不道徳教育 (単行本)
ブロック.W (著), 橘 玲 (翻訳)
講談社 (2006/2/3)
リバタリアンの考え方を、一般向けに解説した本
著者の主張を一言でまとめると、こういうことだと思う
「社会に存在する歪みを、国家権力は解消するどころか、より酷くしている。むしろ、歪みの解消には、国家権力よりも、市場による調整の方が有力である」
社会に歪みが存在するのは、国家権力による不合理な介入があるからだ、と著者は主張する。だから、国家による介入を止め、経済的な交換に任せれば、社会に存在する歪みを消滅させることができるはず。
そのよい例が、麻薬の自由化。
国家権力による麻薬の違法化は、麻薬価格の高騰と、非合法組織(ヤクザ・ギャング)の蔓延を招いている、だからこそ、麻薬を自由化すれば、非合法 組織や、麻薬をめぐる犯罪は消滅することになる、と著者は主張する。そして、この主張は、多くの著名な経済学者によって、支持されている。
著者は、この調子で、次々と擁護できないものを擁護していく。
(Defenfing the undefendable)
見事な論理展開、と言うしかない
しかし、、、だ。
素人考えでは、交換による調整が優れている根拠は、実は、最初に、そのように定義したからではないのか、という疑問が残る。
そもそも交換が成立するには、自分が必要としている財と、他人は必要としない財とを交換することが必要。すると、交換が成り立つとき、自分の財 は、交換前よりも価値が大きくなる。よって、交換が成り立つ社会は、交換が成り立つ前よりも、社会全体の価値も大きくなるのは当然。そして、その結果を指 して、市場が効率的というのではないのか。
だとするならば、市場が効率的なのは、交換を許したことによる必然的な結果といえないか。
もし、この理屈が、それなりに正しいのであれば、国家による介入よりも、市場における自由な交換が効率的だということをあえて言うことに、ほとんど意味はない。そもそも、そのように定義しただけだから。
他にも突っ込みたいところはたくさんある
でも、まあ、あまり言うのも野暮な気もする。
とはいえ、面白い本であることは、間違いない。
ところで、国家権力の介入を執拗に批判する著者の姿勢に、マルクス主義(的フェミニスト)の幻影を見たのは、僕だけだろうか。もちろん、両者が目指すありうべき社会の形は、あまりにもかけ離れたものであるのだが。
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