2015-02-24

2015年ポルトガル旅行5  ~2月10日(月) リスボン~ナザレ

3日目は、リスボンからナザレへ長距離バスで移動した。

朝8時ごろ起床、ご飯を食べた後、荷物をまとめる
たしか、10時ごろ、ホステルをチェックアウト、出発。前日までの快晴が一転して、小雨模様。地下鉄バイシャ・シアード駅まで、スーツケースをゴロゴロ引っ張って歩いていく。駅の改札で、Viva Viagemを再び購入した。しかし、リスボンには3日間いたけど、3回このカードを買ってしまった。やっぱりなんだかんだ言って、緊張しているようだ。地下鉄Linha Azulに乗車し、セッテリオスバスターミナルがあるJardim Zoologico駅まで移動。地下鉄駅はポルトガル国鉄のセッテリオス駅と直結していた。駅をでると、すぐにRede Expressorのバスターミナルが見えて、すぐに到着。10時50分ごろ。

12時発のナザレ行きチケットを1枚を、窓口のおばちゃんから購入する。
12時ちょっと前、ターミナルにバスが到着。すぐに乗り込むと、しばらくしてバスは出発。


ターミナルを出たバスは、すぐに高速に乗った。風景を眺めると、すでに、緑ゆたかな丘陵地帯にところどころ新興住宅地が点在している。新興住宅は、一戸建てでも集合住宅でも、オレンジ色の屋根に白壁は共通している。統一感がある景観は、何度見ても美しい。ポルトガルと比べれば、日本は、統一された景観が本当に少ないと思う。だけど、そんな移り気で、よく言えば柔軟なところはは日本の良さなのかもしれない、といったことをつれづれ考えているうちに、午後2時ごろナザレに到着。

海辺の町ナザレは、ヨーロッパ内でもより裕福な国、イギリス・フランス・ドイツあたりの保養地のようだ。さすがに、今は冬のシーズンオフ、観光客は少ない。海岸沿いの歩道を歩いて、今日泊まるのホテルに10分ほどで到着

Hotel Mar Bravo


チェックインした部屋から窓から海が見える。部屋もきれいだ。一休みした後、早速、ナザレの街を探索する。まずは、ケーブルカーに乗って、崖の上に行くことに。ホテルでてケーブルカーの駅を探すが、なかなか見つからない。同じところを2~3回まわってようやく発見。というより、何度も前を通り過ぎていた建物がケーブルカーの駅だった。往復3ユーロのチケットを購入し、ケーブルカーへ乗車、ほどなくして出発。


5分ほどで、崖の上に到着。崖の上の展望台にやってくると、本当に素晴らしい眺望が広がっている。なんども、同じような写真を撮ってしまった。晴れていたら、もっと素晴らしい景色だったかもしれないけど、それでも十二分に満足。


住宅街をぬけ、そのままサンミゲル要塞へ。
手すりもフェンスもない遊歩道を歩く。


再びナザレの街を望む



たぶん乗馬クラブの案内


 サンミゲル要塞へ到着。現在は、灯台になっているようだ。中には入れない。




崖の上からナザレとは逆側の展望。手つかずの自然が残っている。日本は、海辺ぎりぎりまで町が広がっているので、もはやこんな自然はのこっていないなどと思いつつ、ケーブルカー駅からホテルに再び戻る。

一休みした後、夕食に出かける。レストランに入る前に、お土産物屋さんに立ち寄る。そろそろ、なにかお土産を買いたいと思いった頃だった。お土産を物色してると、手編みのセータを見つける。すると、様子をうかがっていたお店のおじさんとおばちゃんがが出て、だれのお土産なのか?と聞く。とっさに、母親のだと答える。すると、その場が温かい雰囲気一気に包まれた。身長はどのくらいかとか、どんな色がいいのか?とか、この色はどうだとか、これはナザレの漁師の主婦がてあみでつくったんだとか、すごく親身に、いろんなことを教えてくれる。正直な話、両親仲が悪い家庭で育った自分にとって、温かみがある、仲が良い両親とはこういうものかもしれないと、ほのぼのとした気持ちになる。いろいろ見た結果、アイボリーのフィッシャーマンセーターを購入。手編みなのにすごくリーズナブル、たった20ユーロ。ユニクロよりも安い。

