いまになってグローバル化とか、中国アジアを強調する様子を見るにつけ、わが業界はたいそうおっとりし感まるだしで、とてもほほえましいのでありました。

思えば、いまから10数年前に新卒で勤めた会社は、京都にあるマニアックでマイナーな老舗の理化学機械メーカーでした。で、その会社は、海外での売り上げが、国内の半分弱程度あり、また、当時は日本の電機・自動車・素材関連企業がアジアに製造拠点を移していた真っ最中で、海外で商売することは、なんら特別なことではなく、というか、ちょー普通なことなのでした。まあ、海外でよく売れるので、アジア攻めようとい話はよくありましたが、海外で商売することに、特段大きな意味合いはなかった気がします。

ということで、今日のグローバル化話を何度も聞くにつけ、初めて海外旅行に行く人が、ドキドキワクワクしている様子とかぶりまくりで、やっぱりほほえましーなーなんて思ったのでした。

あと、どーでもいんですけど、海外の仕事担当の人が、

「Authenticであることを大事にしたい」

といっていたのですが、あー、これって、本当に、いー言葉だなー、なんて、会議中に、つらつら思ったのでした。

2011-05-16

An Introduction to Models in the Social Sciences

昨夜思い立って、前から読んでみたいと思っていた本を買ってしまった

An Introduction to Models in the Social Sciences
Chales A. Lave, James G. March(1993)


わが社でモデルを使った分析を行うこととは、すなわち、分析手法に多変量解析を使うことを意味します。まあ、そりゃそうなんです。この場合のモデルとは統計モデルのことですよね。でも、モデルの本来の意味は、ある現象をうまく説明できる要因を、因果関係や相関関係などで構造化したものだと思います。その意味で、モデリングの方法とは、統計学に限らず、解析とか線型代数、はたまた言葉によるなど、べつに手法は問わないはずです。そう考えると、モデリングの本来の意味からすれば、モデリングは、モデルの説明力とか含意の大きさこそが、モデルの価値につながるはず。

ということで、この本は、(社会科学において)モデリングを行うとは、どいうことか?つまり、どんなモデルがあって、何に注意すべきか?について説明している本、、、、で、モデリングの本質について解説した本なはずなのですよ。

で、なんと昨夜注文して、今日の夜には手元に届きました。

ちょっと読んでみたところ、社会科学で言うところモデルには、代表的なのがいくつかあり、それは

・選好(Choice)
・交換(Exchange)
・適応(Adaptation)\学習(Learning)
・Diffsion(拡散)

と書いてありました。今まではっきり考えたことなかったけど、そーいやそーだと合点が言ったのでありました。とくに適応と学習は、僕の大好きなモデルであり、いまから読むのが楽しみなのです。

コトラーのマーケティングマネージメントを読むまでもなく、マーケティングでもたくさんのモデルはありますが、統計を使わなきゃモデルを作れないと思っている人々に対して、江頭チャンじゃありませんが、一言物申せる知識がつけばいいなーなんて思っています。

まあ、知識があっても、度胸がないんじゃしょーがないけどー。
ヨソモンにとって、プロパーの壁はでかいのです。

で、ちなみに、コトラーのマーケティングマネージメントも、4月初旬に買いました。


コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント 第12版


この本も、ケラーのブランド戦略本と同様、買うべきか、買わざるべきか、そーーーーとーーーー迷いに迷った挙句、買ってみたのでした。いま6章まで読んでみました。

で、感想。この本もすばらしいです。買ってよかった。

マーケティングとは、おそらく、経営学とか経済学、心理学、社会学など、社会科学本流からの応用という側面が強いと思われます。そもそも経営学自体が応用の面がつよく、その下位にあるマーケティングでは、さらに応用面がつよくなることは当然です。で、この本は、マーケティングを応用社会科学の側面からじっくりと解説しています。もちろん、本流の社会科学系統から見れば、応用しているモデルは古臭かったり、時代遅れだったりしますが、まあ、そのレベルでもビジネスの多くはうまく説明でき、その意味で、いまだマーケティングとは、そのレベルにとどまっているということかもしれません。

