2015-12-19

「学力」の経済学




「学力」の経済学(2015/6/18)
中室 牧子 (著)


経済学者が、学力の投資効果を、計量経済学をつかって明らかにした本、というか、教育経済学が明らかにした内容を、世間様向けにまとめなおした本。

正直なところ、ずいぶん前に呼んだので、すっかり内容を忘れてしまった。ただ、読みながら思ったことといえば、これをなぜ経済学者が?ってこと。

一般向けの本だからなんだろうが、テーマが良い意味で俗っぽい。雑な書き方しかできないのだが、子供の成績を上げるために、ご褒美を上げるべきかとか、ほめるべきかとか、どのタイミングで、どんな内容の教育に投資すると、大人になってよい報酬、まあ、言ってみればお金持ちになれそうなのか?といったところなのだ。

教育と名のつく学問分野といえば、普通に教育学とか、教育社会学とか、教育心理学とか、そんなとこがすぐに思い浮かぶ。で、ずいぶん昔からあるこれらの分野は、なんで教育経済学で研究した内容を、誰も手を付けなかったんだろうか。

この分野の開祖で、ノーベル経済学賞をもらったJames Heckmanは、最初、労働経済学者だったらしいが、貧困解消の政策効果を調べる中で、教育の投資効果を調べるようになったらしい。何となくだけど、なんで社会学者が、この手のテーマを調べていなかったのが、すごく不思議なのだ。しかも、Heckmanは、なんとすごいお金をかけてパネル調査を行ったらしい。よくわからないのだが、やっていることは、計量社会学みたいなので、ほんと、なんでなんで?とおもってしまうのです。

さらに不思議なのは、はっきりとはわからないけど、Heckmanの業績を、教育社会学者が完全無視しているっぽいところ。というのも、Google先生で、Heckmanと教育社会学とか、そんなキーワードで調べてみたのだが、まったくヒットしないのです。

そもそも教育社会学って、何だったけ?と思い、いろいろネットを見ていたら、実は、教育社会学はまだ何を調べるべきかがよくわかっていない分野なんですとか、教育とは社会によって構築されてたものなので、教育を脱構築する必要があるとフーコが言い出したとき、教育学者はみんなフーコファンになってしまいましたとか、そんなことが書いてあった。まあ、なんでしょう、教育学者は、新興宗教の門徒のごとく、人間社会から解脱しようとしていたので、世間様の下世話なテーマなど、目に入らなかったということなのかもしれない。こんなことを書くと、また、頭がおかしいと思われてしまいそうで怖いのだが、フーコとか言っている社会学者は、自分たちは、スーパー客観的だというものの、僕から見ると、新興宗教を信じているようにしか見えないというか、フーコは新興宗教の教祖のように見えるのは、何かの間違いなのだろうか。

詳しいことわからないけど、社会や学問、あるいは自然科学でさえ構築されたものって、そんなこと当たり前じゃんって気がする。何かについて考えるためには、なんらかの前提なり、ものの見方を事前に構築することが必要であり、その見方とは、未来永劫ベストかどうかわからないけど、ひとまずそれで色々考えてみますってことだと思うから。それを指して、恣意的だとかなんだかんだ言うのは、批判している自分たちだって、この考え方から逃れえないのに、敵方だけを批判するのは、なんだかずるい気がするのであるが、どうなんでしょうかね。

関係ないことばっかり書いちゃったけど、本に関していえば、「お金を稼ぐためには、知能よりもコミュニケーション能力とか、忍耐強さが大事」とか、「成果をほめるよりも、努力を誉めたほうが、努力を促しやすい」とか、まあ、ごく当たり前なこと、いや当たり前のことが大事だと思っておりますが、がたくさん書いてあると思われ、まあそりゃ、この本売れるはずだよなと思った次第なのでございます。

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'15/12/31追記

教育社会学(or 教育心理学)が、教育経済学が指摘した成果に言及しないのはなぜ?ってことに、守先生が答えていた。



守一雄のホームページ
DOHC(年間百冊読書する会)MONTHLY
【これは絶対面白い】
中室牧子 『「学力」の経済学』 (ディスカヴァー¥1,728)
http://www.avis.ne.jp/~uriuri/kaz/dohc/dohc1601.html


科学的な方法論を用いることではじめて信頼に足る結論が導き出せるのであると信じてきました。しかし、なかなか明確な結論が出せないことばかりで、(中略)ほとんど成果が出せなかったのは残念なことです。

 だからといって、世の中は教育心理学の成果を待ってはくれません。教育心理学の知見を踏まえた教育政策をすべきだと思っても、政策への提言ができるほどの確固たる研究成果を教育心理学者は提供できていないわけです。その結果、「ゆとり教育」の導入にも、その後の後退にも教育心理学者は何の役割も果たせませんでした。特定の教育政策を取る前に、実証的な実験を全国の国立大学教育学部の附属学校でやるべきなのだ、と授業では話しても、文科省はおろか附属学校のトップさえ動かすこともできない自分の非力さは情けないかぎりです。

(中略)

思えば、教育心理学が政策決定などに影響力を持てなかったのは「おカネ」のことを考えなかったからです。おカネが絡むことを何か汚いことのように考えて避けてさえきたと思います。しかし、世の中を動かすのは結局おカネです。そうした意味で、経済学者なら力を発揮できると思うのです。


よくわからないけど、とっても正直な感想なのかもしれない

中室さんが教育経済学の成果といった研究結果の多くは、教育心理学、あるいは教育社会学の成果だという気がする。でも、そんなこと当然なはず。なぜならば、学際的な教育学といえば、心理学か社会学に決まっているから。その意味で、守先生は、トンビに油揚げをさらわれた感があるのかもしれない。だけど、社会学者や心理学者が、人の心や社会の構造、あるいは社会階層の再生産といったことに注目して、社会の中で教育をどう役立てるべきか?とか、効率的な教育、教育の資源配分方法といった内容にに注目できなかったのは、彼らが、社会のエンジニアとしての学者という役割を意識しきれなかったような気がいする。経済学は、おおざっぱに言えば、金勘定抜きにして語れない面が多分にあるので、学者であり、エンジニアという側面がある気がする。がしかし、心理学や社会学は、本当に、象牙の塔に立てこもっている印象があり、その辺が、なんとも、という感じなのであり、フーコーとか言い出すと、もう病気?って気さえするのです

2015-10-17

女性管理職

完全に偏見だと思われるのだが、管理職になるような女性、まあ女性管理職は、男性管理職に比べて、トンデモナイ人が多い気がする

あくまで、気がするだけだけど。

簡単に言うと、自分の力を誇示したがる人が多い

たとえば、

・  何するにせよ強引、自分勝手

・  仕事のやり方を拘束する

・  マイクロマネージメント

・  自分が満足するまで何度でもやり直させる

・  感情や気分、好き嫌いで物事を判断する

他にもいろいろあるかもしれない
まあ、男性の管理職でも、こういう人はいるので女性に限ったことでない
だけど、女性の管理職が少ない割には、こういった女性管理職は多い気がする

なぜか。

ありそうな答えの一つは、自分勝手な自己顕示欲が異様に強い人でないと、女性は出世しないというものだ。女性は、出産・育児という、強烈なハンデを負うので、それを補う何かがないと、出世できない、かわいそうなことに。で、それを補う何かが、強烈な自己顕示欲だったということだ。

もう一つ思いつくことがある。それは、結局、女性は、管理職になる年齢になっても、仕事で厳しい局面に立ったことがない、というものだ。私は男なのであるが、自分の経験上、厳しい場面に遭遇し、上司・部下・後輩たちに、壮大なに迷惑をかけ総スカンをくったり、あるいは、仕事で大きなミスをしてしまう経験をすることで、他人に寛容になれる気がする。たとえ誤った判断をリカバリーにする場合でさえ、結局のところ、お客さんや周囲の人々にはリカバリーするチャンスをもらっているのであり、その恩義を忘れ去って、ミスした他人に冷たくすることなどできないのだ。だけど、女性は、あまり厳しい場面に遭遇しなかったり、周りがおじさんばかりということで、ミスをやさしく注意されるくらいで、きびしく叱責されることないため、他人の痛みが、いい年しても分からず、そのまま部下をマネージメントする立場に立ってしまったのではないか?、と思うことがよくある。

