すでに遠く過ぎ去ってしまったことですが、今年も9月に恒例の夏休みをとり、いつものように島根県に帰省しました。8日(土)の11時ちょっと前の羽田発の飛行機に乗り、昼前に出雲空港に到着、レンタカーを借りたのち、西へ向かうこと2時間弱で銀山に到着。
で、まず最初にやったのが、夕食用に、楽しみにしているに江の川の地アユを七輪で焼いてみました。これた江の川の天然アユ。大きいです。
七輪で焼きあがった地アユを狙う、うちのワンコ
皿に乗った姿
これまた恒例の骨抜きをしました。さすがに天然ものだけあって、骨がしっかりしてるから、骨抜きもすごくうまくいって、すごくうれしかったです。といった感じで、天然アユを堪能し、大満足なのでした。
で、9日(日)は何をしたかといえば、これまた恒例の仁万の亀屋にお昼ご飯を食べに行きました。、親戚のオッサン、といっても、いままで一度も聞いたことも見たこともなかった人なのであるが、そのオッサンがわが家に連絡をしてきて、人見知りな自分としては、ぜんぜん気が進まなかったのだが、亀屋でお昼を一緒に食べることになった。で、これがお刺身定食
こっちは、サワラのアラ・・・・だったはず
刺身も焼き魚も、いつもの様に、すごくおいしかったので、まあこれはこれでよかったのかなーというかんじでした。で、その後、まだお昼過ぎだったので、安来のCafe Rossoにお茶しにいったのですが、なんと、誰の断りもなく、Cafeからコーヒー豆屋に業態を転換しており、日曜日が休みになっており、結局、コーヒーをのむことができずじまい。でも、安来まで来たので、米子のお菓子のお城に行き、一通り試食しまくった後で、さらに、意味もなく大山にのぼりました。で、その後、夕ご飯は、まだ開店して間もない大社のlautでイタリアンを食べて家に帰りました。どうも、lautは福光のお店をやめて、大社を開店したらしいのですが、お店の人が、「大社のlautは、福光のときとは味が違いますから!」と妙に強調していたのが印象的でした。福光のlautは、きっとマズかったのでしょう。
といった感じで、2日目も過ぎ去って行ったのでした。
2012-11-04
○○派男子は、本当に世の中に存在するのか?
市場調査クリニックというサイトを見つけた
私、とても仕事熱心なので、このサイトについて意見を述べてみる
”調査でセグメンテーションをお願いすると、価値観やライフスタイル等の変数を使って、「コンサバ系健康志向シニア」とか「オシャレ敏感新しいモノ好き女子」の様なクラスターが出てきます。一見”それっぽい”感じはするのですが、本当にそんな人いるんですかね?(笑)。というか、弊社の商品に対する反応は(どのセグメントでも)大体同じようなものなので、ターゲット選定に使えないんですよ。この様なタイポロジー自体は実務であまり必要ないし、もう(セグメンテーション)辞めようかな。結局、性年代で集計したデータ位しか使えないですよ。”
(省略)
思えば数年前、この仕事を始めたばかりのころ、担当していた、とあるFMCGクライアントにこんなことを言われたのを鮮明に覚えている
「ウチの会社、CM山ほど発注するから、電通がたまにタダで調査してくれるんだよ。でさ、セグメンテーションとか言って、参入しているカテゴリーの購買者をクラスター分析して、○○派女子とか、○×重視男子がいるとか言ってくるんだよ。まあ、口では何も言わないけど、仲間内では、いつも、あいつらバカじゃね?とかいってるんだよね」
で、一方、勤め先の調査会社では、同じく、この仕事を始めたばかりのころ、同僚がこんな会話していたのを鮮明に記憶している。
「お客さん(FMCG系クライアント)に、セグメンテーションの話をして、○○派男子がどうのこうのとか言っても、(マーケティングやリサーチに対するセンスがないから)ぜんぜん通じないんですよねー」
というかんじで、悲しいかな、ぜんぜん話はかみ合っていないわけです
がしかし、今回の場合、やっぱりお客さんのセンスが圧倒的に正しくて、いまのセグメンテーションがまったく使えないというのが真実なわけで、、その理由は、分析裏話に書いてあるとおり。
しかし、分けることが目的になってしまうのは、一体なぜなんだろうか
所詮、調査・分析などひとごとなのかもしれない・・・などと思わざるを得ないのであった
私、とても仕事熱心なので、このサイトについて意見を述べてみる
分析裏話 第1回
現在様々な市場調査でセグメンテーションが行われていますが、実務で活用できるセグメントを作るのはなかなか難しいものです。通常、企業がセグメンテーションをする上でまず知りたい事は、「どのセグメントを狙うのが良いか?」つまりターゲティングの根拠となる情報です。(追記:がしかし、実際には、調査会社にセグメンテーション調査を発注しても、それぞれのセグメントの特徴は調べてくれるが、ターゲティングの根拠となるを情報を提供してくれることは、ほどんどない。)
