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2020-08-16

効果検証入門 ~正しい比較のための因果推論

効果検証入門
~正しい比較のための因果推論/計量経済学の基礎
安井翔太(2020) 技術評論社

 [表紙]効果検証入門 ~正しい比較のための因果推論/計量経済学の基礎

因果関係と相関関係を混同しちゃダメという話を初めて聞いたのは、たしか統計の授業だった。そして時は流れ20数年、いまや実務家までもが、因果と相関の違いを口にするようになった。がしかし、じゃあ、因果関係をどうやって立証すればいいのかと問われると、ふと困ってしまう人大半。多少、気の利いた人ならばABテストするしかないと答えるはず。しかし、現実的には、単純なABテストできる物わかりがよい状況ばかりじゃない。ABテストができなかったり、あるいは、すでにキャンペーンをした後から、効果(=因果)を知りたいというグタグダなケースも、少なからずある。

因果関係とは、実務的に言い換えると効果検証のことだ。そして、効果検証は、開発・計量経済学で発展した。なぜか?たとえば、先進国は、途上国にODAなどで多額の開発資金を投入している。が、使ったお金は税金。その効果を納税者に説明する義務が、政治家や役人にはある。で、経済学者と統計学者は協力して、実験が難しい状況で効果測定するすべを考えた。そして、そのノウハウは、いまやわれわれ実務家に広まりつつある。しかも、PythonやRを使えばタダで。そのエッセンスを手っ取り早くつかみたければ、この本を読めばいい。

一般的な回帰による検証を試すと同時に、その限界を示す。そして、本題の傾向スコアと回帰不連続デザインの説明に進む。Rコードも記載していて、この上なく親切。星野先生の本を先に読んだ(→といっても全部理解したわけではない)身としては、先に読んでおきたかったと思うこと数知れず。

「原因と結果」の経済学・学力の経済学の続編

2018-01-26

問題発見プロフェッショナル―「構想力と分析力」



問題発見プロフェッショナル―「構想力と分析力」
ダイヤモンド社(2001)
齋藤 嘉則  



正月によんだ問題解決プロフェッショナルの発見編

ある問題を解決したい場合、人々は解決するためのツールを探そうとする。がしかし、ツールを頑張って探し、工夫して使っても、問題が解決しない場合がある。それはなぜか?問題の捉え方が悪いからだ。問題のとらえ方を間違えると、問題解決のツール選定も同時に間違える。いわゆる筋悪の問題設定というやつだ。というわけで、この本は、どうやって問題をとらえるべきか?、つまり、問題発見プロセスのノウハウについて書いてある。その意味で、この本は、問題解決プロフェッショナルのさらに上位に位置する本だ。

問題発見で大事なことは、前提を疑うことだ。目の前の業務は、なぜ、この手順なのか?一つ一つの手順の意味を問い直す必要がある。それを著者は、問題発見の4P(Purpose・Position・Perspective・Period)と呼んでいる。初めに、4Pで目の前の問題を再認識し、さらに4P間の関係を再構築する。それおこそが、あるべき姿だ。あとは、あるべき姿に向けて目の前の業務を具体的に変革すればよい。この、現状を正しく認識し、描いたあるべき姿と現状とのギャップが問題発見そのものである。

書いてあることはもっともなことであり、解決編と同様に、さらりと読める。しかし、なんとなく理解できることと、実際に行動できることとの間には、大きなギャップがあり、それが、市井のしがないサラリーマンと、かの有名なマッキンゼーのコンサルとの違いでもある。そして、この本に書いてあるようなことを、コンサルの営業先で、自分の実体験に基づき、その会社の問題に引き寄せて、滔々と、しかし、さらりと話すことができたら、それはそれはたくさんの注文が取れるはずである。

気になったのは、あるべき姿を構想するということだ。正直なところ、経営戦略やマーケティングという分野は、それなりに定型化=あるべき姿がすすんでいる。物流や経理も、学者が調べたことがたくさんある。ということで、わざわざ自分でゼロから考えるよりも、単純に、学者の理論を、目の前の改善したい業務に当てはめる方が簡単なような気がした。がしかし、たとえそうだとしても、他人の気持ちになり(Position)、目の前の物事を時間軸と視野(Period・Perspective)広く、あらためて本質を考え直す(Purpose)ことは、手あかにまみれたサラリーマンだけでなく、全ての人の全ての人生の場面で、とっても大事なことなはずなのでございます。

2017-07-16

「原因と結果」の経済学

「原因と結果」の経済学

中室牧子・津川友介
ダイヤモンド社 (2017/2)


相関関係と因果関係が違うことを、改めて説明した本

心理学を学ぶ人ならば、イの一番に、統計学と実験計画のお作法を習う。そして、その時に、実験計画を研究に組み入れる理由を学ぶのだが、まさにそれが、相関と因果の違いを区別するためだ。心理学や、一部の計量モデルをつかう社会学・経済学の人たちにとって、この本が書いていることは、特段目新しくも何でもないと思う。がしかし、誰かにとって当たり前でも、その他の人にとっては当たり前ではなく、そこを新しい商売のネタを見つけるというのは、世の中を生き抜くうえで重要なテクニックなんだろうと思ったりする

アメリカの経済学者が、びっくりするような予算を獲得して、研究に社会実験(ランダム化比較試験)を行っていることに、アメリカ人の大胆さに感心したり、あきれたりしてしまう。他人との調和とか、あらゆる人の平等のプライオリティーが高い日本では、未来永劫、こんなことはできない気がしてならない。

ビジネス分野でランダム化比較試験にあたるのはA/Bテストだ。たとえばお客さんを2つのグループに分けて、片方だけ販促を行い、両者の売り上げを比較し、投資効果の検証を行う。アイデアとしては、バカげているほど単純だけど、何も知らない上司や、稟議を審査する経営茶坊主たちを説得するには便利なツールなのだ。科学的な装いを担保しつつ、簡単でバカでも理解できるツールを使えば、何も知らない上にプライドが高いやつらを簡単に説得できる。

回帰不連続デザインや操作変数法も、カンと地頭がよいビジネスマンならば、普通に上手に使って誰かを説得しているのではないだろうか。ただし、この手のものは、バカとハサミは使いようというのと同じで、マニアックで凝った比較デザインのデータを見せられても、つまらないことにこだわっているようにしか見えない時がママある。比較の正しさにこだわった結果、なんか一般性が低くねえか?的なことだ。この辺のサジ加減は結構難しい。

