転職して3年目に突入した
この間、正直なところ、いろいろあったけど、最近はだいぶ落ち着いた
いろんなことの詳細について書くつもりないけど、やっぱり、調子が悪い会社というのは、なるべくしてなっているというのが正直なところだ。前もそうだったけど、今回も、数多くのリストラ・早期希望退職を繰り返すうちに、能力の高い頑張る人は早々に辞めていき、頑張らない上に、能力もない人たちが会社に残っている。さらに悪いことに、能力もやる気もないにもかかわらず、会社に長く残っているというだけで、年功序列に基づき昇進するために、ありていに言ってしまうと、キチガイに刃物とでもいうべき状況が起き、混乱が混乱を生む悪循環に陥ってしまうわけだ。
まあ、そんなことはどうでもいい
転職したメリットはボチボチあるけど、分析という点では、自分が好きなように分析できるようになったことがすごく大きい。
前の会社は、その会社が独自に編み出したという、言ってみれば摩訶不思議な分析方法、というか集計方法が沢山あった。で、なにかお客さんの分析するときは、世の中で出回っているマーケティングサイエンス的な手法をとることはなんとなくはばかられ、そのかわりに、会社独自の摩訶不思議分析を組み合わせることを強いられた。この摩訶不思議分析、まあ、いいといえばいいんだけど、やっぱりなんとなく中途半端感があるのだ。そんな会社の中で、多変量やデータマイニングを口にすることははばかられ、この摩訶不思議分析を使いこなすことが優秀な社員というか、上司が評価する社員となっていた。正確に書くと、その会社の上司も、まあボンクラなので、数学的に小難しいものは分からないのである。もっと言ってしまうと、別にわからないのは数学だけに限らず、マーケティングも経営戦略も、分析も、なーーーーんにもしたことのない人たちが、部長になってのさばっていた。だから、まともに分析できる人なんて評価されない。仮に、分析で失敗した時、多変量を使うと激しい批判にさらされる可能性はかなり高い。がしかし、その会社独自の摩訶不思議分析をつかうと、まあ、仕方ないよねということになるわけで、その会社にいるときは、本当に息苦しかった。
がしかし、今は晴れて自由の身になったのだ。何をどう分析しようが、はっきり言って何の関係もない。僕ができることなど、会社の誰も理解できないけど、だからと言って、前の会社のように陰湿、イジイジとして存在を無視するということもない。前の会社のように、中途半端な分析結果なのにもかかわらず、堂々と金をもらおうとするうしろめたさも皆無。そういう意味では、ほんとうに心が晴れ晴れとしている。
思えば、前の会社は、手足をきつく縛られていたとつくづく思う。いまは、本当に好きなように分析できて、あの監獄から抜け出せて本当に幸せな毎日なのです。
2015-03-29
2015年ポルトガル旅行9 ~2月12日(金) ポルト2
ポルトガル旅行に行って、はや2か月がたとうとしているにもかかわらず、旅行記がいまだまとまらない。すでに、だいぶ忘れつつあるが、記憶にある限り記録に残したいのだ
サン・フランシスコ教会の荘厳な雰囲気を堪能した後は、再びカイス・ダ・リベイラにもどる。河岸の雰囲気を堪能しつつ、ポートワインのワイナリーが林立するする対岸に歩いて渡る。対岸のノヴァ・デ・ガイアから対岸の歴史地区を見る。本当に、綺麗な風景で感動。
まあ、一通り説明を聞いた後、試飲コーナーへ。正直なところ、いろんなワインが飲み放題なのかなーと思ったけど、個人で参加したツアー、そんなわけあるわけない。2種類のワインを試飲することに。たぶん、どちらも、それなりに甘くおいしかったと思われます
ノラ・デ・ガイアから再び眺めた歴史地区
といったこと思いつつ、ふたたび、優ご飯を食べにカイス・ダ・リベイラを目指す。が、思いのほか、遠くて途中で断念。駅方面に戻り、リベルターデ広場前のレストランに呼び込みのお兄ちゃんが話しかけてくる。パスタもピザもがあるよとか結構適当なことを言ってきて、なんとなく信用しきれなかったけど、まあいいやと入ることに。席に通されると、メニューを渡される。すると、この時期のお店のおすすめメニューなるものが書いてあり、ウエイターのお兄ちゃんが、今の時期はLampreyのリゾットが一押しだと言ってくる。Lampreyってなんだ?とおもったけど、よくわかんないけど、一押しだっていうならと、白ワインとともに注文。白ワインを飲みつつ待つこと20分くらいでLampreyのリゾット到着。それがこのもの。