単純に言うと、男社会の中で、甘やかされて育った女性が、年を取って、トンデモ管理職になってしまいました、ということなのですが、こんなこと、恐ろしくて口に出すことなどできません

ということが連想されるような会議が今日あり、こんなことをぼんやり考えながら、会議をやり過ごしたのであった。

2015-10-07

インド人

今日、片腹痛い理由で、インドのお方と電話会議をした

2週間ほど前に日取りが決まったこの会議に向けて、こまごまと準備を進めた

何をどう話すべきか?
ヒアリングの練習
電車での独り言

などなどなど。

で、当日になった
相手に電話をかけた
相手が電話に出た
何かをしゃべった

彼が話したことの一部は理解できた
が、彼が話したほとんどは、正直、あまりよく理解できなかった

ヒアリングは得意でないけど、たぶん、彼の訛りも結構なものだった、と思う
いや、そう信じたい

通じているのか、通じていないのか、よくわからない会話が小一時間続いた

最後に、適当な質問でお茶を濁し、すべての作業が終わった


まあ、失うものは何もないのだ
いい年して、こんな、あらたなチャレンジがあるとは、本当に幸せなことだ
そう考えることとした

2015-10-04

ディープラーニング

ディープラーニングという言葉を本当によく見る

学生の時に、ニューラルネットに漠然とあこがれていた身としては、嬉しくもあり、一方で、嫉妬心がゼロかと言われれば嘘になる。

ディープラーニング、この先の世の中を変える技術・・・・のはず

ディープラーニングの話題が上がるたびに、ちまたでは、人工知能が人の能力を超えるとか、超えないとか、そんな話になる。だけど、そんな話は無意味。

太古の昔から、、人の作業をあらゆる作業が、機械や電子機器に置き換わってきた。人工知能、あるいはディープラーニングは、新たな要素技術の一つなんだと思う。人の作業の一部は、ディープラーニングに置き換わるのだろうし、それによって、あらたに、人が行う仕事が生まれるのかもしれない。

ディープラーニングの応用の代表例の一つが、車の自動運転だ。車が自動で運転してくれれば、交通事故も減るかもしれないし、飲酒運転という概念自体、この世の中から消え失せるかもしれない。

なんとなくだけど、自動運転に車を結びつけるんだろうか。電車のほうが、自動運転の実現しやすい気がいするけど、気のせいなのだろうか?

現実的には、車の自動運転は、コンピューターサイエンティストの夢なのかもしれない。10年後、日立や東芝、GE、Boringあたりが、ディープラーニングを実装した列車・飛行機・発電所を開発しているのかもしれない。Google、yahoo、Amazonではなくて。

そんなことを、漠然と考えた日曜の夜

2015-09-08

小ネタ

★ 小ネタ1

とある飲み会で、某メディア系の人と一緒になった。その時、どんなわけか、アサヒ芸能といった、人の噂話とエロ・カネネタ満載の、いわゆるゲス極まりない週刊誌の話題になった。そして、その方に、アサヒ芸能に書いてある、あの下世話な噂話(→その人の勤め先も、その手の週刊誌にスキャンダルをすっぱ抜かれたことは、一度や二度ではないはず)の類って本当なんですかと、聞いてみた。すると、完全にウソでもないけど、ホントでもないことが、そういった週刊誌には書いてあるといったたぐいのことを、彼は答えた。

その答えを聞いたとき、よく考えてみれば、そうなるかもしれないと思った

嘘だけで記事を書いてしまうと、嘘を書かれた相手は、間違いなく名誉棄損で訴える。だって、何の根拠もないんだから、嘘記事を書いた週刊誌側に非があるのは当然なのだ。そして、ここまでは、当たり前の話。ここから、いつものようにいろいろ考えてしまったのだけど、完全にウソでもないけど、完全に本当でもない誇張した話は、ネタにされた相手は、週刊誌を名誉棄損で訴えることはできない。

なぜならば、誇張しはなはだしい記事を裁判で訴える場合、実は、裁判を起こす側は、ウソ以外の他人様には公表したくない不名誉な事実を認めざるを得ないから。

たとえばの話。ゲス週刊誌が、嘘も事実もごちゃまぜにして、とある芸能人の性生活を、面白おかしく赤裸々に描いたとする。そして、その元ネタは、その芸能人の元愛人か何かだ。その芸能人は、面白おかしい嘘を、世間に公表されたダメージたるや計り知れない。がしかし、もし、週刊誌にウソを訂正さる裁判を起こす場合、愛人との性生活の一部は事実なのだから、それを、裁判で認める必要がある。だけど、そんなこと、世間様に公表できるワケない。となると、裁判するくらいならば、一時の恥を忍んで、嵐が過ぎ去るのを待った方が得策というものだ。

こういうのって、ゲーム理論とかで考えると、どうなるんだろう、といったことをぼんやり考えつつ、飲み会が早く終わらないかなあと、ぼんやり考えていたのであった

★小ネタ2

ある飲み会で、

「おれって、いわゆる業界人だからさ~」

的なノリで話し続けた人がいた。まあ、たぶん、その人は、とてもいい人であることは間違いないんだけど、全身から勝ち組オーラを隠し切れないのが、その人の欠点といえば、そうなのですよ。

ただ、年収も、僕の倍はあるんだろうし、そこについて、ぼくは何かを言うつもりはない。

で、飲み会も解散し、帰り道のすがら、同席してた女の子と一緒に駅までしゃべりながら帰った。その時、彼女たちが、その人を、「いくらなんでも調子乗りすぎじゃない、あの人」的なことを言っていた。彼女たちいわく「在京キー局といえども、もはや、かつての勢いないじゃない」と。

何となく思ったのだが、そうは言っても、彼女たちは、ああいった男の手に落ちるんじゃないのだろうか、ということ。女の人は、結局、金を持っていて、自信満々の男には弱いと思う。カネと自信があれば、多少小汚くても、腹が出てても、口が臭くても、女性を見下していても、許せてしまうのではなかろうか、となんとなく思っている。

金融日記というブログに、女の落とし方が書いてあり、本まで出版している。書いてあることといえば、本人曰くPh.Dまで持っている割には、本当にゲスの極みなのである。が、一方で、この人にネタを提供した女の子もたくさんいるのも、おそらく事実なのであろう。まあ、簡単に言えば、女性の側のSugar-Coatingな意見からすれば、まじめに恋愛しようとしたということなのであろうが、結局のところ、金と名誉と見栄を目当てにセックスしたわけであり、言っていることとやっていることとは、まあ、一緒じゃなくて当然だよな、と漠然と思うわけなのでございます

なんて、話題なんだと思うけど、まあいいのです

2015-08-20

売上と利益


「売り上げと利益さえ上がれば、どんな販促をやってもよい」

と言うイケてない上司たちがいる

まあ、お金を儲けなければ会社は運営できないから、これは大事なことだ
だけど、逆に言えば、だれもが、売上と利益を生むように行動しているはずだから、従業員の行動は、すべて売上と利益を生むはずだ。とすれば、従業員は、何をしても良いということになるのだけど、そうは問屋が卸さないのが、この世の常。

その、売り上げと利益があがれば・・・という言い方がぱっとしないのは、その上司様たちが何も考えてないというのが露骨に見えるからだ。まあ、言ってみれば、丸投げ。上司たちが決して口に出せない心の声をありていに書くと、こんな感じになるのだろう。

「あのさ、俺、自分の上司たちからは、オマエが約束した売上と利益を上げろとしつこく言われているんだよ。だけど、ぶっちゃけ、俺さ、どうやって商売したらいいか、皆目見当つかないわけ。だからさ、俺の代わりにさ、売り上げと利益が上がる、なにか具体的で、だれも反対しなくて、かつ、だれもが称賛するような、素晴らしい手だて、考えてくれよ。そして、それが、お前の仕事だから、ヨロシク」

と。なんで、こんなテイで上の立場に立てるのかがわからない。
自分も将来、あんなことを言い出すようになるのかと思うと、本当にイヤになる。

ただ、訳の分からない妄想にもとづいて、変な指示を出しまくった挙句、上手くいかない尻拭いをさせられるパターンもあるので、それから考えると、ボケ老人のような上司たちは、扱いやすいのかもしれない。そして、ここ数年で、ボケ老人上司たちの扱い方もだいぶ、慣れてきたし。