先日、ある案件でFMCG系のクライアントが以下の様なお話しをされていました。”調査でセグメンテーションをお願いすると、価値観やライフスタイル等の変数を使って、「コンサバ系健康志向シニア」とか「オシャレ敏感新しいモノ好き女子」の様なクラスターが出てきます。一見”それっぽい”感じはするのですが、本当にそんな人いるんですかね?(笑)。というか、弊社の商品に対する反応は(どのセグメントでも)大体同じようなものなので、ターゲット選定に使えないんですよ。この様なタイポロジー自体は実務であまり必要ないし、もう(セグメンテーション)辞めようかな。結局、性年代で集計したデータ位しか使えないですよ。”
(省略)
思えば数年前、この仕事を始めたばかりのころ、担当していた、とあるFMCGクライアントにこんなことを言われたのを鮮明に覚えている
「ウチの会社、CM山ほど発注するから、電通がたまにタダで調査してくれるんだよ。でさ、セグメンテーションとか言って、参入しているカテゴリーの購買者をクラスター分析して、○○派女子とか、○×重視男子がいるとか言ってくるんだよ。まあ、口では何も言わないけど、仲間内では、いつも、あいつらバカじゃね?とかいってるんだよね」
で、一方、勤め先の調査会社では、同じく、この仕事を始めたばかりのころ、同僚がこんな会話していたのを鮮明に記憶している。
「お客さん(FMCG系クライアント)に、セグメンテーションの話をして、○○派男子がどうのこうのとか言っても、(マーケティングやリサーチに対するセンスがないから)ぜんぜん通じないんですよねー」
というかんじで、悲しいかな、ぜんぜん話はかみ合っていないわけです
がしかし、今回の場合、やっぱりお客さんのセンスが圧倒的に正しくて、いまのセグメンテーションがまったく使えないというのが真実なわけで、、その理由は、分析裏話に書いてあるとおり。
しかし、分けることが目的になってしまうのは、一体なぜなんだろうか
所詮、調査・分析などひとごとなのかもしれない・・・などと思わざるを得ないのであった
ラベル:
雑感-Marketing
2012-09-02
リサーチとリサーチャー、どっちが使えないのか?
久々にリサーチについて書いてみる。かなりどーでもよいのだが、今日のネタは、マーケティングリサーチの寺子屋についてなのでございます。
◆『ビジネスのためのデザイン思考』
以前の“モノづくり”は、モノにコトの知やデザインを施すことが“付加価値”であり、そのことで差別性を築いてきたのでしょう。だからモノはどんどん多機能化することになったのではないかとも思います。
つぎに、コトの知のみでの差別性が難しくなり、記号性をまとうことで“付加価値”を与える時代が来ました。『なんとなくクリスタル』(これまた古い^^;)の世界です。本質的な差異はなく、モノのもつ記号性自体が差別性となり、意味を持ちました。しかし、記号による差別性にも限界が来ます。ほとんど差別性のない商品が世の中に溢れるようになります。
この段階において求められるのが、顧客にとっての本質的な価値を起点に、顧客の生活、体験、コトという次元での新たな世界を生み出すことです
◆『デザイン思考が世界を変える』
「顧客に何が欲しいかと尋ねたら、もっと早い馬が欲しいという答えが返ってきただろう」と述べたヘンリー・フォードは、この点を理解していたのだ。(p.55) そういった(=創造的な)アイデアやコンセプトは、専門のコンサルタントを雇ったり、「統計学的に平均的な」人々にアンケートを行ったりすることで生み出されるものではない。(p.57 )
まず1つ目、「ビジネスのためのデザイン思考」について。
まあ、えらそうに言えば、書いてあることは、まあ、そーかなーと思えますね。ただ、書き方なんですけど、「モノ」とか「コト」とか「記号性」とか、、、いったい、なんでこんなに漠然とした単語を使うんだろーって感じです。いつも思うのだが、エスノグラフィーとか言い出し始めた最近のリサーチャーの文章って、質的研究ばかりやってる社会学者の文章みたいなんですよねー。
まあどうでもいいので、つぎ「デザイン思考が世界を変える」について噛みついてみる。
この例を読むたびに思うんですけど、そもそも顧客が「車をほしい」なんて答えるわけないと思う。だって、だれも「車」なんて物体があること知らないんでしょ。世の中にないから、フォードさんが発明したわけですよ。そんなわけで、この批判、そもそも無意味だと思う。
思うに、リサーチの価値は、顧客が「もっと速い馬がほしい」と思ってることを、事業者が知ることじゃないんですか?。で、事業者の役割は、、自分たちのビジネス環境で、顧客の要望である「もっと速い馬」を実現するためのアイデアを考えることですよ。で、もし、アイデアがうまく実現すれば「クルマ」って商品を発明できるんでしょ。なんとなく思うけど、顧客が「速い馬がほしい」と答えたとしても、クルマ発明できたのが、ヘンリーフォードの功績なんでしょうかね。たぶん、それはスティーブジョブスも同じで、「ネットができる使いやすい携帯電話がほしい」と消費者が答えれば、iPhoneを開発する気がする。調査結果を自分の事情環境でどう解釈するかは、事業者の役割そのもの。