お前が作った分析には考慮していない要因がある、というのもありがちな突っ込みだ。第三の変数があるだろうと。実は、自分の場合、その変数を無視した理由を上げつつ、無視して何が悪いと逆に居直ることが多いのだが、そうも言ってられないこともたまにはある。そういう時は、回帰分析をするしかない。回帰分析も便利なツールなのだが、いかんせん、何も知らない上司や経営茶坊主たちに分かりやする説明するのが面倒。自分の感覚では、SQLで数字をつくり、Rをこねくりまわし、モデルが当てはまりましたという段階は、まだ6合目あたりでしかない。モデルが当てはまるようにいじくりまわした変数たちを、上司や経営茶坊主たちが、素直に納得し、それでいて発見があり、かつ適当にほめられつつ、けなされつつ、なおかつ、見て楽しい図にまとめる必要がある。塔がったった中年オヤジたちを相手にするとは、まったく面倒な話なのだ。

ごちゃごちゃ書いたけど、相関と因果の違いを知りたい人は、まずこの本でお勉強するのがよろしいかと思われます。



2016-12-04

言ってはいけない

言ってはいけない (2016/4/16)
新潮新書
橘玲

[橘 玲]の言ってはいけない―残酷すぎる真実―(新潮新書)



駅の本屋で、何となく買ってしまった本

個人的には、遺伝子が人の性格や行動に影響を及ぼすのは、もはや当然だと思う。環境と遺伝かどっちと言われれば、たぶんどっちもということで、例えば、この資質ならば、遺伝が何%ってな具合で。

そもそも、人の容姿・運動能力に、親の遺伝子の影響を否定できる人はいないはず。そう考えると、性格や思考が、脳の活動の一部ならば、これらが親の特徴を引き継がないわけがない。

実は、人を調べる学問は、イデオロギーなしでは語れなかったのではないのか?
一番良い例が、フェミニズムだ

正直なところ、フェミニズムが何を言ってきたかなんてわからない。だけど、あの人たちの言っていることは、生まれてきた人間はまっさらで、育て方によって、人はいかようにもなると。であればこその、男女平等だった。だけど、それこそが、単なるイデオロギーだったのかもしれない

普通に考えれば、男女、あるいは全ての人が全く同じわけない。優秀な運動選手は、圧倒的に、黒人が多いはず。個人的な感想だけど、女性は、男性より、競争よりも圧倒的に協調性やコミュニケーションを重視する。私は、女性が多い(強い?)職場で働いているのであるが。、運動能力、論理性と長期的な価値判断は、男性が勝っているのでは?と感じることがよくあるし、それは、女性が、男性に期待する資質だ、という気さえする

昔から進化心理学とか、進化生物学の本をよく読んできた身としては、内容に目新しさとか、斬新なところは見当たらなかった。正直なところ、どれもこれも、聞いたような話ばかりだった。たぶん、読書とは、自分が好きなテーマを扱う異なる本を、たくさん読むことなのかもしれない

大げさなタイトルで、特定の世間からは反感を買うかもしれないけど、実際のところ。普通の人が普通に感じていることを、それなりの科学的な根拠でまとめた本、ってところなのではと思った次第なのでございます

2016-05-08

ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学

ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学
入山 章栄  日経BP社 (2015/11/20)



今年のGWは、すごく久しぶりに、学者が書いた経営学の本(一般向け)を読んでみた

一言でいえば、サラリーマンやってれば、誰でも何となく感じる疑問、例えば、

・リーダーシップとは何か?それを発揮しやすいマネージャーとはどんな人?
・ポジショニングと人材、どっちが利益に貢献するのか?
・ポーターの経営戦略は、ドックイヤーと揶揄されるITベンチャーでも役立つのか?

と言った疑問に、実証(データ)科学としての経営学が、どんなふうに答えるのかを、まとめた本。

どの話題も、とっつきやすく、それでいて、きちんとデータに基づいて、現時点の結論をわかりやすくまとめているところが素晴らしい。筋書きもシンプルで、スルスルと1~2日で読める、というか読んだ。

この本を読んで初めて知ったのだが、ポーターやドラッガー、クリステンセンが、入山さんが目指す実証分析や理論分析で評価されてきたた学者ではない、ということだ。もちろん、彼らが偉大な学者ということには、入山さんも異論がない。で、なんで、そんなことが成り立ったかといえば、経営学がまだ若い学問で、意地悪な言い方をすれば、ほかの社会科学(経済学とか)にくらべて理論らしい理論がないからだったから、と言っている

これを見て、何となく思ったのが、そういえば、社会学にも、論文を書かなくても偉くなった人いたかもねということだ。たとえば、上野千鶴子は、社会学では、たぶん重鎮なんだろうけど、業績のほとんどは、本を書いたことであって、査読つき論文は、ほどんどない、あるいは、立場がえらい割には少なすぎる気がする(たぶん)。なんかの本で、上野千鶴子がアメリカの大学に留学?したときのことが書いてあったけど、煎じ詰めると、レトリックを重視する私=上野千鶴子のスタイルでは、英語を使って勝負できない(=つまり、自分の英語力では、ネイティブを煙に巻くような議論はできない)から、日本に帰ってきた、といったことが書いてあった。自分の主張する内容より、その場の議論の勝敗のほうが重要だといってのける彼女は、一体何者なんだろうか、と思ったものだ。

残念ながら、この本を読んで、またほかの経営学の本を読んでみたいとはならなかったのだが、まあ、読みやすかったし良かったのではないのでしょうか。あと、この本に書いてある内容は、一流紙の査読付き論文の折り紙付なのは事実でしょうが、では、これが経営学の最先端の話題だったのかが気になりました。もちろん、内容の読みやすさとのトレードオフなんでしょうが。

2015-12-19

「学力」の経済学




「学力」の経済学(2015/6/18)
中室 牧子 (著)


経済学者が、学力の投資効果を、計量経済学をつかって明らかにした本、というか、教育経済学が明らかにした内容を、世間様向けにまとめなおした本。

正直なところ、ずいぶん前に呼んだので、すっかり内容を忘れてしまった。ただ、読みながら思ったことといえば、これをなぜ経済学者が?ってこと。

一般向けの本だからなんだろうが、テーマが良い意味で俗っぽい。雑な書き方しかできないのだが、子供の成績を上げるために、ご褒美を上げるべきかとか、ほめるべきかとか、どのタイミングで、どんな内容の教育に投資すると、大人になってよい報酬、まあ、言ってみればお金持ちになれそうなのか?といったところなのだ。