そのまま、崖下のサンミゲルという、その町の中ではやや高級なレストランに入る。


お店に入ると、なんと日本人の団体さんとばったり。レストランは、日本人のオバちゃんツアーと、ほかに、一組しかいない。話しかけられないように、遠くに座る。オバちゃんたちの周りだけは、日本の居酒屋なみに、がやがやしている。無理もない、言葉が通じる仲間とこんな素敵な空間に来れば、だれだって興奮を抑えきれないと思う。

気を取り直して、メニューをみて、スズキ、というかセイゴの塩焼きと白ワインをいただく。Sea bassをほしい、というと、ウエイターは、「Sea bassはスズキだよ」と教えてくれる。親切だ、といより、日本人、たくさん来ているんですね。しばらくして、サーブされたセイゴは、シンプルな塩味だった。ただし、泥臭さ・生臭さは全くない。とても新鮮な証拠だ。生まれて初めて、ナイフとフォークで、魚の塩焼きを食べる。白ワインとの相性もとても良い。量、味付け、鮮度、すべてパーフェクトだった。さすが、日本人ツアー御用達のレストラン。


食べ終わって、お会計を済ませた後も、団体のオバちゃんたちの宴会は続いていた。ウエイターは、オバちゃんたちの目の前では親切なのだが、ちょっと離れて様子を見る姿は、すごく冷やかだった。無理もない。

すこし、町の中をぶらついた後、そのままホテルに帰った。
ナザレ、本当にきれいな街だった。今度は、できるものなら夏に来たい、そんなことを思いつつ寝床についた


2015-02-22

2015年ポルトガル旅行4  ~2月9日(日) カスカインス~ロカ岬~シントラ

2日目は、定番の観光コース、カスカインス~ロカ岬~シントラを回りました

前日、目一杯動き回ったため、起きたのがすでに10時半。そこらか、身支度を整え、Cais do Sodreに向かう。朝ごはんを食べてなかったので、駅そばのリエイラ市場に立ち寄る。一言でいえば、ショッピングモールのフードコートのような感じ。まあ、現実には、日本のフードコートが真似たんだと思う。

すごくおいしそうなお店がたくさんある。だけど、ポルトガル語が皆目わからん・・・



朝から、軽くワインを飲んでいる人もいる。
何とか頼んだのが、生ハムのサンドイッチ。
ハムがすごくおいしい。日本のハムは、基本的に味がないけど、こっちは、比較的しっかり塩味がついている。単純にパンに挟んだだけだったけど、すごくおいしかった。生ハムのサンドイッチ、3ユーロなり。


ふたたび、Cais do Sodre駅に戻り、カスカイス~ロカ岬~シントラ~リスボン周遊券を購入する。駅のカウンターで、この周遊券は、リスボン市内の地下鉄は乗れないけど、ちゃんと理解してるのか?と確認されたけど、シントラ行くから問題ないよと答える。

たしか、12時過ぎの電車に乗り、カスカイスへ。色々、めぐってみたかったけど、すぐにロカ岬経由シントラ行バスがあったので、それに飛び乗る。たしか、シントラ行きバスも、駅で買った周遊券が使えるはずだ。Viva viagemをセンサーにかざすが、バスの運転手は、これでは乗れないという。たしか、4ユーロ弱を払って、バスに乗り込む。通学バスを兼ねているようだ。学校帰りの地元の子供たちが乗り込む。ワイワイしながら、バスはロカ岬へ進む。しばらくして、とある集落で子供たちは降りた。しかし、どこがロカ岬だろうか?と思いつつ、バスに乗っていると、勝手知る運転手が叫んだ

「Cabo da Roca!(ロカ岬!)」

観光客と思しきイタリア人?のおばちゃん軍団と一緒に、バス停を降りる。
すると、すぐそこは、ユーラシア大陸最西端ロカ岬だ。











とにかく、景色がきれい。日本人が全くいないことも心地よい。リタイアした老夫婦の観光客が多い、きっと悠々自適の観光旅行なんだろう。いずれにしても、自分とは、ほど遠い世界のこと。なんとなく、うらやましい様な、別世界のような気持ちで、仲睦まじい老夫婦たちを眺めた。