小ネタを小出しにして、あと2年くらいは、悠々自適で暮らそう
そんなことをつれづれ考えた夜なのであった

2015-07-12

遅すぎた

会社の上の方が、目に見えて丸くなってきた
ここ1年弱の変化といえば、空恐ろしい位だ
理由は大体想像できる

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転職して1週間後、上の方と初めて会議で顔を合わせた

会議の間中、上の方は、彼の部下を、あらゆる言葉を使い、相当強い口調でなじり続けた。だからと言って、内容は、それほど的外れとも思えなかった。だから、彼の強い批判を乗り越えたとき、会社にも新たな成長が訪れるかもしれない、そんなことを漠然と考えた。

そんな状態が、2年ほど続いた。時が過ぎるにつれて、気が付いた。上の方の批判は、現実的にはパワハラだと。彼の批判はそれほど的外れではなかった。しかし一方、部下に正義がありそうな時でさえ、彼は考えうる揚げ足を取ろうとした。批判が正しく、それに基づいて指導するのであれば、部下がとった及第点を割り引く必要はない。しかし、部下が及第点を取ろうとすると、彼は自分が積み上げてきた考えられる経験と知識、そして恫喝を使って、部下の点数を割り引こうとした。

そんな彼が孤立するのに、多くの時間は必要なかった

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彼は強がっていたと思う

強く見せたい事情があった。強いプレッシャーもあったはずだ。過去への反省もあったに違いない。強い自分が事業を立て直すというストーリーは、彼にとって甘美的だ。虚栄、リーダーシップ、反省、甘い誘惑、プレッシャーと責任感、これらすべての要素が歪に組み合わさった時、不器用で素朴な彼に、強権的な行動が表出した。一言でいえば、実力と義務がアンバランスだった。

しかし、いずれにしてもやりすぎた。そして、気づいたときには、もう手遅れだった。

この2年、あらゆるパワーバランスが崩れた
パワーバランスが変わる中で、何もなかったように、態度を豹変させた人もいた
態度を豹変させた人の中には、彼の強い個性で救われた人も少なくないはずだ
彼は、この激動の中であまりに無邪気だった

いずれにしても、時計を巻き戻すことはできない
そう思う

2015-06-25

原理主義者

今年の人事異動が発表された

正直なところ、自分は、異動の対象外だと思い込んでいた。今の会社でも傍流の中の傍流。おまけもいいところ。会社での扱いも、完全におまけだ。そして、いまの状況における事業部門間異動とは、言い換えれば勝ち組であり、つまらない言い方をすればご栄転に相当する、と思われている。

ご栄転とは、主流派が受けるものだと思っていた。主流派とは、プロパーであり、勤続年数が長く、今の所属部署で、広く根を張っている人々のことだ。彼らが信じるヒエラルキーに応じて、甘い汁は配分されるはず、そう考えていたし、それは今も変わりない。その意味で、中途でかつ、傍流中の傍流に置く身としては、ご栄転などあり得ない。自分は、奴らが食い散らかした残りかすにありつければよい方ではないか?そう考えていた。


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今日のお昼前、突然、上役から連絡が入る、午後イチで会議ができないかと。断るすべもない。お昼ごはんを食べ、午後の会議に臨む。会議が始まるや否や上役が開口一番こう言った。

「×××本部へ異動です」

正直、びっくりした。戸惑いを隠せない。

当然だが、別に、今の仕事に未練はない。そして、そのように行動してきたし、準備もすこしずつ進めている。が、異動となると、やや話が変わる。多くの前提条件が変わったと感じる。つまり、新たな価値体系を構築する必要がありそうだ。

7月の異動は小規模になるというお達しが出ていた。そんな、マイナーな異動になぜ、自分が選ばれたのだろうか?しかも、つまらない内輪の価値観からいえば、ご栄転である。皆目見当がつかない。自分では知りえない大きな力が働いたのだろうか。しかし、思い返せば、同じようなことは過去にもあった。日本の事業からの撤退が明らかになった後、その事業の顔役の多くは、その後の転職活動で大きな困難に見舞われた。一方、その時、傍流で日陰者の自分には、なぜかスポットライトが当たり、転職に成功した。確かに、あの時の状況とよく似ている。

当時、成功した理由は明らかだった。それは、自分が信じる価値に基づいて行動してきた。それに尽きる。原理原則を重視し、つまらない情勢や環境、人間関係に、自分の価値観がぶれないことが大事だ。

今回も、同じように行動すべきだと思う

2015-06-14

遺伝子の不都合な真実


遺伝子の不都合な真実
~全ての能力は遺伝である~
安藤 寿康 (著)



久々に、学者が書いたまじめな本を読んでみた。近頃、仕事しかしていないようで頭が悪くなってきたらしく、かなり読みにくかったけど、以下、読んだ感想もろもろ。

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ホリエモンが、金持ちであろうが貧乏人であろうが、勉強しさえすれば東大にだれでも合格できる、といった類のことを言った記憶がある。

彼らしい言い方だ。この、あまりのナイーブさが、強く人を引きつける一方、強く人に拒絶される原因なんだろうとよく思う。

多くの人は年を重ねるに従い、親の行動特質、あるいは性格を、わが身の行動に見ることが少なくないように思える。自分のことで振り返ってみる。父親の性格を一言でいえば、頑固で忍耐強いというのが長所だ。短所は、当たり前だけど、融通が利かず、その場の状況に応じて柔軟に対応することができない。一方母親は、見事に逆の性格。忍耐など持ち合わせいていないけど、悪く言えば何でも適当、よく言えばその場の状況に応じて柔軟に何でも対応でき、社交的だ。そんな二人、夫婦生活がうまくいかないのは当然のこと、、、というのは身内の話。

年を重ねるにつけ、両親の性格が自分に内在していることを強く感じることが多い。

職業柄、議題を整理して分析内容を明らかにしたり、その先、忍耐強くプログラムを書き、モデルを作り、主張すべきポイントをまとめ、分かりやすい資料を作り報告する、、といった作業を日々行う。この作業で最も重要な素養は、頭の良さというよりも、忍耐強さだ。支離滅裂な議論の見通しをつけ、分析に耐えうる内容に昇華する、、、など、どんなに頭が良くても辛抱強くなければ務まらない、と思う。で、次に重要なことは、楽観性と愛嬌だ。いろんな人がいろんなことを、その時の気分で何かを言うので、その時点の課題が何か?、そして、どんな結論を出すべきか?といったことがあいまいなことが多い。そして、まじめに考えると、正直なところ、どんな結論がでると、多くの人が納得するかも未知数だ。そんな曖昧な状況で、しかも十分な時間もデータもない中で、エイヤーと結論を出すには、いろんなことをあるところであきらめ、結論を出してしまう勇気が必要なのだ。そして、それには楽観的でなくてはならない。さらに、報告するときも重要だ。正直、イマイチな報告であっても、オーディエンス、あるいや経営層が許してくれる時とそうでない時がある。報告内容にケチがつき炎上するのは、まあ最悪な展開。なんら建設的なことは生まないし、物事も前に進まない。だけど、イマイチな内容だったとしても、なんとなく報告者の人柄、あるいは愛嬌で、前向きな雰囲気がうまれ、その報告が次のアクションにつながることがある。そして、それはそれで成功なのだ。

そんな、忍耐強く報告内容をまとめる自分の中に父親の幻影を見るし、報告時によくわからないことを、適当に愛嬌でごまかそうとする自分の中に、母親の影響を見ることがある。これを、遺伝の影響か、環境の影響といわれれば、正直、よくわかない。だけど、なんとなくだけど、環境の影響に注目するならば、ものすごく多くの時間を過ごした学校教育の影響は、自分の行動特性に全くなかったと言い切れる。なぜならば、自分の行動は、先生よりも両親に似ている気がするからだ。学校教育は、親の性質のベースがあってのものだという気がいする。

よく考えてみれば、運動や体型で親の遺伝の影響を否定する人はいない。なぜならば、それは見ればだれにとっても明らかだから否定しようがない。美人の親の子供は美辞任に決まっている。そう考えると、性格や行動だけが似ていないというのを否定するのには土台無理がある。

