2015-03-02

脳の病気のせい

ご会食的なことをすることがある、もちろん女の人と。世間的に言えばおデートかもしれない。日本語でいえば、ご会食。別に、特定の相手がいないから、だれに文句を言われる筋合いもないのだ。

で、楽しいのか?といわれれば、楽しいような気もするし、単純に面倒ってだけのような気もする。

色々な経緯があって、こんどランチ、あるいはディナーでも的な話になる。
自分が、その人と行きたいと思うこともあれば、勝手な想像だけど、会話の流れで誘ってよ空気がはびころり、それを流す勇気がなく、結果的にお誘いすることもある。そんな、本音と建て前が入り混じる男女の会話の後、現実に連絡先交換にいたり、具体的にご飯に行くことに合意するのであれば、そこから、さらなる準備が必要となる。それは

いつにするか?

どこに行くか?

どのくらい金をかけるか?

何を、どのくらい食べるか?

何を話すか?

食べた後、どこに行くのか?

そして、何をするのか?

何を話すのか?

といったことだ。

相手の趣味嗜好を考慮し、まあ、下世話な言い方をすれば、女子好みのプランを一通り決める。安っぽくてもダメだし、だからと言って、あまり高級でもダメ。なぜならば、いずれにしても、何らかの形で相手はおごられるわけで、気持ちよくおごられる価格帯というものを考える必要があるからだ。加えて、和食でも洋食でも、味の良さと、それっぽい雰囲気が大事。むしろ、女の人にとっては、味そのものよりも、清潔感やシャレた感じのほうが重要かもしれない。隠れ家的なフレンチやイタリアン、日本家屋的な和食屋あたりが使いやすい。有名ホテルのレストランも無難。

ご飯を食べ終わった後、お会計をして店を出る。女の子もお金を払うとはいうけど、はたして、どのくらい本気で払う気があるのか、いまだわからない。ごく一部だけど、お金を払いたがる子もいる。個人的には、自分が食べた分くらい、社会人ならばキッチリ払えよという感じではある。自分自身、人におごられるのは借りをつくっているようでイヤだし、おごるのも、何かお礼をしたい理由があればいいけど、男女というだけでは、正直納得しがたい。ということで、僕の価値観に準ずれば、デートする相手に、おごるいわれなんて基本ないので、カネを払いたいならば、ぜひという感じなのだ。

がしかし、いままで、会社の同僚や、女の子の知り合いから、デートのお金を割り勘にさせられた(といっても、よく話を聞くと、会計のごく一部や、行ったお店の一部を自分が払ったに過ぎない)、あるいは下手をすると、相手の男性が快くおごってくれなかった(つまり、タダ飯はきっちり食ったわけだ)と、悪しざまに文句を言っている姿を数限りなく見ているので、金を払わせて本当にいいのだろうか?陰で女同士で、セコイ男と悪口を言われるのではないか?とよく不安になる。

彼女たちに言わせれば、この私の貴重な時間を使ってワザワザ付き合ってやったのに、金を払わせるなんて何様のつもりかよと、そいうことだ。いやはや、いつまでそんなに強気でいられるか、見物なんだが。女優さんでない限り、ほぼすべての女性は、子供を産めばあっという間にオバサンになるんですよ、たぶん。

そのあと、大体、カフェ的なところに行き、1~2時間、他愛のない世間話をしてお開きにする。ここまで付き合うと、いつも本当に疲れるし、正直、無事終わってよかったと安堵することが多い。

で、その後、続くこともあれば、続かないこともある。続かない時は、その後、なんだかんだ都合が悪いと断り続ける人もいれば、単純に誘いを無視する人もいる。

正直な話、話や気が合わないことの方が多いと思う。そもそも、ほぼ初対面なんだから、即座に仲良くなれることのほうが珍しいはずだ。だから、ご会食にいろいろ気をもんで準備している自分としては、すこしづつでも歩み寄れればと努力するのだが、上げ膳据え膳でやってくる女の子たちはそんなことお構いなしに、ちょっとでも気に入らなければ、はい、さよなら~と去っていってしまう。現実的には、自分に知力もすぐれた容姿も甲斐性もなーんにもなくて、早々に見切られているられてるだけなんだろうけど。

といったことを、つれづれ考えてしまうのは、近代科学でも決して治療できない脳の病気にかかっているからに違いないと思った日曜の夜

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福山雅治自身が、自分がいまだ結婚しない理由について語ったのを、どこかのネットで読んだ。それは、自分が育った家庭、家族に良い思い出がないことが影響している気がすると。どこまで本当かわからないけど、父親は博打うちで、滅多に家に帰ってこず、家も生活費を入れず、たまに帰ってきても酔っ払ってクダを巻いていたそうだ。母親のパート代で生活していたとも。

彼ほど酷くないにしても、育った家庭によい思い出がないというのは、なんとなく共感できる面がある。自分の父親は世間並に働いていたが、会社から帰ってくると、毎日ベロベロに酔っ払っていて、気に食わないことがあると怒鳴り散らしたり、部屋の中で暴れたり、暴れない日はあらゆることに大文句、簡単に言うとクダを巻いていた。そして、休みの日も、昼間っから酒を飲んで酔っ払っていた。父親は、当たり前だけど一人しかいないわけで、子供のころといっても、たぶん、高校卒業するくらいまでは、普通の父親とは傍若無人であり、酒を飲むと暴力をふるい、弱いものに怒鳴り散らすもんだと思っていた。が、あるとき、仲の良い友達に、自分の父親の話をしたところ、とてもびっくりされ、自分の父親は、世間の正常とは異なった生き方をする人間なんだと初めて気がついた。

思えば、お酒も、いまだに実家で飲むことはほとんどないし、父親と酒を飲んだことは一度もない。そして、この先、酒を一緒に飲ことは死ぬまでないと思う。お酒を飲むことは楽しい人間らしい営みと思えるようになったのも、就職してしばらくたってからだった。実家と酒には、いまだに乗り越えられないトラウマが残っている。

なんでこんな話をおデートの話の後に続けたか、自分でもわからないけど追記なのである。

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