たしか9時ごろホテルを出発し、とりあえず長崎駅に荷物をコインロッカーに預けました。で、その後、どこに行こうかとしばし思案した後、出島に行ってみました。
これが出島全体像。ただし、出島といってますが、明治時代に周辺部を埋め立てたらしく、もはや陸続きとなっています。
再現された江戸時代の出島の町並み
南蛮貿易のオランダ側の代表者カピタンの屋敷がありました
カピタンは、貿易を独占していた幕府の役人との折衝が主な役割でした。商売がうまくいくように、幕府の役人をご接待したり贈り物したりしたようです。
和洋折衷の執務室です
壁紙は、ヨーロッパのデザインを模して、日本の職人さんが作っていたようです
これが大広間。
大広間で食事をしたようです
しかし、日本家屋にヨーロッパ風のデザインを取り入れると、かならずこんな雰囲気になるんですね。明治~大正時代の和洋折衷のデザインと同じです
貿易は、日本からは陶磁器や銅を輸出する一方で、オランダからヨーロッパで発展した技術や砂糖を日本に輸入したようです。この時期に、時計も日本に入ってきました
この時計は、まだゼンマイではなく錘を利用して時間を刻んでいました。しかし、素人目にも1秒の間隔が違うときがあったのは新鮮でした。しかし、よく考えてみれば、生活している時間感覚などいい加減なので、デジタル時計や高級腕時計のように、1年で1秒も狂わない時計のほうがいらないのかも、というかそんなに生き急いでどうするんだというほうが人間らしいのかも知れない・・・などとつれづれ思ったわけです。
ミニチュアの出島です
出島といえば、こんなイメージですが、いまや、ほとんど陸続きになってます
そんなに期待していなかったのですが、出島は思った以上にいろいろあって結構楽しめました。というか、最近は、こういうのを見ても、なんとなく楽しめるようになったというのが正解でしょうかね。あと、学校で習っていたことを思い出したりして、こういうのを教養(Liberal arts)って言うんだな、などと思ったわけです
で、その後、前日果たせなかったチャンポンといか皿うどんを食べに中華街にいきました、で、これがテキトーに入ったお店で食べた皿うどん。あやうく食べそうになりましたが、なんとか写真におさめることができました
味は、、、まあフツーでした・・・・
そう、ちょっと行ったところにリンガーハットがあったのですが、地元の人は、中華街とリンガハットのどっちをお勧めするのかなーなんてぼんやり思いました。
これがお店のメニュー
お客さんが要望する取り分け用小皿は出さないというのは、観光客でひとつのチャンポンをみんなでシェアする人がいるからですかね。なんとなく、こう書きたい気持ちは分からなくもないです。だけど、追加注文を断るってのは、なぜなんでしょうか????まあ、たぶん、観光客が多いんでしょうね、全般的に高飛車な感じです。観光地っていいですね。
で、皿うどんを食べたあと、出島ハーバーで散歩しました
たぶん、観光客船の咸臨丸。坂本竜馬関連ですかね。対岸の工場が、三菱重工の造船所です
これが海上自衛隊の潜水艦救難艇ちはや
一般公開していたみたいです
という感じで出島周辺を観光しました
で、この後、長崎県営バスターミナルに移動し、13時発の雲仙温泉行き特急バスで雲仙に移動しました
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