といったごく当たり前のことが書いてある本。言い換えれば、努力する内容にも、向き不向き、あるいは報われるものと報われにくいものがあり、それは人によって違うということ。当たり前かもしれないけど、努力すれば何人にでもなれると喧伝する教育者にとっては不都合な事実かもしれない。さらに、社会の側が、稼げる才能と稼げない才能を峻別せざるをえないとするのであれば、生まれながらにどの程度稼げるか稼げないかが大体決まってくることになり、それがもう一つの不都合な真実なのかもしれない。

久々に分析について

久々に分析そのものについて書いてみる

銀座で働くデータサイエンティストのブログ

UCI機械学習リポジトリのデータ(など)で遊ぶ(3):クレジットカードの加入審査データ


ご本人さまは存じ上げないのですが、というか、世の中のほとんどの人は、そもそも他人なのですけど、この方は、僕のような俗人データ分析者では足元にも及ばないような、データサイエンティストの中でもトップクラスのお方のようです。で、以下、自分の体験談とともに感想。

自分でも、職種がら、時間があるときにこの手の分析をやる時がある。で、僕の場合、データを整形するのは、もっぱらSQL。それを、サーバーにあるDB2に読み込ませ、データをcsvとして出力する。最後に、SASサーバーにcsvを保存して、元データを転置したり、欠損値を補完したり、入ってしまったごみデータを削除したりして、最後の最後にいくつかのモデルで計算して結果を比較しますね。どの計算方法を使ってみるかは、正直、どのアプリを会社が契約しているか次第。今は、SAS EMを契約しているので、ロジスティク回帰と勾配ブースティング(正式名称は不明)、ニューラルネットといったところでしょうか。他にも、いくつかありますが、使い方はよくわかりません。なお、今の会社は、PCは会社のものという認識なので、勝手にRのようなフリーソフトを入れることはご法度なのです。しかし、よく思うのですが、Rをビジネス用途でつかっても良いのでしょうか。

こういう言い方が正しいかわからないけど、2値判別問題を計算するとき、どのくらいのモデルで正解とすべきか?が、正直、自分の中でよくわからない。言い換えれば、これらは予測ものなので、どの程度過去データに当てはめれば合格と言えるのかが、よくわからない。なぜならば、いつも、たった一人で計算しているから。

なんとなくだけど、変数をうまく変換し、欠損値を保管してやると、今いつも使うデータならば、ROC曲線以下面積で0.9位は、まあ簡単にでる。そして、簡単にでるので、これでいいのかなーとよく思う。けど、比較対象がないので、よくわからない。で、この方の計算結果を見ると、正答率が0.9位になっているので、まあ、出して恥ずかしくないレベルがこの辺なのかなーと初めて合点がいったのでございました。

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よく思うけど、マーケティング関連で、SASなりRなりだけを使って分析する人は恵まれているなあと。自分の場合、仕事の9割くらいは、ちょっとしたクロス表で話のケリがつく。もちろん、丁寧にやろうと思えば、モデルを使おうになるんだろうけど、依頼者(経営層や商品企画)の肌感覚や理解度、知りたい欲求度合を考えると、すでに手あかがついている変数で、ちょちょっとSQLをいじり、エクセルでクロス表や、気を利かせてこぎれいなグラフをパワポにはってコメントを書いてあげれば、だいたい要望を満たすことができる。となると、モデリングなんかめんどくさくってやってられない。逆に言えば、モデリングをしないことには解決できない深淵かつ興味深いテーマだけど分析できる方は、なんて恵まれた環境にいるのだろうと、日々、うらやましいばかりなのでございます

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さらに話は続く。

実は半年強くらい時間をかけて、某社とモデリング系の分析コラボをやった。正直な話、どんなに長くても2か月くらいで終わると踏んでいたのだが、人に言うと、罵詈雑言があふれ出てしまうような理由で、ここまでの時間がかかってしまったのだ。まあ、自分がお人好しなのが悪いので、それはよい。で、思ったのが、やっぱり問題意識って大事だよなってこと。基本、コラボ先で計算してまとめてもらうテイだったのだけど、なんというか、業界に対する知識が少なく、かつ、今回のような分析(STP)に対する経験も少ないようで、コラボ先企業の結果たるや惨憺たるもので、やり直した数は知れず、何とかたどり着いた結論さえ社内に公表することができないレベル。そして、結局、自分で作り直すハメに陥る・・・

まあ、仕方ないといえば、そうなんですよ。だって、よその会社のビジネスに何かを言うんだから。よその会社のことなんて、ちょっとデータを見たってわかるわけないから。そして、きっと、自分も、よその会社の分析をしていた時は、こうだったんだろうなあ~と感慨深くなったのでありました。






2015-05-05

選挙&ママ市議会議員

先週、地元で市議会議員選挙があったようだ。実際、駅前で、毎日、誰かが演説をしていた。がしかし、いつものように選挙に行かなかった。なぜならば、自分の利益を代弁する議員がいたとは思えなかったから。選挙に行かないから、自分の利益を代弁する議員が出ないというのは真実だ。だけど、こんなファミリーユースな町で一人暮らしをする人間の利益を代弁する議員なんてあらわれっこない。

議員の主張って、単純化するとみんな同じだ。いわく

「自分が代表するセグメント?に金をつかえ=税金を投入しろ」

ジジイやババアが立つならば、主張は、年金や介護、あるいは医療に金を使えになるだろう。まあ、表面的にはもうちょっとこぎれいな単語をならべるだろう。つまり

「日本を支えてきたシルバー世代が、文化的な生活を送れるような政策を拡充し、現世代も安心して働けるような社会をつくらなければならない・・・・・」

といった感じだ。まあ、嘘でないけど、本当でもない。一方、30代の働くママが議員に立候補するならば、子育て支援や教育に金を使えになる。彼女たちの下心、いや主張を、大義名分で覆い尽くすならば

「将来の日本を支える子供を育て、かつ、企業のダイバーシティーを進める働くママを支援する政策を拡充することは、日本企業のさらなる競争力アップと日本の将来の成長に投資することにつながります!」

といった感じだ。

まあ、だれでも金がもらえればうれしいので、当然といえば当然なんだけど、世間の流れから完全に乗り遅れた世捨て人としては、こんなおためごかし、冷やかにしか見れないのも事実なのです

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なんとなくいつも思うのだが、働くママは、子育てと仕事、両方でやりがいを得る必要があるのだろうか。

何が言いたいかといえば、子育てをする母親が、100%仕事に労力を投入できないのは、そりゃ当たり前のことであり、とすれば、子育てする前のようにキャリアを積み上げられないのは当然なのではないのか。そして、それは、その運命を単純に受け入ればよい気がする。

ちょっと検索すれば、こんな話が山ほど出てくる。

「子育てしながら仕事をすると、重要な仕事をもらえなくて、仕事にやりがいがない」

と。あるいは、

「子育てする女性を積極的に戦力に投入しないのは、企業にとっても損失である」

欧米はどうだか知らないけど、正社員の権利が異様に強い日本で、仕事Onlyでない人とそうでない人とを同等に評価するというのは、虫が良すぎる。仮に、子育てをすると、あらゆる能力があがり、そうでない人の力を凌駕するのであれば、働くママに袖にするのは、企業にとって不利益な話だし、もしそうならば、知らぬ間に、働くママは企業内で増殖し、制度はあとから勝手についてくるのではという気さえする。だって、働くママを雇うと、売り上げと利益が上がるんだから。

だけど、おそらく子育て始めたところで、能力なんて大して変わらない。とすると、働くママは、フルで働く人よりも優遇されなくても仕方ない気がする。だって、投入する労力が違うんだから。

個人的には、働くママは、子供が小さいうちは、会社の傍流にいたほうが良いのではないかと。何となく思うけど、一般的に、仮に強く出世を願うときでさえ、常に主流にいることが良いわけでない気がする。

主流とは、大変なものだ。みんなに注目されているし、やっかみもあれば嫌がらせもある。出る杭は積極的に打たれるかもしれない。どんなに賢くても、徒党を組んだ嫌がらせに抗しきれる人などいない。主流は、常に第一人者であり、勝ち続ける必要がある。だけど、勝ち、実績を上げ続けるなんて、運が良いか、あるいは相当にごますりが上手か以外にはありえない

