2015-06-14

遺伝子の不都合な真実


遺伝子の不都合な真実
~全ての能力は遺伝である~
安藤 寿康 (著)



久々に、学者が書いたまじめな本を読んでみた。近頃、仕事しかしていないようで頭が悪くなってきたらしく、かなり読みにくかったけど、以下、読んだ感想もろもろ。

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ホリエモンが、金持ちであろうが貧乏人であろうが、勉強しさえすれば東大にだれでも合格できる、といった類のことを言った記憶がある。

彼らしい言い方だ。この、あまりのナイーブさが、強く人を引きつける一方、強く人に拒絶される原因なんだろうとよく思う。

多くの人は年を重ねるに従い、親の行動特質、あるいは性格を、わが身の行動に見ることが少なくないように思える。自分のことで振り返ってみる。父親の性格を一言でいえば、頑固で忍耐強いというのが長所だ。短所は、当たり前だけど、融通が利かず、その場の状況に応じて柔軟に対応することができない。一方母親は、見事に逆の性格。忍耐など持ち合わせいていないけど、悪く言えば何でも適当、よく言えばその場の状況に応じて柔軟に何でも対応でき、社交的だ。そんな二人、夫婦生活がうまくいかないのは当然のこと、、、というのは身内の話。

年を重ねるにつけ、両親の性格が自分に内在していることを強く感じることが多い。

職業柄、議題を整理して分析内容を明らかにしたり、その先、忍耐強くプログラムを書き、モデルを作り、主張すべきポイントをまとめ、分かりやすい資料を作り報告する、、といった作業を日々行う。この作業で最も重要な素養は、頭の良さというよりも、忍耐強さだ。支離滅裂な議論の見通しをつけ、分析に耐えうる内容に昇華する、、、など、どんなに頭が良くても辛抱強くなければ務まらない、と思う。で、次に重要なことは、楽観性と愛嬌だ。いろんな人がいろんなことを、その時の気分で何かを言うので、その時点の課題が何か?、そして、どんな結論を出すべきか?といったことがあいまいなことが多い。そして、まじめに考えると、正直なところ、どんな結論がでると、多くの人が納得するかも未知数だ。そんな曖昧な状況で、しかも十分な時間もデータもない中で、エイヤーと結論を出すには、いろんなことをあるところであきらめ、結論を出してしまう勇気が必要なのだ。そして、それには楽観的でなくてはならない。さらに、報告するときも重要だ。正直、イマイチな報告であっても、オーディエンス、あるいや経営層が許してくれる時とそうでない時がある。報告内容にケチがつき炎上するのは、まあ最悪な展開。なんら建設的なことは生まないし、物事も前に進まない。だけど、イマイチな内容だったとしても、なんとなく報告者の人柄、あるいは愛嬌で、前向きな雰囲気がうまれ、その報告が次のアクションにつながることがある。そして、それはそれで成功なのだ。

そんな、忍耐強く報告内容をまとめる自分の中に父親の幻影を見るし、報告時によくわからないことを、適当に愛嬌でごまかそうとする自分の中に、母親の影響を見ることがある。これを、遺伝の影響か、環境の影響といわれれば、正直、よくわかない。だけど、なんとなくだけど、環境の影響に注目するならば、ものすごく多くの時間を過ごした学校教育の影響は、自分の行動特性に全くなかったと言い切れる。なぜならば、自分の行動は、先生よりも両親に似ている気がするからだ。学校教育は、親の性質のベースがあってのものだという気がいする。

よく考えてみれば、運動や体型で親の遺伝の影響を否定する人はいない。なぜならば、それは見ればだれにとっても明らかだから否定しようがない。美人の親の子供は美辞任に決まっている。そう考えると、性格や行動だけが似ていないというのを否定するのには土台無理がある。

といったごく当たり前のことが書いてある本。言い換えれば、努力する内容にも、向き不向き、あるいは報われるものと報われにくいものがあり、それは人によって違うということ。当たり前かもしれないけど、努力すれば何人にでもなれると喧伝する教育者にとっては不都合な事実かもしれない。さらに、社会の側が、稼げる才能と稼げない才能を峻別せざるをえないとするのであれば、生まれながらにどの程度稼げるか稼げないかが大体決まってくることになり、それがもう一つの不都合な真実なのかもしれない。

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