たとえば、この本では、消費者の購買に影響する要因として、準拠集団の話が出てきます。おもえば、学生のとき、社会学入門授業でこの話を聞き、なんて当たり前の話をするんだと思った覚えがあります。が、しかし、いまになって、準拠集団の話を考えると、確かに、商品選択は自分の好みだけでなくて、所属している集団の価値観も織り込まれているなあ~、などとあらためて納得してしまうのであります。

ということで、たぶん、ここ2年くらいで有斐閣のマーケティング本を読みまくったこともあり、コトラー本は、うわさにたがわず、すばらしー本だと、しみじみ思う今日この頃なのでした。

2011-05-14

とあるレポート&メルトダウン

本日は、とあるレポートの社内報告会がありました。

で、とあるレポートのできがどうだったのか?といえば、まあ、なんといいますかねえ、、、そう、漸次的な進歩が引き続き見られました、、、という代物だったのでした。まとめ役の部長も、そのように申していたので、間違いないはず。

そう、漸次的進歩がみられました。やったー、進歩したよ!進歩してよかったね。
進歩した結果、売り物に、また一歩近づきました。

・・・・・

そういえば、不肖ワタクシ、とあるレポートは、初版発行そうそうに売ったことあったんだー
売り物が、漸次的進歩なんてしなでよ、という感じです。ちなみに、記憶によると、初版は漸次的進歩前夜だったとおもわれ。

まあ、そんなことは、どーでもよいのです
実は、報告を聞きながら、かつて、とあるレポートの存在を許せなかったことを思い出しました。なぜなら、漸次的進歩前夜だったから。がしかし、いまや大人になり、まあ、これはこれでありかもね、と大幅に譲歩できるようになりました。

と同時に、オレだったら、こんな風には説明しないなーとか、もっと違う見方するよなーとかとか、思えるようになりました。というか、とあるレポートについて、報告者がプレゼンするようにはレポートを読まなくなったというのが現実ですね。とあるレポートの報告者は、グラフや数字の説明をしたがります。が、最近不肖ワタクシは、世間のみなみなさまがとった行動を、グラフの動きや数字の変化重ね合わせて理解するようになりました。

エラソーに言えば、マーケティングとか、消費者行動理論、まあ心理学、、、かな?あたりから、数字を読むようになりましたとさ。

別に、エラソーに言ってももいいよね、個人のブログなんだし。

日本には、言論の自由があると信じています。
ただ、言論の自由を行使した結果、世間様を敵に回すことが、多々あることも存じ上げてあります。

誰に向けて書いてるんだ?バッカみたい。バカなんです。バカで悪いか!

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で、つぎ

読売新聞 2011年5月12日22時55分

福島第一原発1号機「メルトダウン」東電認める

東京電力は12日、福島第一原子力発電所1号機の原子炉圧力容器で、冷却水の量が少ないため完全に水から露出した核燃料が過熱して容器底部に落下し、直径数センチ程度の穴に相当する損傷部から水が漏れていると見られると発表した。
東電は、この状態が「メルトダウン(炉心溶融)」であることを認めた。

東電は、圧力容器の温度は100~200度と安定しているため、今後大きな事故に至る可能性は低いと見ているが、圧力容器を覆う格納容器からも水が漏れだしている可能性が高く、事故収束は難航が予想される。

(中略)

損傷した可能性が高いのは、原子炉の核反応を停止させる制御棒の貫通部など。直径約4・8メートルの圧力容器底部には制御棒97本、中性子計装管34本が貫通している。貫通部周辺の溶接部位は、溶融した核燃料の3000度近い高温には耐えられないという。

「直径数センチ程度に相当する部分から水が漏れてる」って、まったく意味分からないんですけど。記事によると、制御棒が圧力容器の底から貫通しているようなので、熱せられた圧力容器によって、貫通部のOリングがやられました・・・その結果、水が漏れてます、、、、ということなんでしょうかね。いまさらながらですけど、制御棒って、容器の上部から入れるわけにはいかなかったんですかね。

しかし、ちょっと引きますね。
すでに炉をコントロールする手段を完全に失った気がしますが、気のせいでしょうか?