一時間ほど散策したのち、再び、路線バスに乗りこむ。今度は、周遊券の領収書をバスの運転手に見せると、このままバスに乗ってよいという。で、そのままシントラへ。シントラからは、シントラ(434番)の周遊バスで、ペーナ宮殿へ。シントラは、ほかにも見所があったのだが時間がない。入口で入場料を払い、山道を登ること20分くらいで宮殿へ到着。



もともと修道院として建築したらしいが、その後、どこかの王様が改装して宮殿になった。日本でいえば、山城か?実際には、荘厳だったけど、写真で見るとお菓子のお城のようでお茶目だ。


ポルトガルは、一度、アラブというか、イスラム系に支配された歴史があるようで、ヨーロッパとイスラムの風習が混在している。モザイクのようなタイルも、イスラムの影響らしい。




ペーナ宮殿、最上部からの眺望。本当に、綺麗でしばらくぼーっとしていた




宮殿だけあって、当時の調度品やステンドグラスが展示されていた。

再び周遊バスにのり、シントラ駅に戻る。6時過ぎの電車に乗ると、小一時間で、リスボンの中央、ロッシ駅に到着。駅前のAugusta通りをブラブラしながら、ご飯を食べれそうなお店を探すが、やっぱりなんとなく入りにくい。


そのまま、シアード~カモインス広場を経由し、ホステルがあるBairro Alto地区に到着。ホステルの近くにある地元民も入っているレストランに入る。メニューを見るものの、なんとなく、英語ですら何が書いてあるか理解できない。そこで、一番上に書いてあるのはおそらく一押しに違いないと思い、赤ワインとともに、適当に注文。でてきたのは、おそらく小豆のリゾットと、バカリャウ(干しタラ)のフライ?コロッケ?。赤ワインを飲みつつ頂く。塩中心のシンプルな味付けで、それなりに美味しい。ちなにみ、すぐ隣の席は、金髪の母親と娘がご飯を食べていたのだが、お店のマスターとおもわれるおっさんが、大した用事もないのに、何かと話しかけていたのが印象に残った。オヤジの行動というのは、万国共通なのだ。たしか、お代は30ユーロ弱。まあ、こんなもんか、と思いつつお金を払い、ホステルに戻る。

朝起きるのが遅くなっちゃたけど、2日目もリスボンを満喫したのでございました。


2015-02-19

2015年ポルトガル旅行3  ~2月8日(月) リスボン市内観光2

コルメシオ広場の前の観光案内所で、サン・ジョルジュ城への行き方を聞く。市電28に乗れという。近くの停留所まで歩いていき、サン・ジョルジュ城へ。サン・ジョルジュ城は、リスボンの丘の中腹に建っており、その眺めが、それはそれは素晴らしい。






サン・ジョルジュ城を堪能した後は、市電28に再びのり、ホステルへ戻る。市電は、観光客で満員だったのだが、なんだか怪しい男が妙に近づいてくる。すごく気持ち悪い。あまり、目を合わさないようにしていたのだが、そうこうしているうちに、ズボンの右前のポケットに、そーーーーーっつと手を入れてきているではないか。

こっ、これは、スリ!なのか?あるいはチカン!なのか?

べつに、どっちに転んでもイヤなので、手を払いのけた。すると、思いのほか簡単に、どこかに引き上げていった。あー、びっくりした。

リスボン、あまり怪しげな雰囲気もなく、やや油断していたのも事実。ズボンの前ポケットには、たしかにクレジットカードが入った財布が入っていたのだが、それよりも、ダウンの右前ポケットには、スマホが、左前にはデジカメを無造作に入れていた上に、ダウンのファスナは開けたまんまだったのだ。いやはや、ダウンのポケットを狙われたら、スラれていても不思議でなかった。

やや気を引き締めて、スーパーでコークゼロとパンを買い、ひとまずホステルに戻った。たしか、6時ごろ。で、一休みしたのち、7時半ごろ、今日のメインディッシュ、リスボンダービー 3位でホームのSporting Lisbon vs, 首位Benfica戦へ再び出発。