といいつつも、調査が役に立たないと思うのも否定しきれない。ってのは、多くの場合、調査結果は、数字やグラフの羅列で、さらに悪いことに、多いとか少ないとか、増えた減った以外の事実を見出せないことが多いはず。原因の一つは、リサーチャーの力量不足だと思う。リサーチャーは、社会科学と相手のビジネスに通じていない人が多く、調査結果がビジネス上・社会科学上で何を意味しているのか理解できないことが多いわけです。報告する人がわかっていないんだから、発注者が理解できるわけない。まあ、全てそうでないと思うけど、すくなくとも私の周りはそんな感じですかね。つまり、調査が役立たないのではなくて、使えないリサーチャーが多いってだけかもしれない。まあ、自分を例外として扱える自信は皆無なのだが。
もしかしたらリサーチができるほどお金に余裕があるビジネスは、もはやリサーチしても、成長の機会がそう簡単に見つからないくらい市場が成熟しているのかもしれない。だから、リサーチしても、たいした発見もないし、発見できるわけもない、、、、といったところかもしれないなどとつれづれと思った休日なのでした
マーケティング・リサーチの寺子屋
◆『ビジネスのためのデザイン思考』
以前の“モノづくり”は、モノにコトの知やデザインを施すことが“付加価値”であり、そのことで差別性を築いてきたのでしょう。だからモノはどんどん多機能化することになったのではないかとも思います。
つぎに、コトの知のみでの差別性が難しくなり、記号性をまとうことで“付加価値”を与える時代が来ました。『なんとなくクリスタル』(これまた古い^^;)の世界です。本質的な差異はなく、モノのもつ記号性自体が差別性となり、意味を持ちました。しかし、記号による差別性にも限界が来ます。ほとんど差別性のない商品が世の中に溢れるようになります。
この段階において求められるのが、顧客にとっての本質的な価値を起点に、顧客の生活、体験、コトという次元での新たな世界を生み出すことです
◆『デザイン思考が世界を変える』
「顧客に何が欲しいかと尋ねたら、もっと早い馬が欲しいという答えが返ってきただろう」と述べたヘンリー・フォードは、この点を理解していたのだ。(p.55) そういった(=創造的な)アイデアやコンセプトは、専門のコンサルタントを雇ったり、「統計学的に平均的な」人々にアンケートを行ったりすることで生み出されるものではない。(p.57 )
まず1つ目、「ビジネスのためのデザイン思考」について。
まあ、えらそうに言えば、書いてあることは、まあ、そーかなーと思えますね。ただ、書き方なんですけど、「モノ」とか「コト」とか「記号性」とか、、、いったい、なんでこんなに漠然とした単語を使うんだろーって感じです。いつも思うのだが、エスノグラフィーとか言い出し始めた最近のリサーチャーの文章って、質的研究ばかりやってる社会学者の文章みたいなんですよねー。
まあどうでもいいので、つぎ「デザイン思考が世界を変える」について噛みついてみる。
この例を読むたびに思うんですけど、そもそも顧客が「車をほしい」なんて答えるわけないと思う。だって、だれも「車」なんて物体があること知らないんでしょ。世の中にないから、フォードさんが発明したわけですよ。そんなわけで、この批判、そもそも無意味だと思う。
思うに、リサーチの価値は、顧客が「もっと速い馬がほしい」と思ってることを、事業者が知ることじゃないんですか?。で、事業者の役割は、、自分たちのビジネス環境で、顧客の要望である「もっと速い馬」を実現するためのアイデアを考えることですよ。で、もし、アイデアがうまく実現すれば「クルマ」って商品を発明できるんでしょ。なんとなく思うけど、顧客が「速い馬がほしい」と答えたとしても、クルマ発明できたのが、ヘンリーフォードの功績なんでしょうかね。たぶん、それはスティーブジョブスも同じで、「ネットができる使いやすい携帯電話がほしい」と消費者が答えれば、iPhoneを開発する気がする。調査結果を自分の事情環境でどう解釈するかは、事業者の役割そのもの。
といいつつも、調査が役に立たないと思うのも否定しきれない。ってのは、多くの場合、調査結果は、数字やグラフの羅列で、さらに悪いことに、多いとか少ないとか、増えた減った以外の事実を見出せないことが多いはず。原因の一つは、リサーチャーの力量不足だと思う。リサーチャーは、社会科学と相手のビジネスに通じていない人が多く、調査結果がビジネス上・社会科学上で何を意味しているのか理解できないことが多いわけです。報告する人がわかっていないんだから、発注者が理解できるわけない。まあ、全てそうでないと思うけど、すくなくとも私の周りはそんな感じですかね。つまり、調査が役立たないのではなくて、使えないリサーチャーが多いってだけかもしれない。まあ、自分を例外として扱える自信は皆無なのだが。
もしかしたらリサーチができるほどお金に余裕があるビジネスは、もはやリサーチしても、成長の機会がそう簡単に見つからないくらい市場が成熟しているのかもしれない。だから、リサーチしても、たいした発見もないし、発見できるわけもない、、、、といったところかもしれないなどとつれづれと思った休日なのでした
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