2011-05-08

2011 GW島根5

さて、島根最終日である5日(木)は萩へ行ってみました。
萩は、大田市から西へ150kmもあり、しかも裏日本なので高速道路もなく、日帰りではとても遠いので、気合を入れた訪問となったのでした。

8時半ごろに家を出発し、田舎の国道である9号線をひたすら西に向かいました。
これは、途中の道の駅三隅でとった絶景

鉄道と海・山という、鉄道ファンならずとも垂涎の絶景です。
実は、さて写真を撮るかと思った瞬間、田舎の鉄道・山陰線がこちら側に向かって走ってきたのです。が、そのときなぜかデジカメがエラーを出し、電車を取り損ねてしまったのでした。1時間に1本走るかどうか、、、というローカル感満載の汽車なので、取り損ねたショックは大きかったです。

で、さらに西に進むこと1時間くらいでしょうか、再び絶景ポイントとあいなったのでした。
これが益田から萩の先まで続く北長門海岸国定公園
北長門コバルトラインとも呼ぶそうです

まさにコバルトブルーです。びゅーてぃふぉー!
といっても、コバルトって見たことないので、こんな青なのかは知らないんですけど。

で、さらに進むこと1時間あまりで萩へ到着しました。
で、これが最初に行った萩城、指月城とも呼ぶそうです。
しかし、天守閣はありませんでした。毛利氏は、江戸時代末期、山口に本拠地を移したのですが、そのときに、建物はすべて解体したそうです。


で、これがかつての姿の萩城
真ん中に小さく見えるのが天守閣です
山の上にもお城があったようですね。

毛利氏は、関が原の戦いのとき西軍の総大将でしたが、戦いで負けてしまったため、広島から辺鄙な萩へと移封されたそうです。で、これが移封された毛利輝元公。萩開祖だそうです。まあ、そりゃそうでしょう、、、、という感じですが。




で、しばらくお城の中の公園をぶらぶらし、家臣が住んだというお屋敷を見学しました。
厚狭毛利氏のお屋敷。毛利宗家の分家ですよね。お城のすぐ前に家があったそうです。



しばらくぶらぶらした後、城下町へ散歩に行きました。
これが口羽家のお屋敷。壁が、いかにも武家屋敷という感じで、とても立派です。


口羽とは、島根と広島の県境にある山村ですが、もともと、口羽家とは、その辺を治めていた豪族のようです。で、毛利氏の家臣となり、関が原の戦いの後、主君について萩に引っ越して行ったようです。

で、時はくだり、明治維新直前ごろ?、職を失った武士の食い扶持のために植えられたというなつみかんたち。萩といえば、夏みかんのようですが、そろらじゅうでなりたい放題となっておりました。


 武家屋敷の壁とうちのわんこ

最後に、松蔭神社にいきまいた。
かの有名な吉田松陰先生が祭られている神社です。

歴史のことは詳しくないのですが、吉田松陰先生は、身分の違いを気にせず、求める人すべてに教育を施したそうです。で、その中から、伊藤博文とか、山県有朋とか、、、明治時代をつくった偉人を輩出したとのことでした。

で、これがかの有名な松下村塾。
 ぼっーと歩いていたら、ガイドボランティアの方が、吉田松陰先生の功績について、いろいろ説明しているのを拝聴し、へーそういうことかと、とてもためになったのでした。



そんなこんなで萩を堪能し、夕ご飯を食べた後、家に帰ってきたのでした
これが、家に帰るすがら写真を撮った益田の持石海岸からとった夕日。
これまた絶景なのでした

そんなことで、萩は、思ったとおり、かなり遠く、とても疲れたのですが、よい景色と歴史を堪能し、大満足な一日だったのでした。

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