あと、圧力容器、今のところ最高でも200度だから、まだ大丈夫ってのもねえ、、、、、まあ、圧力容器は鉄ですから大丈夫ってことなんでしょうけど、、、では、普段は、いったい何度なんですか?と聞いてみたいところです。

あと、核燃料の3000度に耐えられる物質なんて、世の中にないはずです。別に溶接部に限らないよね。3000度といわず、1000度に近くなったら、圧力容器自体が溶けちゃうんではないでしょうか・・・

東電・日立・東芝、そしてこれらの会社の下請け企業の人々は、夜も眠れないことでしょう。

しかし、今日のテレビニュースは、どこの局も、この事実を大きく扱わないのは、いったいなんでなんでしょうか?やばすぎてニュースにできないとか、、、

そんなわけないよね。

以上、おひらき

2011-05-08

2011 GW島根6

さて、6日(金)は、車で千葉の家へとUターンとあいなりました。

朝9時半ごろ島根の家を出発。
まずは、高速めざして、川本~大朝と車を走らせました。
で、道すがら、川本で咲いていた山桜たち。満開でした。

で、途中、因原にある道の駅川本で買い物をし、さらに旧石見町と旧瑞穂町の街境にある峠のコンビニで、再び発泡酒開春を買い、11時過ぎに大朝ICに入ったのでした。

で、そのまま中国道で家に帰るのもつまらんと思い、今回は、広島方面からしまなみ海道経由で家に帰ることにしました。というわけで、大朝から広島にむかい、さらに山陽道を西に向かうことしばしで、しまなみ海道に入りました。で、しまなみ海道の瀬戸田PAからとった写真がこれら。

なんどみても絶景です。
PAから多々羅大橋まで散策できるのですが、その途中でかんきつ類の無料販売所があり、はるみというみかんを食べて食べたら、とてもおいしくて感激したのでした。この時、14時半ごろ。

で、その後四国に渡り、四国の高速道路を、ひたすら東に向かいました。で、夕方になったころ香川県に入ったので、せっかくだからさぬきうどんを食べたいということになり、PCの食べログで検索した結果、もり屋への訪問とあいなったのでした。この時18時半ごろ。

記憶では、ぶっかけおろしかき揚げうどんをたべました。
そのように注文したから当然なのですが、ぶっかけなのに、うどんもおつゆも温かく、理解の範囲を超えた食べ物だとおもったのでした。うどん自体は、コシと粘りがつよく、とても美味しかったです。

で、うどんを食べた後、19時すぎに、高松中央ICから再び高速で東に向かいました。で、走ること3時間くらいで、明石海峡大橋にたどり着きました。このとき21時。ここも夜景が綺麗だったので、携帯のカメラで写真を取ってはみたのもの、案の定、全く写ってなかったのでした。

で、見えていたはずの夜景はこんなかんじ。
そんなことで、しまなみ海道、さぬきうどん、明石海峡大橋を堪能したのですが、ふらつきすぎて、12時間かけても、まだ半分もきていません。

ということで、神戸の町中をぬけ、名神から第二名神、東名とひたすら東に向かうこと10何時間で、ようやく家にたどり着きました。家に着いたのは、7日のお昼12時でした。大田を出たのが6日の9時でしたので、24時間以上かかったこととなります。

行きは渋滞、帰りは観光と、移動に丸一日以上かけるという酔狂なGWとあいなったのでありました。

2011 GW島根5

さて、島根最終日である5日(木)は萩へ行ってみました。
萩は、大田市から西へ150kmもあり、しかも裏日本なので高速道路もなく、日帰りではとても遠いので、気合を入れた訪問となったのでした。

8時半ごろに家を出発し、田舎の国道である9号線をひたすら西に向かいました。
これは、途中の道の駅三隅でとった絶景

鉄道と海・山という、鉄道ファンならずとも垂涎の絶景です。
実は、さて写真を撮るかと思った瞬間、田舎の鉄道・山陰線がこちら側に向かって走ってきたのです。が、そのときなぜかデジカメがエラーを出し、電車を取り損ねてしまったのでした。1時間に1本走るかどうか、、、というローカル感満載の汽車なので、取り損ねたショックは大きかったです。