教育と名のつく学問分野といえば、普通に教育学とか、教育社会学とか、教育心理学とか、そんなとこがすぐに思い浮かぶ。で、ずいぶん昔からあるこれらの分野は、なんで教育経済学で研究した内容を、誰も手を付けなかったんだろうか。

この分野の開祖で、ノーベル経済学賞をもらったJames Heckmanは、最初、労働経済学者だったらしいが、貧困解消の政策効果を調べる中で、教育の投資効果を調べるようになったらしい。何となくだけど、なんで社会学者が、この手のテーマを調べていなかったのが、すごく不思議なのだ。しかも、Heckmanは、なんとすごいお金をかけてパネル調査を行ったらしい。よくわからないのだが、やっていることは、計量社会学みたいなので、ほんと、なんでなんで?とおもってしまうのです。

さらに不思議なのは、はっきりとはわからないけど、Heckmanの業績を、教育社会学者が完全無視しているっぽいところ。というのも、Google先生で、Heckmanと教育社会学とか、そんなキーワードで調べてみたのだが、まったくヒットしないのです。

そもそも教育社会学って、何だったけ?と思い、いろいろネットを見ていたら、実は、教育社会学はまだ何を調べるべきかがよくわかっていない分野なんですとか、教育とは社会によって構築されてたものなので、教育を脱構築する必要があるとフーコが言い出したとき、教育学者はみんなフーコファンになってしまいましたとか、そんなことが書いてあった。まあ、なんでしょう、教育学者は、新興宗教の門徒のごとく、人間社会から解脱しようとしていたので、世間様の下世話なテーマなど、目に入らなかったということなのかもしれない。こんなことを書くと、また、頭がおかしいと思われてしまいそうで怖いのだが、フーコとか言っている社会学者は、自分たちは、スーパー客観的だというものの、僕から見ると、新興宗教を信じているようにしか見えないというか、フーコは新興宗教の教祖のように見えるのは、何かの間違いなのだろうか。

詳しいことわからないけど、社会や学問、あるいは自然科学でさえ構築されたものって、そんなこと当たり前じゃんって気がする。何かについて考えるためには、なんらかの前提なり、ものの見方を事前に構築することが必要であり、その見方とは、未来永劫ベストかどうかわからないけど、ひとまずそれで色々考えてみますってことだと思うから。それを指して、恣意的だとかなんだかんだ言うのは、批判している自分たちだって、この考え方から逃れえないのに、敵方だけを批判するのは、なんだかずるい気がするのであるが、どうなんでしょうかね。

関係ないことばっかり書いちゃったけど、本に関していえば、「お金を稼ぐためには、知能よりもコミュニケーション能力とか、忍耐強さが大事」とか、「成果をほめるよりも、努力を誉めたほうが、努力を促しやすい」とか、まあ、ごく当たり前なこと、いや当たり前のことが大事だと思っておりますが、がたくさん書いてあると思われ、まあそりゃ、この本売れるはずだよなと思った次第なのでございます。

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'15/12/31追記

教育社会学(or 教育心理学)が、教育経済学が指摘した成果に言及しないのはなぜ?ってことに、守先生が答えていた。



守一雄のホームページ
DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY
【これは絶対面白い】
中室牧子 『「学力」の経済学』 (ディスカヴァー¥1,728)
http://www.avis.ne.jp/~uriuri/kaz/dohc/dohc1601.html


科学的な方法論を用いることではじめて信頼に足る結論が導き出せるのであると信じてきました。しかし、なかなか明確な結論が出せないことばかりで、(中略)ほとんど成果が出せなかったのは残念なことです。

 だからといって、世の中は教育心理学の成果を待ってはくれません。教育心理学の知見を踏まえた教育政策をすべきだと思っても、政策への提言ができるほどの確固たる研究成果を教育心理学者は提供できていないわけです。その結果、「ゆとり教育」の導入にも、その後の後退にも教育心理学者は何の役割も果たせませんでした。特定の教育政策を取る前に、実証的な実験を全国の国立大学教育学部の附属学校でやるべきなのだ、と授業では話しても、文科省はおろか附属学校のトップさえ動かすこともできない自分の非力さは情けないかぎりです。

(中略)

思えば、教育心理学が政策決定などに影響力を持てなかったのは「おカネ」のことを考えなかったからです。おカネが絡むことを何か汚いことのように考えて避けてさえきたと思います。しかし、世の中を動かすのは結局おカネです。そうした意味で、経済学者なら力を発揮できると思うのです。


よくわからないけど、とっても正直な感想なのかもしれない

中室さんが教育経済学の成果といった研究結果の多くは、教育心理学、あるいは教育社会学の成果だという気がする。でも、そんなこと当然なはず。なぜならば、学際的な教育学といえば、心理学か社会学に決まっているから。その意味で、守先生は、トンビに油揚げをさらわれた感があるのかもしれない。だけど、社会学者や心理学者が、人の心や社会の構造、あるいは社会階層の再生産といったことに注目して、社会の中で教育をどう役立てるべきか?とか、効率的な教育、教育の資源配分方法といった内容にに注目できなかったのは、彼らが、社会のエンジニアとしての学者という役割を意識しきれなかったような気がいする。経済学は、おおざっぱに言えば、金勘定抜きにして語れない面が多分にあるので、学者であり、エンジニアという側面がある気がする。がしかし、心理学や社会学は、本当に、象牙の塔に立てこもっている印象があり、その辺が、なんとも、という感じなのであり、フーコーとか言い出すと、もう病気?って気さえするのです

2015-09-08

小ネタ

★ 小ネタ1

とある飲み会で、某メディア系の人と一緒になった。その時、どんなわけか、アサヒ芸能といった、人の噂話とエロ・カネネタ満載の、いわゆるゲス極まりない週刊誌の話題になった。そして、その方に、アサヒ芸能に書いてある、あの下世話な噂話(→その人の勤め先も、その手の週刊誌にスキャンダルをすっぱ抜かれたことは、一度や二度ではないはず)の類って本当なんですかと、聞いてみた。すると、完全にウソでもないけど、ホントでもないことが、そういった週刊誌には書いてあるといったたぐいのことを、彼は答えた。