サン・フランシスコ教会の荘厳な雰囲気を堪能した後は、再びカイス・ダ・リベイラにもどる。河岸の雰囲気を堪能しつつ、ポートワインのワイナリーが林立するする対岸に歩いて渡る。対岸のノヴァ・デ・ガイアから対岸の歴史地区を見る。本当に、綺麗な風景で感動。
天気が良かったら、と何度思ったことか。思い直して、見学ができそうなワイナリーを探す。
何の手がかりもないので、とりあえず、端まで歩いてみる。川沿い最後のワイナリーが、Ferreiraだ。おもむろに建物に入る。すると、受付にお姉ちゃんが座っている。見学したい旨を伝えると、今日、残りのツアーはスペイン語とフランス語だけよと言わる、さすがに、それではあきらめるしかない。見学はいいよと言って、ワイナリーを出る。仕方ないので来た道を戻る。いくつかのワイナリーに入るが、すでに営業が終わっていたり、展示物は見学できるけど、工場そのものの見学ができないワイナリーが続く。それもそうだ、すでに午後4時。シーズンオフの観光地の店じまいは早い。最後に入ったのが、一番手前にあったCalem。
半ばあきらめの境地で工場に入り、再び受付のお姉ちゃんに尋ねる
わし 「ポートワインだけでも買えればと思ってるんだけど」
お姉ちゃん 「ワインだけ買えればいいの?それだったら、売店があるよ。5時から見学ツアーもやってるけど」
わし 「見学ツアー、行けるんだったら行きたいな」
お姉ちゃん「5時から英語のツアーがあるから、それに参加できるよ。ただし、費用は5ユーロかかるけど、2杯のポートワインを試飲できるよ。ちなみに、どこから来たの?」
わし 「そうなんだ、じゃあ、それに申し込むよ。日本から来たんだ」
おねえちゃん 「オッケー。じゃあ、15分ぐらいその辺で待っててね」
といったやり取りがあり、無事、ワイナリーツアーに参加することに成功。待合室?で、ツアーの他の参加者のようすを見る。ボチボチ参加者がやってきて受付をしている。
20人くらい集まったころ、ツアーが始まる。ワイナリーのお姉ちゃんが、ポートワインの成り立ちを説明する。ドロウ川の上流はブドウ産地として適していること、かつて、ブドウの収穫は大変な重労働だったけど、最近は、機械化が進んでいること、ポートワインは、船で樽に詰めたワインを船で運ぶ時に、ワインと樽との間にできた空間によって、発酵度合いが異なることに偶然発見し、Tawnyなどのいろんな種類のワインが製造するようになった、、、といったことをたぶん、説明してくれました。が、いかんせん、早口で細かかったので、あまりしっかりとは理解できませんでした。
まあ、一通り説明を聞いた後、試飲コーナーへ。正直なところ、いろんなワインが飲み放題なのかなーと思ったけど、個人で参加したツアー、そんなわけあるわけない。2種類のワインを試飲することに。たぶん、どちらも、それなりに甘くおいしかったと思われます
ワインを飲んだ後、適当に写真を撮っていたところ
「写真、とってあげましょうか?」
と、ドイツ人(とかってにおもっているのだが)の女の子に、日本語で話しかけられる。いきなり日本語で話しかけられたので、相当、びっくりしたので思わず断ってしまった。しかし、今思えば、写真を撮ってもらい、異国の地で異国の女子との交流を満喫すればよかったと、心から後悔するのであった。今思うと、リスボンとポルトで、2匹の大物とのやり取りに敗れ去ったということだと思う。旅慣れてないって、損ですよね。
お土産用に、5000円ぐらいの30年物のビンテージポートワインを購入する。別便で送ってもらおうと思ったのだが、受付のお姉ちゃんに調べてもらうと、ワイン3本で8000円の運賃がかかるという。これはありえん選択だと考え、1本だけ購入することに決定。
ワイナリーツアーを終えた後、再び、対岸のカイス・ダ・リベイラを散歩しつつ、ホテルに戻る
ノラ・デ・ガイアから再び眺めた歴史地区
カイス・デ・リベイラでくつろぐ若者たち。
