2011-11-08

人間の合理性と非合理性

とあるブログを見ていたら、こんなものを見つけた


ソーシャルメディア×行動経済学の未来予想図ブログ
facebookが次の次の次くらいのF8で発表する内容はこんな感じドヤッ

facebookが次に狙う領域はヒトが言語化できない思考の可視化

だと思っています。

(中略)

そもそも人間の思考のうち、自分自身が認識できる思考って実は僅か5%で、言語化できる思考は、その更に5%前後。要は人間の思考のほぼ100%は表層化されない無意識で、この膨大な手つかずの未知の領域は、(Facebookで)DB化できればドル箱に化けるポテンシャルがあると思います。

(中略)

人間の言語化できる思考に頼って(マーケティング)リサーチしているうちは、リサーチャーの仮説が正しくない限り、消費者インサイトは捉えることは不可能ということです。

(省略)


まあ、Facebookの細かいことは分かりませんし、基本、妄想らしいし、この人の書いているとおりに絶対ならないこともないと思うので、色々と意見を申し上げるのもヤボって気がします。

が、ちょっとだけご意見申し上げますと

(1)Facebookのタイムランも、顕在的な意識の結果ではないのか?

ふつう、「潜在的な意識を調べる」とは、光トポログラフィー(fNIRS)とか、脳波を使って、脳の活動部位を調べることを意味すると思います。その意味で、人がパチパチキーボードをたたいたタイムランそのものを調べることを、潜在的な意識の行動を調べてるとは、あまりいわない気がしますね。むしろ、タイムランとは、顕在的な行動結果なのではないでしょうか。もっといえば、この人も書いているように、質問紙だって、実験だって、インタビューだって、潜在的な意識の影響を必ず受けているので、脳科学で使うような機械を使わないからといって、潜在意識を調べていないとはいえない、、、という気さえするのですが。

(2)マーケットリサーチは仮説を支持する結果しか使えない
これは、根本的にヘンだと思いますが、ある意味におけるこの業界にたいする正しい認識、という気がします。

まず根本的にヘンだと思うのは、仮説を支持すること・支持しないことと、調査結果が使えること・つかえないこととは、基本的に無関係だと思います。むしろ、仮説が支持されるとは、既知の情報しか調査結果から読み取れない場合なのでないでしょうか。というのも、多くの調査において、練りこまれた仮説などない、つまり、既存の知識から単純に類推できる仮説しか思いつかないことが多い。だから、仮説を支持するとは、既存の知識の上塗りでした、、、ということになる。となると、仮説が否定されたときの方が、「なんでそうなったんだ!」という発見があるはず、、、なのです、本質的にはね。(といっても、実務的には厄介になった、、、という感想を抱くことが多い)

あと、ある意味正しいかも、と思うのは、マーケティングリサーチ業界とは、お客さんが勝手に妄想した思い込みに合わせて報告書を捏造することがある、、、、という事実に基づいている気がする。意味不明なお客さんの思い込みであっても、調査結果が裏づけ資料になれば、つかえる調査ができました、、、ということになるから。褒められた行動じゃないけど、残業があまりに多いのと、お客さんを説得するのがめんどくさいので、易きに流れがち・・・・・

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まあ、なんですかね、あまり揚げ足をとるような内容でない気もするが、ヒマに乗じてメモしておきました。

あと、fNIRSは、昔の勤め先が作っており、あの地味な会社と、思わぬ再開したをしたこと、あと、意識下の話は、学生のとき習った脳科学とかその辺の話を思い出したりして、全般的に、懐かしさ満点だったのでしたー

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