その答えを聞いたとき、よく考えてみれば、そうなるかもしれないと思った

嘘だけで記事を書いてしまうと、嘘を書かれた相手は、間違いなく名誉棄損で訴える。だって、何の根拠もないんだから、嘘記事を書いた週刊誌側に非があるのは当然なのだ。そして、ここまでは、当たり前の話。ここから、いつものようにいろいろ考えてしまったのだけど、完全にウソでもないけど、完全に本当でもない誇張した話は、ネタにされた相手は、週刊誌を名誉棄損で訴えることはできない。

なぜならば、誇張しはなはだしい記事を裁判で訴える場合、実は、裁判を起こす側は、ウソ以外の他人様には公表したくない不名誉な事実を認めざるを得ないから。

たとえばの話。ゲス週刊誌が、嘘も事実もごちゃまぜにして、とある芸能人の性生活を、面白おかしく赤裸々に描いたとする。そして、その元ネタは、その芸能人の元愛人か何かだ。その芸能人は、面白おかしい嘘を、世間に公表されたダメージたるや計り知れない。がしかし、もし、週刊誌にウソを訂正さる裁判を起こす場合、愛人との性生活の一部は事実なのだから、それを、裁判で認める必要がある。だけど、そんなこと、世間様に公表できるワケない。となると、裁判するくらいならば、一時の恥を忍んで、嵐が過ぎ去るのを待った方が得策というものだ。

こういうのって、ゲーム理論とかで考えると、どうなるんだろう、といったことをぼんやり考えつつ、飲み会が早く終わらないかなあと、ぼんやり考えていたのであった

★小ネタ2

ある飲み会で、

「おれって、いわゆる業界人だからさ~」

的なノリで話し続けた人がいた。まあ、たぶん、その人は、とてもいい人であることは間違いないんだけど、全身から勝ち組オーラを隠し切れないのが、その人の欠点といえば、そうなのですよ。

ただ、年収も、僕の倍はあるんだろうし、そこについて、ぼくは何かを言うつもりはない。

で、飲み会も解散し、帰り道のすがら、同席してた女の子と一緒に駅までしゃべりながら帰った。その時、彼女たちが、その人を、「いくらなんでも調子乗りすぎじゃない、あの人」的なことを言っていた。彼女たちいわく「在京キー局といえども、もはや、かつての勢いないじゃない」と。

何となく思ったのだが、そうは言っても、彼女たちは、ああいった男の手に落ちるんじゃないのだろうか、ということ。女の人は、結局、金を持っていて、自信満々の男には弱いと思う。カネと自信があれば、多少小汚くても、腹が出てても、口が臭くても、女性を見下していても、許せてしまうのではなかろうか、となんとなく思っている。

金融日記というブログに、女の落とし方が書いてあり、本まで出版している。書いてあることといえば、本人曰くPh.Dまで持っている割には、本当にゲスの極みなのである。が、一方で、この人にネタを提供した女の子もたくさんいるのも、おそらく事実なのであろう。まあ、簡単に言えば、女性の側のSugar-Coatingな意見からすれば、まじめに恋愛しようとしたということなのであろうが、結局のところ、金と名誉と見栄を目当てにセックスしたわけであり、言っていることとやっていることとは、まあ、一緒じゃなくて当然だよな、と漠然と思うわけなのでございます

なんて、話題なんだと思うけど、まあいいのです

2015-06-14

遺伝子の不都合な真実


遺伝子の不都合な真実
~全ての能力は遺伝である~
安藤 寿康 (著)



久々に、学者が書いたまじめな本を読んでみた。近頃、仕事しかしていないようで頭が悪くなってきたらしく、かなり読みにくかったけど、以下、読んだ感想もろもろ。

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ホリエモンが、金持ちであろうが貧乏人であろうが、勉強しさえすれば東大にだれでも合格できる、といった類のことを言った記憶がある。

彼らしい言い方だ。この、あまりのナイーブさが、強く人を引きつける一方、強く人に拒絶される原因なんだろうとよく思う。

多くの人は年を重ねるに従い、親の行動特質、あるいは性格を、わが身の行動に見ることが少なくないように思える。自分のことで振り返ってみる。父親の性格を一言でいえば、頑固で忍耐強いというのが長所だ。短所は、当たり前だけど、融通が利かず、その場の状況に応じて柔軟に対応することができない。一方母親は、見事に逆の性格。忍耐など持ち合わせいていないけど、悪く言えば何でも適当、よく言えばその場の状況に応じて柔軟に何でも対応でき、社交的だ。そんな二人、夫婦生活がうまくいかないのは当然のこと、、、というのは身内の話。

年を重ねるにつけ、両親の性格が自分に内在していることを強く感じることが多い。

職業柄、議題を整理して分析内容を明らかにしたり、その先、忍耐強くプログラムを書き、モデルを作り、主張すべきポイントをまとめ、分かりやすい資料を作り報告する、、といった作業を日々行う。この作業で最も重要な素養は、頭の良さというよりも、忍耐強さだ。支離滅裂な議論の見通しをつけ、分析に耐えうる内容に昇華する、、、など、どんなに頭が良くても辛抱強くなければ務まらない、と思う。で、次に重要なことは、楽観性と愛嬌だ。いろんな人がいろんなことを、その時の気分で何かを言うので、その時点の課題が何か?、そして、どんな結論を出すべきか?といったことがあいまいなことが多い。そして、まじめに考えると、正直なところ、どんな結論がでると、多くの人が納得するかも未知数だ。そんな曖昧な状況で、しかも十分な時間もデータもない中で、エイヤーと結論を出すには、いろんなことをあるところであきらめ、結論を出してしまう勇気が必要なのだ。そして、それには楽観的でなくてはならない。さらに、報告するときも重要だ。正直、イマイチな報告であっても、オーディエンス、あるいや経営層が許してくれる時とそうでない時がある。報告内容にケチがつき炎上するのは、まあ最悪な展開。なんら建設的なことは生まないし、物事も前に進まない。だけど、イマイチな内容だったとしても、なんとなく報告者の人柄、あるいは愛嬌で、前向きな雰囲気がうまれ、その報告が次のアクションにつながることがある。そして、それはそれで成功なのだ。

そんな、忍耐強く報告内容をまとめる自分の中に父親の幻影を見るし、報告時によくわからないことを、適当に愛嬌でごまかそうとする自分の中に、母親の影響を見ることがある。これを、遺伝の影響か、環境の影響といわれれば、正直、よくわかない。だけど、なんとなくだけど、環境の影響に注目するならば、ものすごく多くの時間を過ごした学校教育の影響は、自分の行動特性に全くなかったと言い切れる。なぜならば、自分の行動は、先生よりも両親に似ている気がするからだ。学校教育は、親の性質のベースがあってのものだという気がいする。