本当に、何でもない風景にいちいち感動してしまう自分の安っぽさ万歳なんです。まあ、そりゃそうだ、近所の健康ランドの温泉に行くだけで、すごく楽しいんだから、日本から何千キロも離れた異国の地にいるだけで楽しいのは当然に決まっている。
ブラブラ散歩しつつ、ホテルに戻る。一休みした後、携帯の電池がないこと=目覚ましがないことに気づく。さてどうしようと思いつつ、なんとなく、ホテルの案内を見ていると、モーニングコールサービスがあることを見つける。こんな手があったんだ!ときづき、フロントに次の日の朝6時に、モーニングコールというか、英語ではWake up callを頼み事なきを得る。もろもろ、次の日の準備が終わった後は晩御ご飯へレッツゴー。
さて、どうしようと思ってうろうろしていると、グレリゴス教会がライトアップしている。あまりの荘厳さに感動し、再び写真撮影。すると、近くにいたポルトガル人がスマホを渡してくるので、写真を撮ってあげる。そう、この感動に国境はないのだ。
といったこと思いつつ、ふたたび、優ご飯を食べにカイス・ダ・リベイラを目指す。が、思いのほか、遠くて途中で断念。駅方面に戻り、リベルターデ広場前のレストランに呼び込みのお兄ちゃんが話しかけてくる。パスタもピザもがあるよとか結構適当なことを言ってきて、なんとなく信用しきれなかったけど、まあいいやと入ることに。席に通されると、メニューを渡される。すると、この時期のお店のおすすめメニューなるものが書いてあり、ウエイターのお兄ちゃんが、今の時期はLampreyのリゾットが一押しだと言ってくる。Lampreyってなんだ?とおもったけど、よくわかんないけど、一押しだっていうならと、白ワインとともに注文。白ワインを飲みつつ待つこと20分くらいでLampreyのリゾット到着。それがこのもの。
何とも言えないような色をしている。大した期待もせず、リゾットをいただくと、想像以上のうまみが口の中を支配する。えっ?と思い、もう一口、リゾットを食べる。疑問は確信に変わる。
「これは、確実においしい!」
夢中で、お皿にリゾットをよそい口に運ぶ。やっぱりうまい。しばし、白ワインを飲みつつ、無我夢中でリゾットを食べる。ふと、lampreyってなんだという疑問が頭に浮かぶ。鍋に入った魚類らしきものをじっくり眺めるが、なんだかよくわからない。カバンの中に電子辞書が入っていることを思い出し、Lampreyを調べる。
「ヤツメウナギ!!」
たしかに、鍋の中の魚はドジョウのようだ。しかし、ウナギとは異なる食感。無我夢中で食べ、あっという間に完食。ポルトガル最終日にして、この旅、最高の食材に出会う幸せに感動。お米を最後の一粒まできれいにいただき、ウエイターにお勘定を頼む。ウエイターは、食べ終わった空っぽ鍋を見て満足げな笑みを浮かべた後、たしか20ユーロ強?を請求。気持ちよくお金をはらいお店を出る。すると、客引きをしていた男の子が「うちのお店どうだった?」と聞いてきたので「すごくおいしかったよ」と答えて、お店を後にする。
ポルト、それほど期待していなかっただけに、すごく楽しい最高の一日だった
2015-03-16
大きい声で言えないこと
(1) 子供
いい年なので、友達の子供とご面会することがある。実際に会うこともあれば、Facebookで拝見することもある。正直な話、友達の子供は、他人様のお子様なのである。僕とは、遺伝的ながりはもちろん、情緒的なつながりもない。すなわち・・・・、他人の子供はかわいくない。あーいってしまった。
全ての子供が、かわいくないわけではない。かわいい子もいる。何が違うかといえば、顔が整っているかいないかだ。僕は他人なので、本当に客観的にしか見れないのだが、よく言えば愛嬌がある顔の子供を見ても、愛嬌がある(ブサイク)とは思っても、かわいいなーとは思えないことが多い
逆に、かわいい子供=顔が整っている子供は、友達の子供でもかわいいものだ。それは、友達の子供でなくても、かわいいかもしれない。ありていに言ってしまうと、こんなことをいうと何様だと思われるので怖いんだけど、子供の顔は親の顔の生き写しなのだ。だから、、、、、親の顔の造作がアレだと子供もアレ・・・・・、うーーーん、すべては言うまい。