ふたたび、Cais do Sodre駅から、地下鉄Linha Verdeに乗り、Sporting LisbonのホームスタジアムがあるCampo Grandeへ。すでに試合は始まっている。スタジアム周辺は、すでにひと騒ぎ終わったようで、プラスチックのコップやらビールの空き缶がそこいら中に散乱している。

チケットをもって中へ。当然、満員。すでに試合も始まっているし、もはや、席を探してスタンドをうろつくことはできない。




前半は通路から観戦する。前半は、Sportingが攻めているが、攻めきれない。決定的なチャンスもほぼなく、そのまま前半が終了。このタイミングで、購入していた席に移動することに。

すると、自分の席に、すでに女の人が座っている。ありがちーと思って、チケットを見せる。すると、あー、はいはいという感じで、自分の前の席が空いているから、そこに座れという。なんか無責任だなーと思ったものの、まあいいやと思ってすわることに。で、しばらくすると、その女の人が話しかけてきた

女の人  「田中の友達?」

自分 「はあ?田中?レイソルからSportingに移籍した田中のこと?う~ん、レイソルは柏がホームだったけど、別に日本人だからって、別に友達ではないよ」

女の人 「いや、そうじゃなくて、私が田中の友達!」

自分 「???、、はあ、そうなんですね」

女の人 「ちょっと、まって」

といって、なにやらスマホで検索し始めた。

女の人 「これ、私の旦那さん(Jefferson)、Sportingの選手なの」

自分 「!!!!、そうなんだ、旦那さんは出場してるの?」

女の人  「残念ながら、今日は田中は出てないよ」

自分 「そうなんだ(通じてないなあ~)」

正直な話、相変わらず疑り深い僕は、本当なんだかよくわからんと思っただけだったけど、あとから考えてみると、田中のブログに確かにJeffersonがよくしてくれているって書いてあることを思い出した。しかし、そんなときん限って、ネットがうまくつながらず、その場では確認しきれず。

そうこうしているうちに、後半が始まった。なかなか点は入らない。のこり10分。今日は引き分けかと思った瞬間、キーパーが弾いたボールにうまく詰めていた、そのJeffersonがシュートを決めて、ホームのSportingが先制!

奥さんが奇声を上げて狂喜乱舞してました。

ただし、その時は、状況がよく理解できず、奥さん、さっきまでしらっと試合を見ていたのに、急に興奮しだして、どうしたのかなと思っていたんですが、まあ、そういうことだったわけです。あー、もうちょっと、色々話せば良かったと、消極的な自分の性格に後悔。

で、このままSportingが逃げ切るかと思いきや、そうは問屋は下ろさない。それまで、比較的引いて守っていたBenficaが急に攻勢をかける。で、5分後くらいに、いとも簡単に同点ゴール。で、結局引き分けとなってしまいました。

で、そのまま再び満員の地下鉄に乗り、Cais do Sodreに戻り、あるいてホステルに帰りました。

初日から、やりたいこと全部できて大満足な一日となりました


2015-02-18

2015年ポルトガル旅行2  ~2月8日(日) リスボン市内観光1



日曜日は、リスボン市内観光へ出発

たしか、8時過ぎに目が覚め、ホステルの朝食を食べた後に、出発。まずは、かの有名なジェロニモス修道院を目指すことにした。ホステルがあるBairro Alto地区から南にすすむこと20分くらいで、Cais do Sodreに到着。ひとまず、地下鉄の自動券売機で、Viva ViagemのDaily ticketをゲット、たしか6ユーロだったはず。 そこから地上に上がり、ヨーロッパの観光客で満員の市電に乗って30分くらいでBelem駅前に到着。これが、目の前に見えるジェロニモス修道院。荘厳の一言。


修道院の前で、高校生?大学生がなにか歌っている。


何かでチケットを買うのに時間がかかると書いてあったので、まずは、発見のモニュメノトとベレンの塔に向かう。すぐ近くだと思ったけど、思いのほか離れている。10分ぐらいあるいて到着。

発見のモニュメント



ベレンの塔

ベレンの塔は、テージョ川の河畔に立つ要塞?出城?対岸にも、同じような要塞があって、川をさかのぼってくる敵軍を砲撃するために建てられたとか。

ベレンの塔を見学しようとしたら、すごく人が並んでいる。しばらく、近くのベンチで休憩しつつ様子を見ていたけど、一向に、列が短くなる気配がない。仕方ないので、列の一番後ろに並ぶことに。たしか、30分くらい並んでようなくチケットを買うことができた。塔の中はとても狭いので、入場制限をしていたのだった。ベレンの塔とジェロニモス修道院の共通チケット、12ユーロを買い中へ。

