2015-03-16

大きい声で言えないこと

(1) 子供
いい年なので、友達の子供とご面会することがある。実際に会うこともあれば、Facebookで拝見することもある。正直な話、友達の子供は、他人様のお子様なのである。僕とは、遺伝的ながりはもちろん、情緒的なつながりもない。すなわち・・・・、他人の子供はかわいくない。あーいってしまった。

全ての子供が、かわいくないわけではない。かわいい子もいる。何が違うかといえば、顔が整っているかいないかだ。僕は他人なので、本当に客観的にしか見れないのだが、よく言えば愛嬌がある顔の子供を見ても、愛嬌がある(ブサイク)とは思っても、かわいいなーとは思えないことが多い

逆に、かわいい子供=顔が整っている子供は、友達の子供でもかわいいものだ。それは、友達の子供でなくても、かわいいかもしれない。ありていに言ってしまうと、こんなことをいうと何様だと思われるので怖いんだけど、子供の顔は親の顔の生き写しなのだ。だから、、、、、親の顔の造作がアレだと子供もアレ・・・・・、うーーーん、すべては言うまい。

なんとなく困ってしまうのは、子供の写真を得意げに見せられる時だ。自分の目の前には、親の顔があり、スマホには、その親の顔の遺伝子をもった子供の顔があるわけだ。普段、その親の顔が整っていようがいまいが、全く気にならないけど、スマホの写真を得意げに見せられると、親と子供の顔のつくりが気になってしょうがなくなる。親バカだからさーとか何とか言って写真を見せるのは、全然構わないんだけど、「かわいいだろー」といってくると、本当に、親の顔の造作がすごく気になりだして、すごく返答に窮してしまう。まあ、といっても、かわいいお子さんですね~くらいのウソを付ける程度の社会性は、一応、持ち合わせいている。じゃないと、すでに誰かに殺されている気がする。

自分の見た目・容姿にはまったく自信がないどころか、写真を撮られるのも、撮った写真を見るのも苦痛なので、いつか子供ができたとき、子供の写真を他人に見せるようなことだけは決してするまいと心に誓う日々なのである

(2)経営者
この間、えらい人と打ち合わせをしていた時のこと

「業績が悪い。それもこれも、お前ら(ヒラ)が、業績が良くなるよう、本気で仕事をしてないからだ。そもそも、業績が悪くて心配しているのも、俺だけだ。だから、明日からお前らも経営者の気持ちで仕事をしなきゃいけない」

といったテイのことを言った。その時に、経営者のような気持ちで働いてほしかったら、払う金も経営者並にしろよと、心の中だけでおおきく叫んだ。ホント、思い違いもはなはだしいぜ。経営者は、基本、誰にも文句言われないからと言って、お前らの指図が悪くないことの証明ではなんだからな。



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