で、さらに西に進むこと1時間くらいでしょうか、再び絶景ポイントとあいなったのでした。
これが益田から萩の先まで続く北長門海岸国定公園
北長門コバルトラインとも呼ぶそうです

まさにコバルトブルーです。びゅーてぃふぉー!
といっても、コバルトって見たことないので、こんな青なのかは知らないんですけど。

で、さらに進むこと1時間あまりで萩へ到着しました。
で、これが最初に行った萩城、指月城とも呼ぶそうです。
しかし、天守閣はありませんでした。毛利氏は、江戸時代末期、山口に本拠地を移したのですが、そのときに、建物はすべて解体したそうです。


で、これがかつての姿の萩城
真ん中に小さく見えるのが天守閣です
山の上にもお城があったようですね。

毛利氏は、関が原の戦いのとき西軍の総大将でしたが、戦いで負けてしまったため、広島から辺鄙な萩へと移封されたそうです。で、これが移封された毛利輝元公。萩開祖だそうです。まあ、そりゃそうでしょう、、、、という感じですが。




で、しばらくお城の中の公園をぶらぶらし、家臣が住んだというお屋敷を見学しました。
厚狭毛利氏のお屋敷。毛利宗家の分家ですよね。お城のすぐ前に家があったそうです。



しばらくぶらぶらした後、城下町へ散歩に行きました。
これが口羽家のお屋敷。壁が、いかにも武家屋敷という感じで、とても立派です。


口羽とは、島根と広島の県境にある山村ですが、もともと、口羽家とは、その辺を治めていた豪族のようです。で、毛利氏の家臣となり、関が原の戦いの後、主君について萩に引っ越して行ったようです。

で、時はくだり、明治維新直前ごろ?、職を失った武士の食い扶持のために植えられたというなつみかんたち。萩といえば、夏みかんのようですが、そろらじゅうでなりたい放題となっておりました。


 武家屋敷の壁とうちのわんこ

最後に、松蔭神社にいきまいた。
かの有名な吉田松陰先生が祭られている神社です。

歴史のことは詳しくないのですが、吉田松陰先生は、身分の違いを気にせず、求める人すべてに教育を施したそうです。で、その中から、伊藤博文とか、山県有朋とか、、、明治時代をつくった偉人を輩出したとのことでした。

で、これがかの有名な松下村塾。
 ぼっーと歩いていたら、ガイドボランティアの方が、吉田松陰先生の功績について、いろいろ説明しているのを拝聴し、へーそういうことかと、とてもためになったのでした。



そんなこんなで萩を堪能し、夕ご飯を食べた後、家に帰ってきたのでした
これが、家に帰るすがら写真を撮った益田の持石海岸からとった夕日。
これまた絶景なのでした

そんなことで、萩は、思ったとおり、かなり遠く、とても疲れたのですが、よい景色と歴史を堪能し、大満足な一日だったのでした。

2011-05-03

2011 GW島根4

今日も、ありえないやる気でブログ更新です

さて、今日は、お昼から活動しました。なぜ、お昼からかといえば、かの有名な、仁摩にある「かめや」へランチングに行ったからです。

これが、かの有名なかめや
で、これが、かの有名な、かめやのハシ袋
 つっこみどころ、満載です

このかめやの店主は、愛すべきとぼけたオヤジで、自分のことを井戸亀左衛門と名乗っております。なんで、オヤジがこう名乗っているかと言えば、江戸時代に石見銀山を治めた代官の一人に、石見地方の英雄である、井戸平左衛門という代官さまがいたのです。井戸平左衛門は、享保の飢饉の時、困窮する農民を見かねて、自分の判断で年貢を減免したり、代官所の蔵に保存してあった年貢米を振舞ったり、飢饉対策として鹿児島からサツマイモを取り寄せたりして、困窮した農民を救ったのです。で、かめやのとぼけたオヤジは、井戸平左衛門をもじって、井戸亀左衛門と名乗っているのです。
さらにこのハシ袋は、突込みどころ満載で、店の住所に、ありもしない市である、石見銀山(市)と書いてみたり、ありもしない道の駅石見銀山より300mとかいてみたりと、、、やりたい放題なのです・・・・(正しい住所は、大田市仁摩町仁万、かと)