むしろ、傍流には、それなりのメリットがある。それは、他人の失敗を自分の糧にできるところだ。傍流の良いところは、おいしいところが一番最初にやってこないところだ。そう言うと損してるみたいだけど、見方を変えれば、他人のやり方を、客観的に学ぶ準備ができる。主流派の人は、一番最初に困難な仕事を割り当てられる。彼らは、いきなり成功するかもしれないけど、試行錯誤した上に結局失敗し、失脚することもないわけでない。傍流派の勝負はそこからだ。他人の失敗からじっくり学ぶ時間があるので、そこから成功までもっていく準備ができる。

まあ、同じように働いていた同僚が社内で活躍する姿はうらやましいし、ときには妬ましいかもしれない。だけど、誰にでもできる会社の仕事と、自分にしかできない子育てとを、同じウエイトを置くなんて、なんか人生損しているとしか思えないというもの事実なのでありました

2015-04-05

2015年ポルトガル旅行10 ~2月13日(土) ポルト~リスボン~パリ~日本

ポルトガル最終日、そして、ついに日本に帰る日。

朝6時、前日フロントに頼んでいたモーニングコールが鳴る

'Mr.***,  Good morning. It is 6:00am now. This is wake-up call from hotel front'

といったことを言ったはずだ。
前の晩に残り少ない電池を使って5:45分に設定したスマホ目覚まし、たしかに目覚ましは動いたのだが、マナーモードになっていて、音は鳴っていなかった。モーニングコールがなかったら間違いなく寝過ごしていた。マジ、ヤバかった

身支度を整え、朝7時にホテルをチェックアウト。このホテルの朝食は評判が良いのだが、朝食は朝7時から。残念だが仕方ない。まだ薄暗い街をスーツケースを引きながら、サン・ベント駅へ向かう。朝7時のターミナル駅は、閑散としている。リスボン行の特急は隣のカンパニャン駅から出発する。隣駅までの切符を買おうとマゴマゴしていると、親切な駅員が何か困ったことがあるのかと話しかけてくる。リスボン行の特急チケットを見せて、カンパニャン駅に行きたいというと、このまま電車に乗れるという。親切なおじさんにお礼を言い、7時15分発の電車に乗り込む。すぐに、おとなりカンパニャン駅へ到着。7時45分発の特急がくるまでしばし駅で待つ。

どこかに向かう特急。気動車が客車を引っ張る形式


しばらくすると、リスボン行の特急が到着。結構汚れている。


2等の指定席に乗り込む。定刻通りに出発。ぼんやり車窓を眺める。特急は、在来線の線路を、最高時速200㎞で走っていく。スーツケースはデッキの荷物置き場に置いた。電車に乗っている間中、だれかに持っていかれるのではないかとずーと気になっていたが、ポルトガルの人も、鍵もかけずにそのまま置いていたので、それほど心配いらないのかもしれない。まあ、取られたところで着替えと洗面用具しか入っていないのだが。

3時間後にリスボンのオリエント駅に到着。地下鉄に乗り換え、空港に向かう。ほどなくして、空港に到着。たしか12時ごろ。早々にチケットを無事発券。がしかし、リスボン行飛行機の出発は16時20分なのだ。なんと4時間もある。ご飯を食べたり、無意味に空港内をウロウロしたり、ベンチでほかの旅人と一緒に昼寝をしたりして時間をつぶす。15時半ごろ、スーツケースを預けるべくドロップオフに向かう。空港のカウンターにはオバちゃんにチケットを見せて荷物を預ける。すると、Final destinationを確認してくる。羽田だけどと答えると、パリの乗り換え、オルリーからCDGに移動しなきゃいけないけど、あなた、ちゃんと理解しているの?と聞いてくるので、大丈夫わかってるよと答える。するとと、オバちゃんは安心して、分かった、荷物を預かるわといって手続きをしてくれた。

X線検査などを受け、Boarding gateに向かい、さらにうだうだする。16時ごろようやく飛行機に搭乗。定刻に出発するかと思いきや、機内アナウンスが流れる

「悪いけど、Boarding bridgeが壊れてて、15分ほど遅れるからヨロシク!」

まじかよ、乗り換えギリギリなんだけどー、だけどなんか微妙。と思いつつアナウンスを聞く。そうこうしているうちに、リスボン空港を離陸。さよならリスボン。

機内で軽食を食べたり本を読んだりして暇をつぶす。3時間後、ほぼ定刻19時50分ごろオルリーに到着。荷物もまあ、それなりの時間で受け取る。初めてのオルリー、バス乗り場もちゃんとたどり着けるか心配だったけど、何かに導かれるように、無事、空港間バス乗り場へ到着。CDG行きバスも予定通り20時35分に出発した。

オルリーのCDG行きバス乗り場。



バスは渋滞も事故もなく順調に進む。相当心配して、いろいろ調べまくったけど、何のトラブルもない。あとはCDGで2Eというバス停で降りるだけとなった。バスの中からパリの風景を見ながら、旅の思い出に浸っていると、どこかのバス停にとまる。2Eかと思いつつ、何のアナウンスもないので、思わずそのままスルー。しばらくして、終点に到着する。そのとき21時半ごろ。なんとなく、運転手に話しかける

わし
「ここが2Eなの?」

アラブ系の運転手
「いや2Aだ」

わし
「あれおかしい、2Eってどこだったの?」

アラブ系の運転手
「さっきとまったバス停だよ、クソ、まじかよ。で、どうすんの?」

わし
「まあ、タクシーで移動するよ」

アラブ系の運転手
「いや、ムリムリムリ。まじかよ、クソー。で、何時出発?」

わし
「23時半だけど」

アラブ系の運転手
「・・・・・・・・、仕方ねえな、まあ、その辺、座っとけよ」

わし
「わかった」

アラブ系の運転手
「ちっ、クソー、オレ完璧主義なんだんけど、クソー」

バスは再び走り始めた。運転手は、ずーーと、なにかぶつぶつ言いながらバスを運転している。なんかわかんないけど、めっちゃ怒っている。まあ、知らないけどって感じだけどね。

約10分後、目的の2Eに到着。

アラブ系の運転手
「2Eだよ、ありがとう」

わし
「いやいや、こっちこそ、わるかった。ありがとう」

といって、10ユーロ紙幣を握らせる。まあ、タクシー代と考えれば、安いもんだ。
荷物を受け取る。建物の入り口に向かうべく歩き出すと、アラブ系の運転手が

「オイ、そっち、逆だよ。あっちだから」

といって、入り口を指さす。わるいねー、と言って、空港の建物に入る。

なんとか、CDGからのチケットを発券し日本行Drop offの列に並ぶ。チケットには搭乗時間22時20分と書いてある。列に並んだのが21時45分ごろ、これはヤバいのでは。Drop offは思った以上に並んでいる、なかなか進まない。フランス人の係員は、どんなに並んでいようと、全く焦る様子もなく淡々と業務をこなしている。うーん、まあ、出発を起点にすればだいぶ時間があるけど、搭乗時間ベースではギリギリだ。本当に大丈夫なのか?とイライラしつつ列に並ぶ、とにかく待つしかないのだ。はやくはやくと思いながら、自分の順番が来たのが22時15分ごろ。速攻で荷物を預ける。とち土地勘がないCDG、しかし出国・X線検査・ターミナル移動となにかに導かれるように進む。なんとか、帰国便のJAL共同運航便のAir France搭乗口に到着したのが22:30。搭乗口の到着した瞬間、10分後に搭乗を開始するアナウンスが流れる。羽田行のAir France、搭乗待合室は日本人しかいない、ここはもう日本だと認識する、やったー間に合った、これで追加料金ゼロで日本に帰れると、と心の底から安心する。



トイレに行ったり、水を買ったりして、一息つく。ファーストクラス・ビジネスと金持ちから登場し始めている。しばらくして、エコノミーの搭乗が始まる。気楽な一人旅、しばらく様子見を決め込む。大分、人が少なくなってきたころ、列に並ぶべく、ゲート近くの席に移動する。すると、ふと、なにか視線を感じる。そちらに目を向けると、なぜか目が合った。この子、何か見覚えがある若い女子だな、でも、なぜか一人で椅子に座っている、、、