よく考えてみれば、運動や体型で親の遺伝の影響を否定する人はいない。なぜならば、それは見ればだれにとっても明らかだから否定しようがない。美人の親の子供は美辞任に決まっている。そう考えると、性格や行動だけが似ていないというのを否定するのには土台無理がある。

といったごく当たり前のことが書いてある本。言い換えれば、努力する内容にも、向き不向き、あるいは報われるものと報われにくいものがあり、それは人によって違うということ。当たり前かもしれないけど、努力すれば何人にでもなれると喧伝する教育者にとっては不都合な事実かもしれない。さらに、社会の側が、稼げる才能と稼げない才能を峻別せざるをえないとするのであれば、生まれながらにどの程度稼げるか稼げないかが大体決まってくることになり、それがもう一つの不都合な真実なのかもしれない。

2014-02-22

ウォール街の物理学者 ジェイムズ・オーウェン・ウェザーオール


ウォール街の物理学者
ジェイムズ・オーウェン・ウェザーオール


ウォール街の物理学者


mathematical physics and applied mathematics meet financeといった内容の本

株価や債券の時系列変動から、かのアインシュタインよりも先にブラウン運動の考察を行ったバシュリエ。数学者をあきらめ、実務家に転じたのち、確率微分方程式を使ってコールオプションの合理的な価格づけを実現したブラックショールズ式を発見?し、ノーベル賞をもらいそこねたブラック。数学者を目指したものの、異端の烙印を押され、フラクタルという独自の世界を切り開いた結果、ファイナンスを正規分布の頸木から解き放ったマンデルブロ。遺伝的プログラミングやカオスといった最新のコンピューターサイエンスを金融の世界に持ち込んだファーマーとパッカードなどなど、異端の数学者や、物理・コンピューターサイエンスの知見をファイナンスに持ち込んだ学者たちの話が書いてある。

個人的に気になったのは次の2つ
1つ目は、モデル設計の思想について
たぶん、適用する分野によらず、数理・統計モデルを使うとき、

  • 自分たちが知っている構造を数学や統計を使って再現
  • 与えられたデータを最もうまく再現するモデルを構築
という2つのいずれかを重視するかと思う。前者は、おそらくモデル構築を通して、分析対象の理解を深めたいときに重視すると思うし、後者は、分析対象のダイナミクス理解よりも、予測結果の妥当性を重視したいときに使うのだと理解している。

この本にも、ブラックが構築したモデルまでは前者だったけど、それ以降は後者になりつつあるといったことが書いてあり、金融の世界は、まあそうなのかなあと漠然と思った次第

もう一つは、正規分布とコーシー分布の話

コーシー分布、というか、レヴィ安定分は、ごくたまに、すごくマニアックな統計本に出てくるのを目にしていたけど、正規分布と形とよく似ているし、なんでこんなものが改めて出てくるかさっぱりわからなかった。だけど、今回、この本を読んで、初めて、なんとなく理解できた

で、それが何かといえば、たぶん、正規分布は平均値と標準偏差をパラメーターに持つけど、形がよく似ているレヴィ安定分布は、平均値がパラメーターではないという点、ではないか

何が重要かといえば、たとえば金融で言えば、たとえば株価収益率が対数正規分布に従うのであれあれば、平均値と標準偏差でリスクをコントロールできる。だけど、株価収益率が、レヴィ安定分布に従うのであれば、収益率の平均値や標準偏差を使ってもリスクをコントロールできない、なぜならば、正規分布よりも大きく裾を引くからといったかんじなのかと思う。そして、その場合、リスクをコントロールするには、とても難しい数学が必要なのだろう。

翻訳も適切で、かつ、難しい話よりも登場人物の生い立ちに焦点が絞ってあったので、すごく読みやすく楽しんで読めた。ちょっときになったのは、経済学者との交流、というか、経済学者の評価が低かったこと。

異端の数学者たちが金融で活躍できたのは、経済学が数学を重視するからに他ならない。祖いう言う意味で、経済学が数学をベースに理論を推し進めてきたことが登場人物たちの活躍の背景にあるのに、経済学が使う数学のレベルが低いとか、イノベーションを受け入れにくいと一方的に批判するのは、理系が文系よりも優れている的なもののひとつな感じがして、とてもいただけなかったのが残念だった。といったも、ちょっとまえのシグナル&ノイズにくらべれば、断然面白内容だったので大満足

2014-02-08

シグナル&ノイズ ネイト・シルバー

シグナル&ノイズ 天才データアナリストの「予測学」
ネイト・シルバー

シグナル&ノイズ 天才データアナリストの「予測学」


ここ数年続いているビッグデータ祭りは、収束するどころかどんどん大きくなっている。で、そんな中で、同業者、というにはあまりにも偉大な著者が、予測、もっとおおざっぱにいえばデータ分析をする時の心構えをまとめた本

ネイトは、スポーツからギャンブルといったやわらかい話題から、サブプライム問題、天気予報、地球温暖化といった硬い話題まで、予測するためのノウハウをまとめてた。こんなにもたくさんの話題を扱い、そして統計学からシスムダイナミクスによる予測まで論じられるのは、本当に素晴らしいと思う

だけど、正直な話、野球の話は読んでいておもしろかったけど、それ以外は退屈だった

予測が難しい分野、たとえば地球温暖化や世界経済などを取り上げて、この分野の予測は当たっていないと批判するのだけど、当たっていない理由がpoorなのだ。例えば、信頼区間を考慮していないとか、予測結果を謙虚に検証していないからだとか、そんな話の連続で辟易した。簡単に言ってしまえば、頑張って書いた大学生の卒論みたいな内容なのですよ。あと、ベイズを賞賛しているしている理由もよくわからなかった。頻度主義というか今主流の統計学で足らない部分があるのは事実なんだろし、今後ベイズを使う場面は増えるのだろうけど、ベイズが全てを取って代わるとも思えない。実験計画法と分散分析・社会調査・計量経済学などオーソドックスな統計学は、Fisherを祖とする分野そのもののだし、これらの分野がベイズによって劇的にかわる気もしない。