ちなみに、住所に書かれている 石見銀山について説明しますと、かつてこのお店がある仁摩町と温泉津町と大田市で市町村合併した時、新市名が多数決で石見銀山市と決まったのです。が、大田市のおバカ市議会議員何人かが、この話をひっくり返し、市名を大田市に戻すという、世にもくだらない、田舎モン&バカまるだしの愚行&いきさつがあったことを、ここでご報告・記録いたします。

なお、市名を大田市にしたことがバカ丸出しなことと、かめやが仁摩町の前に石見銀山をつけていることは、何の関係もないことを、ここで改めて確認させて頂きたくぞんじます。

 で、にぎりを食べました。
にぎりは、地魚満載で、とっても美味しかったです。
かめやサイコー

で、その後、川本&大和村に釣に行ったのですが、全くつれず・・・・。

夕方になりお腹がすいたので、かの有名な頓原にある一福へいきました。久々に行ったら、NHKの朝ドラ「だんだん」に出ていたマナカナの色紙がありました。


で、天丼定食を食べました。
ひさびさに食べて美味しかったです。


そんなこんなで、一日が終ったのでしたー

2011-05-02

2011 GW島根3

今回は、ちょー頑張って、毎日の出来事をブログに残してます

というわけで、今日は、近所の川にヤマメを釣りにいきました。

もともと、FlyFishingは大好きなんですが、東京に住んでいると、なかなかつりにいけないのです。がしかし、島根では30分くらい車で走れば、釣り場が山ほどあり、今日は、その中でも、もっとも手軽な釣り場に行ってみたのでした。

まずはスニーカー姿という超ナメきった態度で、ルアーをひいて見たのですが、一度ガツンとアタリがあっただけで、その後何の反応もうないので、場所移動をしつつFlyへシフトしたのでした。

さすがに1年ぶりのFlyということで、足元もおぼつかなく転倒したり、バラシを繰り返しつつキャッチしたヤマメちゃんがこれ



同じ魚を別アングルで

ウチワのような立派な尾鰭
体高も立派
掛けた後も川の中を走り回り、いつバレルかとひやひやしましたー
最高のヤマメちゃんです
つれた場所はココ


江の川の支流の支流、奥三俣川です
この川では、かつてヤマメを釣りまくった覚えがあるのですが、久々の訪問で、こんな立派なヤマメがつれて大満足でした。

その後、旧瑞穂町アタリをブラブラし、温泉津の造り酒屋の若林酒造の開春の発泡酒を買って家に帰ったのでした

これが口当たりも良く、すごく美味しい!
こんなに美味しい日本酒を飲んだのは久々で、すごく感動しました

というような一日で大満足なのでしたー

2011-05-01

2011 GW島根2

さて、今日は昼から出雲方面へと出かけました
最初に行ったのは、道の駅キララ多岐の隣にあるカフェ


国道9号線沿いにあって、店の前を通るたびに気になっていたのですが、ようやく訪問とあいなりました。お店は、カフェと雑貨屋が併設されているようです。

で、これが店内から見た絶景

海がきれいです。
風が強く、やや曇っていたのですが、それでも絶景なのでした

で、しばらくたそがれた後、つづいて日御碕へといきました。
車を日御碕神社 前の駐車場に止め、まずお宮にお参りをし、


 遊歩道を歩く事しばしで、東洋一と名高い日御碕灯台へとやってきました。


 さらに、遊歩道を歩き、これが出雲の松島とよばれている入り江
これまた絶景です。すごい。日御碕に、こんな素晴らしい眺めがあるとは、今まで知りませんでした!


岬の周りは風が強いため、松の木も斜めになっております。


いつものように、うちのワンコを柱の上に立たせて記念撮影をしました。
固まっていますねえ~


1時間半ほど日御碕を堪能した後、神西湖のほとりにあるうなぎの鈴屋で、うなぎ定食を堪能し、家に帰ってきたのでした。


しかし、日御碕があんなに素晴らしいところだと、今まで全く知りませんでした。
これからも、機会があるたびに、たそがれに行きたいな~なんて思ったのでした。