塔の中は、一つ一つの小窓について、1台の砲台が設置していたようだ。


テラスに出ると、塔を望める


塔は上ることができる。塔の上から、テラスとリスボン市内を望む



ふたたびテラスに戻る。写真撮影している写真を撮る


ベレンの塔を見た後は、本命のジェロニモス修道院へ。
戻る道すがら、アラブ系の男性がアコーディオンを弾いている。飼い犬に、お金をいれる容器を加えさせている。犬がかわいい。


そのままジェロニモス修道院へ入場




まあ、なんというか素晴らしいの一言。どんないわれががあるかは全くの不明。でも、十分に楽しめた。十分に見学した後は、必ず行くべしと聞いていたPasteis de Belemのエッグタルトを食べに行く。お店はすごく並んでいたが、これは、持ち帰り用の行列なので、そそくさとお店の奥へ。勝手に椅子に座ると、店員のお姉ちゃんが、いくつと聞いてくるので、エッグタルト2つとコーヒーを注文。で、しばらくして持ってきたのがこれ。


落ち着いて、食べる前に写真を撮る。で、食べた感想は、とてもおいしい。タルトはすごく滑らかだし、周りのパイ生地は、生まれてこの方食べたことない位にパリパリ!エッグタルトを堪能した後は、市電で再びリスボン中心部のコルメシオ広場に戻った。


2015-02-17

パリOrly~CDG 乗り換え体験談

今回のポルトガル旅行で、JTBで格安航空券を買った後、リスボンからの帰路の乗り換え地パリで、到着便(TAP)の空港(オルリー/ Orly)と出発便(Air France)の空港(シャルルドゴール /CDG)が異なることに気がついた。というか、E-ticketにリスボン出発便の到着地がOrlyと書いてあったのだが、これって一体何だと思って調べて初めて、パリ市内の移動が必要だと気が付いたのだった

で、旅慣れてない私の乗り換え体験談です

まず、かなり不安だったので、予約した代理店JTBに電話して聞いてみた


・リスボン~パリ間の、航空会社の責任による遅延(たとえば、機材の遅れによる出発遅れなど)については、MCT(Minimum Connecting Time )を守っている限りにおいて、遅延した会社の責任で便を変更してもらえる。天候不順などは、どうなるか不明。


・MCTを守っていても、航空会社以外の責任、今回でいえばバス・タクシー移動でのトラブル(例えば、移動途中で、事故や渋滞に巻き込まれるなど)の場合、どうするかは搭乗便の会社の気分しだい。基本的に、航空会社に責任はない。よしなに扱うのは、航空会社の善意である。現実的に、どう対処されるかは不明


・JTBは、航空会社が提示するMCTを考慮してチケットを販売する。だけど、本当にそれだけなので、MCTの運用上の妥当性については、JTBは何の責任も負わない


とのことでした。航空会社の立場はまあわかりますが、JTBのコールセンターに移動が心配なんだけど、いい知恵ありませんかね~と聞いたら、それはお前のミスであり、買いなおすしかないといわれました。まあ、そうなんですが、感じ悪いですよね。ポルトガル往復を買いなおす選択肢なんてないじゃないですか。人が困っているのにさ。もう一生、JTBでは旅行しません。

今回のスケジュールでは、Orlyに19時50分着、CDG発が23時25分で、乗り換えに3時間半ありました。当然ですけど、通しで購入したのでMCT(3時間半)はクリアーしています。では、実際のOrly~CDG移動で、MCTはどの程度余裕があったのか、以下が僕の体験談です。

リスボンは15分遅れで出発しましたが、Orlyには、19時55分ころほぼ時刻通りに到着しました。そこから、バッグを受け取り、エールフランスの空港間バスに並んだのが20時20分ごろ。予定通り、20時30分すぎのバスに乗れました。バスターミナルも、わりとすぐわかりました。