いずれにしても、買うほどではなかったとかなり後悔

2011-08-30

また読みたい本が増えたのだ

今日、お昼休みに本屋でブラブラしていたら、なぜか、この本が目にとまったのだった。

競争の戦略(Competitive Strategy)
マイケル・ポーター



これ、すごく有名な本で、大きめの書店なら、必ず1冊はおいてある。が、買った人のほとんどは、ちゃんと読んでないともおもわれ。まあそんなこともあり???、どーーせ5Forceの本だろー、、とタカをくくっておりました。でも、今日、何となく手にとって目次を眺めたところ、5Forceでは語りつくせない、すごくこゆい内容が含まれていてアゼン。

5Forceとは、どーも、ポーターが提唱する理屈の一部みたい。むしろこの本の勘所は、ゲーム理論のCommitmentやSignalを使って、業界内外の競争構造を分析する所のようなのだー

以前、ゲーム理論を経営戦略に積極的に持ち込んだバリーネイルバフの本を読んだとき、ポーターの元ネタも産業組織論とゲーム理論なのですよ、と書いてありました。がしかし、イマイチ、5Forceとゲーム理論が結びつかず、腑に落ちなかった。が、これでようやく合点がいったのだった。

はやく買いたいところだけど、まだ、かのコトラーの分厚い本が半分残っている。しかも、最近、飽きて読んでないし。さっさと、コトラーを読み終えて、次に行きたいなーなどと思った火曜の夜なのでした。

しかし、Competitive Strategyって、英語そのものもかっこいいよなー

2011-05-16

An Introduction to Models in the Social Sciences

昨夜思い立って、前から読んでみたいと思っていた本を買ってしまった

An Introduction to Models in the Social Sciences
Chales A. Lave, James G. March(1993)


わが社でモデルを使った分析を行うこととは、すなわち、分析手法に多変量解析を使うことを意味します。まあ、そりゃそうなんです。この場合のモデルとは統計モデルのことですよね。でも、モデルの本来の意味は、ある現象をうまく説明できる要因を、因果関係や相関関係などで構造化したものだと思います。その意味で、モデリングの方法とは、統計学に限らず、解析とか線型代数、はたまた言葉によるなど、べつに手法は問わないはずです。そう考えると、モデリングの本来の意味からすれば、モデリングは、モデルの説明力とか含意の大きさこそが、モデルの価値につながるはず。

ということで、この本は、(社会科学において)モデリングを行うとは、どいうことか?つまり、どんなモデルがあって、何に注意すべきか?について説明している本、、、、で、モデリングの本質について解説した本なはずなのですよ。

で、なんと昨夜注文して、今日の夜には手元に届きました。

ちょっと読んでみたところ、社会科学で言うところモデルには、代表的なのがいくつかあり、それは

・選好(Choice)
・交換(Exchange)
・適応(Adaptation)\学習(Learning)
・Diffsion(拡散)

と書いてありました。今まではっきり考えたことなかったけど、そーいやそーだと合点が言ったのでありました。とくに適応と学習は、僕の大好きなモデルであり、いまから読むのが楽しみなのです。

コトラーのマーケティングマネージメントを読むまでもなく、マーケティングでもたくさんのモデルはありますが、統計を使わなきゃモデルを作れないと思っている人々に対して、江頭チャンじゃありませんが、一言物申せる知識がつけばいいなーなんて思っています。

まあ、知識があっても、度胸がないんじゃしょーがないけどー。
ヨソモンにとって、プロパーの壁はでかいのです。

で、ちなみに、コトラーのマーケティングマネージメントも、4月初旬に買いました。


コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント 第12版


この本も、ケラーのブランド戦略本と同様、買うべきか、買わざるべきか、そーーーーとーーーー迷いに迷った挙句、買ってみたのでした。いま6章まで読んでみました。

で、感想。この本もすばらしいです。買ってよかった。

マーケティングとは、おそらく、経営学とか経済学、心理学、社会学など、社会科学本流からの応用という側面が強いと思われます。そもそも経営学自体が応用の面がつよく、その下位にあるマーケティングでは、さらに応用面がつよくなることは当然です。で、この本は、マーケティングを応用社会科学の側面からじっくりと解説しています。もちろん、本流の社会科学系統から見れば、応用しているモデルは古臭かったり、時代遅れだったりしますが、まあ、そのレベルでもビジネスの多くはうまく説明でき、その意味で、いまだマーケティングとは、そのレベルにとどまっているということかもしれません。

たとえば、この本では、消費者の購買に影響する要因として、準拠集団の話が出てきます。おもえば、学生のとき、社会学入門授業でこの話を聞き、なんて当たり前の話をするんだと思った覚えがあります。が、しかし、いまになって、準拠集団の話を考えると、確かに、商品選択は自分の好みだけでなくて、所属している集団の価値観も織り込まれているなあ~、などとあらためて納得してしまうのであります。

ということで、たぶん、ここ2年くらいで有斐閣のマーケティング本を読みまくったこともあり、コトラー本は、うわさにたがわず、すばらしー本だと、しみじみ思う今日この頃なのでした。

2008-12-14

いじめ―教室の病い


いじめ―教室の病い (単行本)
森田 洋司 (著), 清永 賢二 (著)
出版社: 金子書房; 新訂版版 (1994/06)


かつて卒論を書いたときに、この本について批判的に議論をしました。

多くいじめ本は、自分勝手な印象論に基づいた、いい加減な分析をします。そんな中で、森田さんの議論は、客観的な計量分析に基づいており、いじめ本の中では、出色のデキといえるでしょう。

議論の中心は、いじめの4層構造(加害者-被害者-観衆-傍観者)を明らかにし、いじめの発生数と傍観者の数との間に相関関係を見出したことにあ ります。そして、その分析に基づき、彼が主張するいじめ解決法では、この相関関係を根拠に、傍観者にいじめを抑止する役割を与えています。

しかし、実は、この点が、まさに問題点なのです。

まず、第一に、相関関係と因果関係とは異なります。したがって、いじめ防止策を、この相関関係に求め、傍観者にいじめ防止役割を与えることは、論理的に成立しません。

第二に、アクセルロッドのNormゲームが示すように、この手のサンクションは、崩壊する運命にあります。結論だけを言えば、違反者を罰すること自体が、ジレンマになるからです。

つまり、傍観者にいじめ抑止役割を与えることには、以上のような難点があるのです。

ただし、このような批判が成り立つとしても、やはり、いじめ本の中では、飛びぬけて完成度が高いと思います。この手の、きちんとした分析をする人が増えればいいのになあと、よく思うのですが