なんとなく困ってしまうのは、子供の写真を得意げに見せられる時だ。自分の目の前には、親の顔があり、スマホには、その親の顔の遺伝子をもった子供の顔があるわけだ。普段、その親の顔が整っていようがいまいが、全く気にならないけど、スマホの写真を得意げに見せられると、親と子供の顔のつくりが気になってしょうがなくなる。親バカだからさーとか何とか言って写真を見せるのは、全然構わないんだけど、「かわいいだろー」といってくると、本当に、親の顔の造作がすごく気になりだして、すごく返答に窮してしまう。まあ、といっても、かわいいお子さんですね~くらいのウソを付ける程度の社会性は、一応、持ち合わせいている。じゃないと、すでに誰かに殺されている気がする。
自分の見た目・容姿にはまったく自信がないどころか、写真を撮られるのも、撮った写真を見るのも苦痛なので、いつか子供ができたとき、子供の写真を他人に見せるようなことだけは決してするまいと心に誓う日々なのである
(2)経営者
この間、えらい人と打ち合わせをしていた時のこと
「業績が悪い。それもこれも、お前ら(ヒラ)が、業績が良くなるよう、本気で仕事をしてないからだ。そもそも、業績が悪くて心配しているのも、俺だけだ。だから、明日からお前らも経営者の気持ちで仕事をしなきゃいけない」
といったテイのことを言った。その時に、経営者のような気持ちで働いてほしかったら、払う金も経営者並にしろよと、心の中だけでおおきく叫んだ。ホント、思い違いもはなはだしいぜ。経営者は、基本、誰にも文句言われないからと言って、お前らの指図が悪くないことの証明ではなんだからな。
いい年なので、友達の子供とご面会することがある。実際に会うこともあれば、Facebookで拝見することもある。正直な話、友達の子供は、他人様のお子様なのである。僕とは、遺伝的ながりはもちろん、情緒的なつながりもない。すなわち・・・・、他人の子供はかわいくない。あーいってしまった。
全ての子供が、かわいくないわけではない。かわいい子もいる。何が違うかといえば、顔が整っているかいないかだ。僕は他人なので、本当に客観的にしか見れないのだが、よく言えば愛嬌がある顔の子供を見ても、愛嬌がある(ブサイク)とは思っても、かわいいなーとは思えないことが多い
逆に、かわいい子供=顔が整っている子供は、友達の子供でもかわいいものだ。それは、友達の子供でなくても、かわいいかもしれない。ありていに言ってしまうと、こんなことをいうと何様だと思われるので怖いんだけど、子供の顔は親の顔の生き写しなのだ。だから、、、、、親の顔の造作がアレだと子供もアレ・・・・・、うーーーん、すべては言うまい。
なんとなく困ってしまうのは、子供の写真を得意げに見せられる時だ。自分の目の前には、親の顔があり、スマホには、その親の顔の遺伝子をもった子供の顔があるわけだ。普段、その親の顔が整っていようがいまいが、全く気にならないけど、スマホの写真を得意げに見せられると、親と子供の顔のつくりが気になってしょうがなくなる。親バカだからさーとか何とか言って写真を見せるのは、全然構わないんだけど、「かわいいだろー」といってくると、本当に、親の顔の造作がすごく気になりだして、すごく返答に窮してしまう。まあ、といっても、かわいいお子さんですね~くらいのウソを付ける程度の社会性は、一応、持ち合わせいている。じゃないと、すでに誰かに殺されている気がする。
自分の見た目・容姿にはまったく自信がないどころか、写真を撮られるのも、撮った写真を見るのも苦痛なので、いつか子供ができたとき、子供の写真を他人に見せるようなことだけは決してするまいと心に誓う日々なのである
(2)経営者
この間、えらい人と打ち合わせをしていた時のこと
「業績が悪い。それもこれも、お前ら(ヒラ)が、業績が良くなるよう、本気で仕事をしてないからだ。そもそも、業績が悪くて心配しているのも、俺だけだ。だから、明日からお前らも経営者の気持ちで仕事をしなきゃいけない」
といったテイのことを言った。その時に、経営者のような気持ちで働いてほしかったら、払う金も経営者並にしろよと、心の中だけでおおきく叫んだ。ホント、思い違いもはなはだしいぜ。経営者は、基本、誰にも文句言われないからと言って、お前らの指図が悪くないことの証明ではなんだからな。
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