高速は、渋滞もなくスムーズに移動。CDGの2Eのバスターミナルについたのが、21時30分ごろ。
やや余裕があると思いながら空港に入り、パリからのチケットを発券。そこで、搭乗口の集合時間が22時25分だと知り一気に焦る。Drop offに並んだのが、21時45分ごろ。Drop offは、夜中だというのにかなり並んでいる。かなりイライラしながら待つ・・・・。で、荷物を預けたのが22時20分ごろ、もう搭乗口の集合時間、ヤバイ。そこから、必然か偶然かわからないけど、出国審査・X線検査とスムーズに進む。また、搭乗口L24も、なにかに導かれるようにスムーズにたどり着き、そのとき、22時30分過ぎだったかと。で、ちょうど搭乗口に到着したとき、あと10分で搭乗を開始するとのアナウンスがあり、まあ、まさにギリギリでした。

1回しか体験してないけど、3時間半はかなりギリギリな気がします。
MCTは、その名の通りMCTで、ちょっとでも、渋滞したり、出国に手間取ると、間に合わないくらいの時間ではないでしょうか。

なんとなく思ったんですが、一番良いのは、やっぱり便を変更する事かなと思います。ただ、全部買いなおす必要なくて、例えば、今回ならば、リスボン~パリならば、格安チケットを捨てて、買いなおす価値があったかもしれません(そもそも、3万円くらいなので)。かりに、オルリーからCDGまでタクシーで移動したとしても、バスよりも10~20分程度しか早くならないし、タクシーも120ユーロ位かかるらしいし、そもそも事故と渋滞はタクシーでも避けようがないからです。JTBには、こういう提案をしてほしかったのですが。それとも、何か他にもっと良い手があったのかどうか。

です!

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2月19日追記

格安航空券の復路を意図的に破棄すると、往復航空券を片道料金で搭乗したとみなされ、航空会社は正規料金を請求することがあるようです。そして、旅行代理店の約款には、航空会社が請求したら、俺たちも貴様らに請求するよと書いてあるようです。

約款にサインしたからといって、どれだけ法的な拘束力があるのかイマイチわかりませんが、そのようなことがあることは注意が必要な気がします

ただし、これは、乗らなかったことに対するペナルティーであり、今回の僕の様に、復路の一部を、正規料金を支払って搭乗するならば、これはすでに差額(以上)の金額を払ったことと同義であり、航空会社から請求されるいわれはない気がしますが、ほんとうにそうなるかはよくわかりません。



2015-02-16

2015年ポルトガル旅行1

ポルトガルに旅行することにした。最後に海外旅行に行ったのは、一体いつのことだろうか?もはや思い出せないくらい昔になってしまった。それでも、ここ1~2年、旅行に行けるタイミングをうかがってきた。で、そのタイミングがついにやってきた。


★ 2月7日12:15 成田~リスボン

12時25分出発のJL407便で、まずはフランクフルトへ出発。ポルトガルへの直行便はなく、ヨーロッパの空港で乗り換えが必要だ。で、行きはフランクフルト、帰りはパリ(オルリー~CDG)で乗り換えるチケットを購入した。実は、パリでの乗り換えは、格安チケットを購入した後に、空港間の移動が必要と気づいたのだが、このパリでの乗り換えが、旅行前も旅行中もずーーと心配の種だった。


時刻ちょうどに離陸。飛行機は空いている。隣二つの席は空席、ゆったりした気分で過ごす。ご飯を食べたり、久々に映画を見たりしながら、ウトウトしていると、あっという間にフランクフルトに到着。16時40分。入国もあっという間に済む。成田で発券してもらえなかった乗継便のチケットも、空港の係員に尋ねて、いとも簡単にゲット。その後、2時間くらいぶらぶらした後、19時10分発のTAP PortugalのTP579便で、リスボンへ出発。そして、予定通り、21時15分ごろリスボン着。

夜だし、土地に不案内なので、タクシーで移動すると決めていた。そこで、空港でタクシーに乗りこむ。つづいて、家で印刷したホステルの地図と案内を運転手のおっちゃんに見せる。オッちゃんは、ちょっと地図を見た後、わかったわかったといい、すぐに車を走らせた。