戦略的思考とは何か―エール大学式「ゲーム理論」の発想法


戦略的思考とは何か―エール大学式「ゲーム理論」の発想法 (単行本)
アビナッシュ ディキシット (著), バリー ネイルバフ (著)
ティビーエス・ブリタニカ (1991/09)

一般向けのゲーム理論啓蒙書です
ゲーム理論を利用した意思決定方法について、たくさんの具体例を用いて説明しています。でも、さすがに啓蒙書だけあって、ややこしい数式は、一切出てきません。
といいつつも、エール大MBAコースの授業テキストだけあって、説明は、かなり論理的、かつ丁寧です

おそらく、ゲーム理論の一番のポイントは、相手の意思決定という条件下で、自分の意思決定を行う所でしょう。つまり、相手の行う(経済学的な)合理的選択を先読み推量して、自分の利得が最大になる意思決定を行うわけです

世の中、戦略を題したオヤジ本ってたくさんありますよね。おそらく、相手の合理的選択を元に意思決定を行うところが、そこいらのオヤジ本と、この 本との一番の違いではないでしょうか。オヤジ本で言う戦略とは、自分の目的が達するプランを立てることを意味することが多い気がしますので。

ところで、この本、ゲーム理論といいながら、ミクロ経済学の最近の潮流についても、結構、触れられています。聞くところによると、近年のミクロ経済学の発展は、ゲーム理論なしには成し得なかったって事ですから、当然なのかもしれませんけどね。

話題は、ミニマックス定理や、古くて新しい囚人のジレンマ、シェリングの瀬戸際戦略・交渉、アローの社会的選択論、アカロフの情報の経済学まで広がります。こんなに広範囲の話題を、楽しく、かつ分かりやすく書ける著者たちの筆力は、すばらしいの一言です!!


この本を読めば、わざわざエール大学に留学せずとも、MBA並みの戦略的思考を身につけられるかもしれませんよ

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た

「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た (単行本)
村上 宣寛 (著)
日経BP社 (2005/3/30)

血液型性格診断から、あの有名なロールシャッハテストや内田クレペリンテストまで、小泉首相よろしく、心理テストをぶっ壊した本。

心理テストって、ちょっと疎かった。もちろん、テスト理論とか、実験計画の初歩は、一応、知っている。質問項目の信頼性とか、テストの妥当性とか も、概念としては知っている。だけど、個々のテスト、例えばロールシャッハテストの内容は、全然、知らなかった。そもそも、心理テスト自体、なんか怪しい 雰囲気があると思っていた。だって、本屋に並んでる一般向けの心理テスト本、ありゃ、かなりやばいでしょう。で、この本を読んでみた。やっぱり怪しかっ た。というより、臨床心理系のテストに、怪しいのがある(ってか、みなあやしい?)って言う事だった。

心理臨床の人たちが、この本に、どういう反応するか分らない。そもそも、著者の批判が、どの位当たってるのか、イマイ見当つかない。でも、ロール シャッハ研究者が行ったBlindテストの内容(p.94)や、尺度自体の妥当性や信頼性が低い(p.118)と言う主張を見ると、著者の批判が、あなが ち的外れとも思えない。その後、エクスナによって、色々と改良された尺度も作られたらしい。けど、それも、学会で、コンセンサスが得られるとも、言い難い ようだ。尺度の信頼性や妥当性が確定していない時点で、診断される患者さんは、たまったもんじゃないよな~

ただ、注意すべきなのは、「心理テストが悪い」でなくて、「当たらない心理テスト」が悪いってことだ。インクのシミを見ても、抑うつや分裂病が上 手く予測できれば、それでよい。「インクのシミで、自分の精神を判断されたらたまらない!」って言うのは、的外れだろう。(とはいっても、たまったもん じゃないんだろうけどさ)ぜひ、心理臨床家に、反論本を書いて欲しい。黙殺なんて、せこい事をせずに、堂々と批判しあえば、もっと面白い展開になるはず。 臨床心理士自ら、「経験」「現場」に引きこもってる場合じゃあないはず。

あと、心理テストですら怪しいなら、市場調査のアンケートなんて、単なるゴミを集めてるだけかもしれない。最近、そんな気がしてる。関係者、すまん。

複雑さに挑む社会心理学―適応エージェントとしての人間

複雑さに挑む社会心理学―適応エージェントとしての人間 (有斐閣アルマ) (単行本(ソフトカバー)) 亀田 達也 (著), 村田 光二 (著)
有斐閣 (1999/12)

進化をメタ理論に採用した社会心理学の入門書。

著者たち自身は、この本を

「主張が強い青臭い本」

と評しています。確かに、一般の入門書に比べれば、格段に青臭い。しかし、とても爽快な青臭さです。

社会心理学は、当初、個人と社会との関係解明を目的とした学問でした。同調実験などは、人間が、他の人間の行動に埋め込まれていることを示すよい例です。

しかし、認知革命以来、社会心理学の研究対象は、社会的な場面における認知研究に移りました。しかし、人間が社会で生きているのであれば、認知が 社会的であるというのは、当然な話。その意味で、社会的認知という言葉は、屋上に屋根を重ねる冗長さがあってしかるべき表現だったはず。

この本で著者たちは、社会心理学は当初の問題設定にもどるべきだ、と主張します。そして、人間と社会の関係解明に「適応(進化)」というモデルを 活用することを主張します。「適応(進化)」をメタ理論に採用すると、今までバラバラに存在した社会心理学の個別理論を、一貫してうまく説明できる可能性 を、著者たちが感じているからです。そして、個別理論を一貫した理論体系でまとめることこそが、個人と社会との関係を解明することへ近づく第一歩なので す。

進化が、今後の社会心理学の主流になるかはまだ分かりません。がしかし、有望な分野であることは間違いないと思います。その足がかりとなる一冊だと思います。

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情

オデッセウスの鎖―適応プログラムとしての感情 (単行本)
R.H.フランク (著), 大坪 庸介
サイエンス社 (1995/01)

経済学的な合理的選択論の可能性を、さらに広げた本。

経験と現場(とカン)を重視する社会学(者)が、経済学(者)を馬鹿にするときに使う決まり文句がある。

「人間は、経済学が想定するみたいに、合理的な行動をしない」

たしかに、人間の行動は合理的でないかもしれない。経済学の中でも、この手の批判は昔からある。しかし、だからといって、合理的選択論の代わりに なる理論もない。そして、重要なことは、人間の行動が非合理的だからといって、合理的選択論が使えないわけでもない、ということだろう。その意味で、人間 の非合理性に対して、合理的選択論から、ひとつの見解を与えたのがこの本だ。

具体例でしめそう。

感情は、人間の行動の中でも、非合理的な部類に入ると考えられている。ことわざの「短気は損気」は、よい例だ。では、感情は本当に非合理的なのか?