あれー、だれだろう。知り合いじゃないけど、何だか知らないけど、妙に見覚えがある顔。だれだろう、知り合いなわけないけど、、、、としばらく頭が混乱する。しばらくして、ある言葉が思い浮かぶ

「大島・・・・ようこ?ゆうこ?・・・・、、、、だれだっけ?、芸能人??だっけ???」

目がパッチリした小さい子という印象。なんとなく腑に落ちなかったけど、芸能人などなんの興味もない、そのまま、どうでもよくなってしまった。大島さん?のすぐ近くに座って、搭乗のタイミングを計る。しばらくして、列に並ぶことに。ちょっとして、ゲートへの列に並び搭乗、ジャンバーを網棚?に預け、無事自分の席へ座る。ヤレヤレこれで安心だと思っていると、先ほどの大島さん?らしき女子が斜め前の通路側の席に座ろうとしているではないか。網棚に乗せる荷物を整理する横顔は、明らかにかのAKBの大島さんのように見える。が、周囲は彼女に気づいている様子はない。まあ、無視していたのかもしれない。僕は、ごく単純にかわいい子を見れてラッキー的な感じで彼女の様子を見続けた。そうこうしているうちに、飛行機は離陸。日本へ出発。その間、何もなく、12時間後、羽田へ到着。

なんとなく降車時に大島さんの様子を横目で伺う。日本についたからか知らないけど、マスクとメガネで完全防備の準備を整えていた。まあ、本物だとしたら、当然ですよね。もし、本物だとしたら、空港で声をかけなくてよかった。きっと、最後の最後までプライベートを楽しみたかったに違いないはずだ。フランス?では、友達あるいは、彼氏とプライベートを十分楽しんだにちがいない。

十何年ぶりかの海外旅行。この間、本当にいろいろありすぎたけど、こうやって海外旅行に行けるというのも、その混乱がようやく収束した証拠。新卒で勤めた会社を辞めた代償、言い換えれば、Carrier Developmentの宗旨変更した代償はとてつもなく大きかったけど、それも10年以上かけてようやく返し終えたのだと思う

その意味でも、今回の海外旅行は、一つの極めて大きな区切りであり、すごく単なるお休み以上の感慨深さがあったと強く感じる。来年は、何の重みも意味合いもない、単なるレジャーとしての旅行に行きたいものだと思うわけなのです

2015-03-31

転職3年目

転職して3年目に突入した

この間、正直なところ、いろいろあったけど、最近はだいぶ落ち着いた

いろんなことの詳細について書くつもりないけど、やっぱり、調子が悪い会社というのは、なるべくしてなっているというのが正直なところだ。前もそうだったけど、今回も、数多くのリストラ・早期希望退職を繰り返すうちに、能力の高い頑張る人は早々に辞めていき、頑張らない上に、能力もない人たちが会社に残っている。さらに悪いことに、能力もやる気もないにもかかわらず、会社に長く残っているというだけで、年功序列に基づき昇進するために、ありていに言ってしまうと、キチガイに刃物とでもいうべき状況が起き、混乱が混乱を生む悪循環に陥ってしまうわけだ。

まあ、そんなことはどうでもいい

転職したメリットはボチボチあるけど、分析という点では、自分が好きなように分析できるようになったことがすごく大きい。

前の会社は、その会社が独自に編み出したという、言ってみれば摩訶不思議な分析方法、というか集計方法が沢山あった。で、なにかお客さんの分析するときは、世の中で出回っているマーケティングサイエンス的な手法をとることはなんとなくはばかられ、そのかわりに、会社独自の摩訶不思議分析を組み合わせることを強いられた。この摩訶不思議分析、まあ、いいといえばいいんだけど、やっぱりなんとなく中途半端感があるのだ。そんな会社の中で、多変量やデータマイニングを口にすることははばかられ、この摩訶不思議分析を使いこなすことが優秀な社員というか、上司が評価する社員となっていた。正確に書くと、その会社の上司も、まあボンクラなので、数学的に小難しいものは分からないのである。もっと言ってしまうと、別にわからないのは数学だけに限らず、マーケティングも経営戦略も、分析も、なーーーーんにもしたことのない人たちが、部長になってのさばっていた。だから、まともに分析できる人なんて評価されない。仮に、分析で失敗した時、多変量を使うと激しい批判にさらされる可能性はかなり高い。がしかし、その会社独自の摩訶不思議分析をつかうと、まあ、仕方ないよねということになるわけで、その会社にいるときは、本当に息苦しかった。

がしかし、今は晴れて自由の身になったのだ。何をどう分析しようが、はっきり言って何の関係もない。僕ができることなど、会社の誰も理解できないけど、だからと言って、前の会社のように陰湿、イジイジとして存在を無視するということもない。前の会社のように、中途半端な分析結果なのにもかかわらず、堂々と金をもらおうとするうしろめたさも皆無。そういう意味では、ほんとうに心が晴れ晴れとしている。

思えば、前の会社は、手足をきつく縛られていたとつくづく思う。いまは、本当に好きなように分析できて、あの監獄から抜け出せて本当に幸せな毎日なのです。

2015-03-29

2015年ポルトガル旅行9 ~2月12日(金) ポルト2

ポルトガル旅行に行って、はや2か月がたとうとしているにもかかわらず、旅行記がいまだまとまらない。すでに、だいぶ忘れつつあるが、記憶にある限り記録に残したいのだ

サン・フランシスコ教会の荘厳な雰囲気を堪能した後は、再びカイス・ダ・リベイラにもどる。河岸の雰囲気を堪能しつつ、ポートワインのワイナリーが林立するする対岸に歩いて渡る。対岸のノヴァ・デ・ガイアから対岸の歴史地区を見る。本当に、綺麗な風景で感動。




天気が良かったら、と何度思ったことか。思い直して、見学ができそうなワイナリーを探す。



何の手がかりもないので、とりあえず、端まで歩いてみる。川沿い最後のワイナリーが、Ferreiraだ。おもむろに建物に入る。すると、受付にお姉ちゃんが座っている。見学したい旨を伝えると、今日、残りのツアーはスペイン語とフランス語だけよと言わる、さすがに、それではあきらめるしかない。見学はいいよと言って、ワイナリーを出る。仕方ないので来た道を戻る。いくつかのワイナリーに入るが、すでに営業が終わっていたり、展示物は見学できるけど、工場そのものの見学ができないワイナリーが続く。それもそうだ、すでに午後4時。シーズンオフの観光地の店じまいは早い。最後に入ったのが、一番手前にあったCalem。





半ばあきらめの境地で工場に入り、再び受付のお姉ちゃんに尋ねる

わし 「ポートワインだけでも買えればと思ってるんだけど」

お姉ちゃん 「ワインだけ買えればいいの?それだったら、売店があるよ。5時から見学ツアーもやってるけど」


わし 「見学ツアー、行けるんだったら行きたいな」

お姉ちゃん「5時から英語のツアーがあるから、それに参加できるよ。ただし、費用は5ユーロかかるけど、2杯のポートワインを試飲できるよ。ちなみに、どこから来たの?」

わし 「そうなんだ、じゃあ、それに申し込むよ。日本から来たんだ」

おねえちゃん 「オッケー。じゃあ、15分ぐらいその辺で待っててね」

といったやり取りがあり、無事、ワイナリーツアーに参加することに成功。待合室?で、ツアーの他の参加者のようすを見る。ボチボチ参加者がやってきて受付をしている。


20人くらい集まったころ、ツアーが始まる。ワイナリーのお姉ちゃんが、ポートワインの成り立ちを説明する。ドロウ川の上流はブドウ産地として適していること、かつて、ブドウの収穫は大変な重労働だったけど、最近は、機械化が進んでいること、ポートワインは、船で樽に詰めたワインを船で運ぶ時に、ワインと樽との間にできた空間によって、発酵度合いが異なることに偶然発見し、Tawnyなどのいろんな種類のワインが製造するようになった、、、といったことをたぶん、説明してくれました。が、いかんせん、早口で細かかったので、あまりしっかりとは理解できませんでした。