夜のリスボンの街並み、首都の割には人が少ない。しばらくして、大通りから、路地にタクシーが入っていく。路地の路肩には隙間なく車が止まっている。駐車違反などというセコイ概念はないらしい。そんな中を、タクシーはどんどん進む。もはや、どこを走っているのか皆目見当がつかない。が、しかし、タクシーがホステルまで連れて行ってくれるはず、そんなことを考えながら、ぼんやり街並みを眺めていた

ふたたび大通りにでる。しばらくして、タクシーが路肩に止まった。おっちゃんが、もうそこの路地を入ったところが、お前が泊まるホステルだ、という。お金を払い荷物を受け取る。30ユーロだった。

やれやれついた、と思いながらホステルを探す、、、、がない。
なにか、おかしい。しばらく、周辺を探してみるが、やっぱりない。

・・・・ヤバイ

降りたところは、いわゆる歓楽街だった。夜遅くだったけど、まだ、お店がやっている。適当なファーストフード店にはいり、地図とホステルの案内を見せて尋ねる。

「あーー、ここ知ってるよ。大通り2分くらい歩いて行ったら、大きな看板あるからすぐわかるよ」

わー、ありがとう、といってお店をでる。なんだ、近くにあるのかと、ほっとする。で、道をしばらく歩くが、やっぱりない。うーーん、なにかがおかしい。ちょっと、ヤバイ。さらに、ホステルを探す。しかし、一向に見つかる気配がない。それどころか、大通りから、一歩、裏路地に入ったら、もう自分がどこにいるかわからない。というか、そもそも、自分がどこに下ろされたかすらわからない・・・。

しばらくすると、裏路地の暗がりに警察官がいることに気づいた。再び聞いてみる。ホステルの案内と住所を見せる。すると、警察官が、場所がわかったという。がしかし、そこから先、警察官が何を言っているのかがよくわからない。とにかく、今いる裏路地をまっすぐ突き当りまで進めと言っているようだ。とりあえず、わかったといい、裏路地を進む。しかし、いわば新宿ゴールデン街のような隠れ家的なバーと住宅街が続く裏路地、進むにつれて再び心配になる。ホステルがあるとは思えない。どうしよう・・・・

「どうかしましたかーー」

突然、日本語で声をかけれる。お互い、ゆっくり近づく、ポルトガル人の若い女の子2人だ。興味本位で、日本語で声をかけてきた。その先は、英語でやり取りをする

女の子  「どうしたの?」

自分     「いや、ホテルが見つからなくてこまってる」

女の子 「住所はわかるの?」

自分  「わかるよ、これ」

女の子 「オッケー」

やおらiPhoneを取り出すと、地図とナビを起動して、住所を入力。あー、ここだ―といいながら、一緒に歩く。レストランで食事をした後、良いバーを探して歩いていたという。日本からどれくらいかかったかとか、何日間リスボンにいるのか?とか、たわいもない話をしながら歩いるとホステルに到着。よかったねー、お金はいらないからーと言いながら彼女たちは、再び夜の街に消えていった。もうすこし、なんで日本語が話せるの?とか聞いてみればよかったと思ったけど、すでに後の祭り。もはや、どこの誰だかよくわからない、ざんねん。そして、歩きながら、俺もスマホ持ってたわときづく。宿泊したホテルはこれ。

Hostel Inn Bairro Alto
Travessa das Mercês 52, Lisbon, Portugal

タクシーに間違って連れていかれたホステルはこれ

Travessa da Cara nº6 - Bairro Alto, Lisboa

Bairro Altoとは、リスボンの歓楽地区の名前であり、BAは、Bairro Altoの略称なんでしょうね。

と言った感じで、初日からハプニング満載でおなか一杯になったのでした。

結局、何かで競争するだけじゃないの?

ちきりんは、ネタの宝庫だ

2015-01-29 大学で得た「今、もっとも役立ってること」って何?

おそらく「授業料の対価として大学で得たものが役に立った!」と断言できる人の大半は、「職業系の教育訓練」を受けた人なんじゃないかな。

医者や薬剤師や看護師、プログラミングなどを学べる工学部とか情報学部、管理栄養士とか建築家とか。

(中略)

でもいまや、それさえ授業料を払わなくても手に入るようになってきてます。プログラミングはもちろん、もっと高度な内容でさえ、無料で学べるサイトが増えてるんです。

(中略)

これなら高校を出てスグじゃなくても、働き始めてからでも勉強できるし、いわゆる授業の中身については、授業料を払わなくても手に入るようになる。

大枚はたいて大学に行く価値は何なのか?