実は、合理的という概念は、条件つき合理性なのだ。その意味で、合理的という概念は、最適化と近い。よって、最適化する条件が異なれば、合理的の意味は自然と変わってくるのは、当然の話だ。

著者は、合理性の条件を変えることによって、感情に対して、合理的な機能を与えてみせる。その論理展開は、鮮やかだ。

また、著者は、経済学者なのにもかかわらず、行動分析派の心理学者による実験例も引用し、自身の主張を展開する。すぐれた研究者である著者だからこそ、分野を超えて理論を展開することができるに違いない。

心理学と、ミクロ経済学は、いずれひとつの学問分野になるかもしれない。そんな予感を感じさせる一冊

不道徳教育

不道徳教育 (単行本)
ブロック.W (著), 橘 玲 (翻訳)
講談社 (2006/2/3)

リバタリアンの考え方を、一般向けに解説した本

著者の主張を一言でまとめると、こういうことだと思う

「社会に存在する歪みを、国家権力は解消するどころか、より酷くしている。むしろ、歪みの解消には、国家権力よりも、市場による調整の方が有力である」

社会に歪みが存在するのは、国家権力による不合理な介入があるからだ、と著者は主張する。だから、国家による介入を止め、経済的な交換に任せれば、社会に存在する歪みを消滅させることができるはず。

そのよい例が、麻薬の自由化。
国家権力による麻薬の違法化は、麻薬価格の高騰と、非合法組織(ヤクザ・ギャング)の蔓延を招いている、だからこそ、麻薬を自由化すれば、非合法 組織や、麻薬をめぐる犯罪は消滅することになる、と著者は主張する。そして、この主張は、多くの著名な経済学者によって、支持されている。

著者は、この調子で、次々と擁護できないものを擁護していく。
(Defenfing the undefendable)

見事な論理展開、と言うしかない
しかし、、、だ。

素人考えでは、交換による調整が優れている根拠は、実は、最初に、そのように定義したからではないのか、という疑問が残る。

そもそも交換が成立するには、自分が必要としている財と、他人は必要としない財とを交換することが必要。すると、交換が成り立つとき、自分の財 は、交換前よりも価値が大きくなる。よって、交換が成り立つ社会は、交換が成り立つ前よりも、社会全体の価値も大きくなるのは当然。そして、その結果を指 して、市場が効率的というのではないのか。

だとするならば、市場が効率的なのは、交換を許したことによる必然的な結果といえないか。

もし、この理屈が、それなりに正しいのであれば、国家による介入よりも、市場における自由な交換が効率的だということをあえて言うことに、ほとんど意味はない。そもそも、そのように定義しただけだから。

他にも突っ込みたいところはたくさんある
でも、まあ、あまり言うのも野暮な気もする。

とはいえ、面白い本であることは、間違いない。

ところで、国家権力の介入を執拗に批判する著者の姿勢に、マルクス主義(的フェミニスト)の幻影を見たのは、僕だけだろうか。もちろん、両者が目指すありうべき社会の形は、あまりにもかけ離れたものであるのだが。

つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで

つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで (Minerva21世紀ライブラリー) (単行本)
R. アクセルロッド (著), Robert Axelrod (原著), 松田 裕之 (翻訳)
ミネルヴァ書房; 〔新装版〕版 (1998/05)

言わずと知れた、社会科学の名著です。たぶん、社会科学と生物学の橋渡しをした最初の本だと思います。

この本のキモは、「なぜ、人は協力行動をとるのか?・あるいは、なぜ社会はかくあるのか?」って所でしょう。

ところで、互恵性利他主義(Reciprocal Altruism)を所与とする社会科学は、とても多いですよね。しかし、互恵性利他主義は、これを所与とするには、あまりにも強力な概念です。というわ けで、この性質自体の成立を問う必要がありるはずです。そして、この互恵性利他主義こそが、社会の本質の一つと言っても良いと思います。

で、そんな、互恵性利他主義の戦略的根拠を解明したのが、この本です。著書は、互恵性利他主義の成立基盤を、囚人のジレンマと言うモデルを用いて 解き明かそうとします。話は変わりますけど、僕にとって、彼が行った囚人のジレンマ選手権は、とられる戦略の合理性を解き明かしたというよりも、戦略を考 えた学者の心理を解き明かしたという方が、しっくりくるんですよね~。

ビジネス書にありそうな表題によらず、素晴らしく科学的な本です。でも、素晴らしく科学的な内容なのにも関わらず、表現自体は、結構、俗人的で親しみやすかったりします。人間の心理に興味がある人は、この手のアプローチを知っていて損ではないと思いますよ。

仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在

若者の雇用問題を、世代間の利益配分という視点から問題提起した本

貧困とは無縁な社会で、「仕事における曖昧な不安」が若者に渦巻いている、そして、この「曖昧な不安」が、若者の就労意識や行動に、大きな影響を与えている、と著者は主張します。

原因は、バブル崩壊後の雇用調整が、中高年のリストラではなく、若者の就労環境の悪化として現れたことにあります。その結果、正社員への就職すら かなわない若者だけでなく、人員減で過酷な労働を担う、正社員として働く若者までもが、将来への希望が持てなくなっている。そして、将来に希望が持てない ことが、すなわち「曖昧な不安」なのだ、、

従来、若者の失業問題は、就労に対する意識(=やる気)の問題と考えらていました。しかし、著者は、データ分析を用いて、若者の失業問題を、世代間の資源配分の問題として捉えなおします。

ところで、僕は、1997年に初めて新卒として就職しました。そして、今の会社で、3社目です
その間、2回の事業撤退を目の当たりにし、その内1回は、解雇されました。

そんな、サラリーマン人生の多くが、不況の記憶しかない僕は、働くことに若者が希望を持てないという著者の主張は、頷けるものがあります。それと同時に、自分で自分のボスになる、つまり、会社には従属しないという考え方も、凄く共感できます。

高度成長期のように、会社が人生を面倒を見てくれるというのは、古きよき時代の記憶に留めるしかないのでしょう。