まあ、一通り説明を聞いた後、試飲コーナーへ。正直なところ、いろんなワインが飲み放題なのかなーと思ったけど、個人で参加したツアー、そんなわけあるわけない。2種類のワインを試飲することに。たぶん、どちらも、それなりに甘くおいしかったと思われます





ワインを飲んだ後、適当に写真を撮っていたところ

「写真、とってあげましょうか?」

と、ドイツ人(とかってにおもっているのだが)の女の子に、日本語で話しかけられる。いきなり日本語で話しかけられたので、相当、びっくりしたので思わず断ってしまった。しかし、今思えば、写真を撮ってもらい、異国の地で異国の女子との交流を満喫すればよかったと、心から後悔するのであった。今思うと、リスボンとポルトで、2匹の大物とのやり取りに敗れ去ったということだと思う。旅慣れてないって、損ですよね。

お土産用に、5000円ぐらいの30年物のビンテージポートワインを購入する。別便で送ってもらおうと思ったのだが、受付のお姉ちゃんに調べてもらうと、ワイン3本で8000円の運賃がかかるという。これはありえん選択だと考え、1本だけ購入することに決定。

ワイナリーツアーを終えた後、再び、対岸のカイス・ダ・リベイラを散歩しつつ、ホテルに戻る


ノラ・デ・ガイアから再び眺めた歴史地区


カイス・デ・リベイラでくつろぐ若者たち。
本当に、何でもない風景にいちいち感動してしまう自分の安っぽさ万歳なんです。まあ、そりゃそうだ、近所の健康ランドの温泉に行くだけで、すごく楽しいんだから、日本から何千キロも離れた異国の地にいるだけで楽しいのは当然に決まっている。

ブラブラ散歩しつつ、ホテルに戻る。一休みした後、携帯の電池がないこと=目覚ましがないことに気づく。さてどうしようと思いつつ、なんとなく、ホテルの案内を見ていると、モーニングコールサービスがあることを見つける。こんな手があったんだ!ときづき、フロントに次の日の朝6時に、モーニングコールというか、英語ではWake up callを頼み事なきを得る。もろもろ、次の日の準備が終わった後は晩御ご飯へレッツゴー。

さて、どうしようと思ってうろうろしていると、グレリゴス教会がライトアップしている。あまりの荘厳さに感動し、再び写真撮影。すると、近くにいたポルトガル人がスマホを渡してくるので、写真を撮ってあげる。そう、この感動に国境はないのだ。


といったこと思いつつ、ふたたび、優ご飯を食べにカイス・ダ・リベイラを目指す。が、思いのほか、遠くて途中で断念。駅方面に戻り、リベルターデ広場前のレストランに呼び込みのお兄ちゃんが話しかけてくる。パスタもピザもがあるよとか結構適当なことを言ってきて、なんとなく信用しきれなかったけど、まあいいやと入ることに。席に通されると、メニューを渡される。すると、この時期のお店のおすすめメニューなるものが書いてあり、ウエイターのお兄ちゃんが、今の時期はLampreyのリゾットが一押しだと言ってくる。Lampreyってなんだ?とおもったけど、よくわかんないけど、一押しだっていうならと、白ワインとともに注文。白ワインを飲みつつ待つこと20分くらいでLampreyのリゾット到着。それがこのもの。



何とも言えないような色をしている。大した期待もせず、リゾットをいただくと、想像以上のうまみが口の中を支配する。えっ?と思い、もう一口、リゾットを食べる。疑問は確信に変わる。

「これは、確実においしい!」

夢中で、お皿にリゾットをよそい口に運ぶ。やっぱりうまい。しばし、白ワインを飲みつつ、無我夢中でリゾットを食べる。ふと、lampreyってなんだという疑問が頭に浮かぶ。鍋に入った魚類らしきものをじっくり眺めるが、なんだかよくわからない。カバンの中に電子辞書が入っていることを思い出し、Lampreyを調べる。

「ヤツメウナギ!!」

たしかに、鍋の中の魚はドジョウのようだ。しかし、ウナギとは異なる食感。無我夢中で食べ、あっという間に完食。ポルトガル最終日にして、この旅、最高の食材に出会う幸せに感動。お米を最後の一粒まできれいにいただき、ウエイターにお勘定を頼む。ウエイターは、食べ終わった空っぽ鍋を見て満足げな笑みを浮かべた後、たしか20ユーロ強?を請求。気持ちよくお金をはらいお店を出る。すると、客引きをしていた男の子が「うちのお店どうだった?」と聞いてきたので「すごくおいしかったよ」と答えて、お店を後にする。

ポルト、それほど期待していなかっただけに、すごく楽しい最高の一日だった

2015-03-16

大きい声で言えないこと

(1) 子供
いい年なので、友達の子供とご面会することがある。実際に会うこともあれば、Facebookで拝見することもある。正直な話、友達の子供は、他人様のお子様なのである。僕とは、遺伝的ながりはもちろん、情緒的なつながりもない。すなわち・・・・、他人の子供はかわいくない。あーいってしまった。

全ての子供が、かわいくないわけではない。かわいい子もいる。何が違うかといえば、顔が整っているかいないかだ。僕は他人なので、本当に客観的にしか見れないのだが、よく言えば愛嬌がある顔の子供を見ても、愛嬌がある(ブサイク)とは思っても、かわいいなーとは思えないことが多い

逆に、かわいい子供=顔が整っている子供は、友達の子供でもかわいいものだ。それは、友達の子供でなくても、かわいいかもしれない。ありていに言ってしまうと、こんなことをいうと何様だと思われるので怖いんだけど、子供の顔は親の顔の生き写しなのだ。だから、、、、、親の顔の造作がアレだと子供もアレ・・・・・、うーーーん、すべては言うまい。

なんとなく困ってしまうのは、子供の写真を得意げに見せられる時だ。自分の目の前には、親の顔があり、スマホには、その親の顔の遺伝子をもった子供の顔があるわけだ。普段、その親の顔が整っていようがいまいが、全く気にならないけど、スマホの写真を得意げに見せられると、親と子供の顔のつくりが気になってしょうがなくなる。親バカだからさーとか何とか言って写真を見せるのは、全然構わないんだけど、「かわいいだろー」といってくると、本当に、親の顔の造作がすごく気になりだして、すごく返答に窮してしまう。まあ、といっても、かわいいお子さんですね~くらいのウソを付ける程度の社会性は、一応、持ち合わせいている。じゃないと、すでに誰かに殺されている気がする。

自分の見た目・容姿にはまったく自信がないどころか、写真を撮られるのも、撮った写真を見るのも苦痛なので、いつか子供ができたとき、子供の写真を他人に見せるようなことだけは決してするまいと心に誓う日々なのである

(2)経営者
この間、えらい人と打ち合わせをしていた時のこと

「業績が悪い。それもこれも、お前ら(ヒラ)が、業績が良くなるよう、本気で仕事をしてないからだ。そもそも、業績が悪くて心配しているのも、俺だけだ。だから、明日からお前らも経営者の気持ちで仕事をしなきゃいけない」

といったテイのことを言った。その時に、経営者のような気持ちで働いてほしかったら、払う金も経営者並にしろよと、心の中だけでおおきく叫んだ。ホント、思い違いもはなはだしいぜ。経営者は、基本、誰にも文句言われないからと言って、お前らの指図が悪くないことの証明ではなんだからな。



2015-03-15

2015年ポルトガル旅行8  ~2月12日(木) ポルト1

12日はギマラインスからポルトに移動する日。

8時ごろ、ややゆっくりと起床。身支度を整えて、朝食をたべにレストランへ行く。パン、チーズ、そしてスイーツの類まで、いろいろ用意してある。食いしんぼうな自分は、すべての料理一通り食べないと気が済まない悪い癖がある。で、この日も、ほぼ全部の料理を食べてしまう。またしても、おなか一杯に。日本人ツアーのオバちゃんたちは、すでに出発したようだ。

ご飯を食べた後、用意をして11時ごろホテルをチェックアウト。フロントでタクシーを呼んでもらう。で、そのまま駅へ移動。券売機でチケットを購入し、11時45分発の電車にのりこむ。で小一時間でポルト、サンベントス駅に到着。で、そのままホテルにチェックイン。

Grande Hotel de Paris



駅そばにある、1877年に創業したとう小さいホテル。別に豪華でも広くもないんだけど、小さいけど、小じゃれた女子好みのホテルだと思う。エレベーターが、昔ながらの自分で扉を閉めるタイプだったことが印象的だった。

荷物を置き、スマホを充電しようとして気がついた。ケーブルがない!色々さがしても、どうしてもない。どうやら、ギマラインスのホテルに置き忘れたようだ。仕方ないので、何かの時のために、そのままスマホの電源を切った。

気持ちを取り直し、ポルト観光へ出発。まずは、駅で、次の日の特急のチケットを購入。で、まずは、目の前に見えていたグレリゴス教会へ。


礼拝堂を通り、教会の展望台に上る。
登り切った展望台から望む、整ったポルトの街並みに大感動!