みんなもーいっかい、よーく考えたほうがいい。

明確に学校と職業訓練が結びつくならば、まあ、なんとなく、そんな気がする。

だけど、大多数の普通の人が卒業して就職する大卒文系というか、事務系だとどうなるんだろう。大卒文系、まあ、言ってみれば、ベタな営業。営業は、教育と職業訓練は結びつかないはず。だって、営業を教える学校なんてないから。そもそも、営業は、その会社やお客さんの事情が全てなので、学校で教えようがない。

教えようがないなら、学校を出なくてよい。学校で教えないなら、行かなかなくてよさそうだ。そういう結論になる。働く側・教育を受ける側からいえば、そのとおりだ

よく考えれば、事情は大学に限らない。普通科の高校は当然、中学校だって、事務系に資するような職業教育しない。中学も高校も出てもしょうがない。四則演算と読み書きさえできれば、大体の会社の仕事なんて事足りる。中学英語をきれいさっぱりさすれてしまったサラリーマン、世の中掃いて捨てるほどいる。営業すればいいなら、小学校さえ出れば十分。実際、今みたいに豊かな社会になる前は、丁稚奉公という制度があったはず。大事なことは、その都度勉強すればよい。

がしかし、採用する側の事情もある。採用とは競争の場なのだ

大学が教育しないからといって、何の準備もしてこなかった学生を、企業はどうやって選べばよいのだろうか?

「会社の仕事とは関係ないので、何もしてきませんでした~。とにかく、がんばりますよ!」

「う~ん、たしかにそーだよね、、、」

結局、仕事に関係なくても、何か社員を選ぶ基準が必要なのだ。職業教育する職ならば、直接、勉強した内容になるだろうし、それがない職種ならば、職業教育に類する事柄になる。で、いまの日本では、偶然か必然か、職業教育に類する事柄が学歴、あるいは学校歴なのだ。まあ、そこまでは常識かもしれない。で、大事なことは、学歴・学校歴が無駄だと証明されたとしても、こんどは、別のバカげたなスクリーニング基準が出てくるだけってことではないか。たとえば、三菱商事やマッキンゼーに入社するためには、全国統一お菓子作り試験で、偏差値70をとることが要件になるとか、そんなことになると思われる。

~~マッキンゼーの面接にて~~

★学生 

「かの東京大学を卒業しました!賢いからマッキンゼーで経営コンサルになりたいんです」

★面接官 

「まー、東大出てもね~、ところで、君さー、お菓子作り試験の偏差値50しかないじゃん。見かけの頭だけ良くてもコンサルは務まらないんだよね~。コンサルにはね、お菓子作りに通じる3つの能力、綺麗なパワポを作れる手先の繊細さと美的センス、食品物性を自在に使いこなせる高い論理性と柔軟性・感情的にクライアントを喜ばせる能力、この3つが大事なんだよ。東大でたって、せいぜい論理性くらいしか身につかないじゃない~」

~~~

そう、関係ないから必要ないのでなくて、関係なくても、なにか必要なんですよ、きっと。
で、それが、今の社会ならば、たまたま学歴・学校歴ってだけ。

だから、自分で考える気がないなら、親の言う通り勉強して有名でも、まあ、有名でなくても大学を出ておくほうが無難。その意味で、考える気がない人を、無責任に扇動するのは、どうかと思いますが。

そもそも、自分で考える気がある子は、別に、学校なんて行く必要ない。勝手に頑張るんだろうし、頑張ったことが、自然と職業につながるかもしれない。つながらなくても、好きなことしてるんだから、それで充分なんだろうし。でも、そんな子は、ちきりんみたいなブログなんて読まないと思うな。だって、もっと好きなことがあるんだから、そっち方面にしか興味ないと思うもん。

ということで、ちきりんのブログは、そのように思っている人には何の情報もないし、そう思ってない人にとっては、危ない橋を渡らせすぎるしで、だれにとってもあまり情報がないと思われました。