展望台は狭かったけど、ほかの観光客もすくなく、景観を堪能した。本当に、なんども写真を撮ってしまった。ポルト、それほど期待していたわけでなかったけど、それだけに、感動も大きかった。

再び、駅方面に戻る。途中の街並みを見るだけでうれしい



そのまま、カテドラルSeへ。これまた、荘厳な建築物だ




街角にいたネコ。かわいい

カテドラルSeから眺める街並み



言葉いらないのだ。カテドラルSeからポルトの歴史地区を歩き、ドロウ川の河岸、カイス・ダ・リベイラに到着。

歴史地区の街並み。


カイス・ダ・リベイラと、ドン・ルイス一世橋






カイス・ダ・リベイラをざっと見た後は、サン・フランシスコ教会へ移動。

ポルトの街並みを走るトラム

サン・フランシスコ教会



教会を見た後は、再びカイス・ダ・リベイラへ移動。
橋を渡り、対岸のノヴァ・デ・ガイアへ。そう、ポルトワインの見学に行くのだ

2015-03-10

大学教育と職業訓練

ふと、大学(院)教育と職業訓練について考えることがあった。というか、昨日、ゼミの同窓会に行ったとき、新聞記者になった同級生がいて、その人が、いま、大学の社会的意義を調べているとかで、そんな話になった。

自分自身、大学での勉強は、いまの仕事内容と無縁と言い切れる。じゃあ、何の役にも立っていないかと言われれば、まあ、何かの役に立っている気はする。今、マーケティングの仕事をしているけど、マーケティングが社会科学である以上、社会学部で習ったことが無縁と言い切れないからだ。実際、大学で聞いたような考え方は、ちょいちょいでてくる。でも、だからと言って、直接、その知識を駆使して、仕事をすることは、まずない。

個人的な話をすると、大学を卒業してしばらくしてから、大学院に行った。大学院では、統計学やプログラミングなど、まあデータ分析のお作法を勉強した。大学院進学の目的は、職業訓練そのものであり、勉強内容が、今の仕事に直接関係していることは間違いない。だけど、役に立っているかと言われれば、なぜか、これまた断言しきれない。

なぜかといえば、学校で習ったことは、いわばお作法というか、手ほどきであり、Working knowledgeにはほど遠いからだ。もちろん、学校で勉強した基礎理論をしらなければ、その先もないんだけど、今となっては、学校を出た後のほうが、とんでもなく長いわけだ。だから、なんといっていいかわからないけど、学校で習ったことが役立って、もう、その後の人生ウハウハですわ、とはならないのだ。まあ、当たり前だけど。

なんとなく思うのは、大学教育が職業訓練に結び付けば、大学の社会的価値は高まるのは間違いない。だけど、学生の側からいえば、大学を出た後の人生のほうが圧倒的に長いのも事実なのですよ。個人的には、どんな仕事が向いていそうかなんて、働いてみないとわかりっこないと思うので、そりゃなんでもすんなりいけばいいんだけど、人間万事塞翁が馬と考えて、20代のうちは、勤める会社すべてインターン的なノリで過ごしても悪くないんじゃないかと、無責任に考えたりもする。

と同時に、学校(大学院)で習ったこと、例えば、自分でいえば統計学やデータ構造とアルゴリズム系の基礎理論ですら、関連する職に就いてるにもかかわらず、もうすっかり忘れ去ってしまっており、知識の錆びつき具合もハンバなく、どんどんバカになって行っているいることは確実なので、定期的に頭の中身をアップデートし、凝り固まった頭をほぐさなきゃいけないんだけどなあ~、とよく考える今日この頃なのである。

2015-03-08

2015年ポルトガル旅行7  ~2月11日(水) ナザレ~ギマラインス2

ギマラインス行きの鉄道は、ゆっくりと北上していく。
社内は平日の昼間だけあって閑散としている。日本人どころか、アジア系は一人もいない。観光客は、めったに乗らないであろう鉄道で移動することを心から楽しんだ。電車に乗っているだけでも幸せなのです。


小一時間後、目的地ギマラインスへ到着する。駅前に止まっているタクシーに乗り込み、ポザータへ向かう。10分ほどで目的地に到着した。このとき、たぶん、16時前。ナザレを出て、8時間たっていた。



このポザータは、12世紀にたてられた修道院 'the Monastery dos Agostinhos'を改築したホテルなのだそうです。丘の中腹にあるこの落ち着いたホテルからは、ポルトガル初代国王アルフォンソ・エンリケスが生まれたといわれているギマラインスの街を見渡すことができるのです。

と・も・か・く!期待以上の景観!テンション、ハイパーマックスへー、と興奮してもひとり。



ひとまず、カウンターでチェックインをする。さすが、たぶん高級な類のホテル。いままでのホテルの従業員と異なる丁寧な対応。カウンターからは、ボーイさんが荷物を運んでくれた。チップを払ったはずだが、あまりはっきり覚えていない。

大広間


これはおそらく応接であろう


ピアノもおいてある


応接にある暖炉
暖炉の前のソファーでくつろぐ。気持ちだけは、王様になったようだ。といっても、ここは元修道院なのだが。バチバチと燃える木の音にいやされる



これが、案内された部屋。
落ち着いた雰囲気でブルーのベッドカバーがシャレている。ちなみに、初の床暖房だった。あったかい。


廊下。無造作にとっているので写真が曲がっている


噴水


といった感じで、写真を撮りまくったわけです。部屋に戻って、一休み。その後、19時30分ごろにホテルのレストランに移動し、待望のディナーをいただく。で、ここでも現れた、日本のツアー客。ここぞというところで現れる。どうやら、ポルトガルの人は、夜8~9時ごろにご飯を食べるようで、悲しき日本人同士、時間と場所がかち合うようなのでした。

まあ、離れてれば何でもいいやと思い直し、適当に席に座る。メニューを見て、前日は、サンミゲルで焼き魚を食べたことを思い出し、今回はは鶏肉をいただくことにした。しばらくして、ポテトのペーストの上にシンプルに塩で焼いたチキンの料理がサーブされた。そして、白ワイン。実は、ウエイターのおじさんに、メニューに書いてあるSparkling wineを頼んだのだが、なぜかおじさんは、それはSparkling wineじゃないとかたくなに主張する。そして、白ワインを飲めと。いや、これメニューにSparklingってかいてあるじゃんといったら、おじさんは、「それ、シャンパンだから」と。なぜか、そこでなっとくしていまい、白ワインを頼んだのだが、べつにシャンパンでよかったのだ。おじさんは、いったい、何が言いたかったのだろうか?


ま、そんことで、グラスワインを2杯ほどのみ、メインを食べ、おかれていた前菜とパンをパクパク食べたら、なんと5000円近くになってしまった。まあ、ホテルのレストランだから仕方ない。でも、味は確か。ポテトのペーストもチキンもすごくシンプルな塩味だけど、それが絶妙ですごくおいしかった。白ワインも、オバちゃんが、居酒屋のようにドバドバついでくれて、風情も何もあったもんじゃなかったけど、まあそれはそれでよかった感じがして、大満足。というか、食べ過ぎた。

その後、先ほどの応接に行き、暖炉の前でひとりたそがれる。本当は、暖炉の前のバーで、ポルトワインや、飲みそこなっていたVinho Verde(緑のワイン)を飲みたかったのだが、お腹いっぱいであきらめることに。

そんな感じで、心もおなかも満たされ部屋に戻り、シャワーを浴びて、幸福感満載で4日目も終了となったのでした。