2011-10-30

見積もりに入っておりません

下期になり、色々と役割交代があった
上期は、やんごとなき理由により、色々、イロイロ、色々、いろいろ、いろいろいろいろ、あったために、とあるお仕事について、メンバー全員の取りまとめと、仕事の最終的な責任を負う羽目におちいった。

管理職たちいわく

「これからは、ヒラでもあっても、マネージメントスキルが必要なのだ!」

あーーーー、ヤダヤダ、めんどくさーい
おいらの給料明細にマネージメント料は含まれてないんだけど。そもそも、わたくし、別に、マネージメントスキルなんて、そんなつまらないもの伸ばしたくない。

あと、仕事を教えるのも、、、、やだなー。まあ、しかたないんだけど。


心の声がダダ漏れで、シッツレイシマシター

2011-10-24

社会人の学力の方が相当アヤシイ

今日も、社会派ネタで更新なのだ。

アルファベットを教える日本橋学館大学 学長に意図を聞いた

週間ポストセブン 2011.10.17 07:00

入学初年度の履修科目である「基礎力リテラシー」として、英語は「アルファベットの書き方・読み方」などのシラバスを公開し、「簡単すぎる」とネット上を中心に話題となった日本橋学館大学。横山幸三・学長(72)が同大学の教育が狙うところを語った。

本学の「基礎力リテラシー」は、「リメディアル教育」という考えに基づくものです。

「リメディアル教育」とは、学力の低下している学生に、正規の授業やゼミとは別に中学・高校レベルの補習授業を行ない、学び直させるもので、近年は難関大学を含め、実は多くの大学が採用しているのです。

(中略)

当初は教職員にも戸惑いがありました。専門知識を指導すべき大学教員が、アルファベットや小数・分数を教えるのですから当然です。

 しかしながら反発はありませんでした。なぜなら、「できない」「分からない」という学生に戸惑っているだけでは何も解決しないからです。2年次以降の高等教育をするためには基礎固めが不可欠だということ、そして今の大学生には基礎学力の指導が必要であるということを、皆が教育者として肌で感じていたのだと思います。

(省略)


一見すると、「えっ、まじかよ」的な、「最近の学生はバカでー」と、大学生の低能力化をネタにクダを巻く社会人の格好のネタなのです。が、個人的には、勉強をしない・勉強を続けないために、アルファベットや分数の計算を、あっという間に分からなくなった身としては、笑えないというか、笑っているやつこそ、まさに真のバカという感じがしたのです。

思えば、最初の会社をやめ、何を思ったか、高校数学を復習した時期がありました。勉強を始めた頃は、「まあ、オレも社会人で結構もまれたし、高校生の数学など、ちょっと勉強すれば、ラクショーでしょ」と思っていました。が、そうは問屋はおろさない。簡単と思っていた高校の数学は思った以上、いや想像を超える難しさ。高校生の頃クリアーしていたのは、テスト(赤点)であって、教科書が教える内容ではなかった。ということで、高校数学をクリアーできたかな、と思える日が来たのは、来る日も来る日も、まる一日中高校数学を勉強して1年半後なのであった。

そのとき思ったのは、学校の勉強は想像以上に難しい、クリアしたのは、テストや進級だけであって、教科書が教える内容ではない、、、ということ。実際、いま、超一流大学卒の人々と毎日仕事をしているけど、彼らが、四則演算の意味合いを分かっているかといえば、相当怪しいのだ(その中には、もちろん、理系もいる)。

事情は数学、というか算数に限らない。英語も一緒。不肖わたくし、たまには英語を使う仕事もするのですが、所詮私が使う英語など、中学生程度。高校のグラマーでならった英語など、難しくて使う気にもならない。といっても、さすがにアルファベットは理解してるけど、では、中学生でならたはずの文法、たとえば、関係代名詞、不定詞、動名詞などなどもろもろ基礎的なものたちを正しく使えているかといえば、全く自信がないよ。

ということで、何が言いたかったといえば、社会人は金を稼いでるから、学生よりかしこいと思いがちですが、真実はさにあらず。ほとんどの社会人は、会社勤めを続けるに従い、バカになり続けているはずなのです。つまり、日本橋大学を笑える人などいないはず、、というか、笑っているやつほど真のバカ、、、、と思った日曜の夜なのでした。

2011-10-21

仕事における「やりがい」と「生きがい」

お酒を飲みながらブログを徘徊していたら、なるほどねー、と思える記事がありました。意図が通じる程度に省略・変更して引用します。



松本孝行(元既卒)のブログ
仕事のやりがい≠生きがい
http://matton.blog91.fc2.com/blog-entry-443.html

 やりがいとは、仕事における心の張りあいのことです。つまり、仕事で成長する・お客さんから感謝されるといったこと。その意味で、効率的にティッシュ配るとか、料理を覚えてレシピを見ずに調理するといった些細な進歩でさえ、仕事におけるやりがいです。

(中略)

 ただし、やりがいを、生きがいに繋げる必要はありません。例えば生きるに値するものを家族とする人もいれば、趣味とする人もいる。それは、例え、有名企業・大企業のサラリーマンにとっても不自然なことではありません(ただ、その割合は減ると思います)

 このあたりの違いは結構重要です。現代の就職活動はかなり仕事に人生のウエイトを置かなければならないような流れになっています。それゆえ、「仕事で自己実現」というのも良く見かける言い方です。しかし、「仕事にやりがいがあって、やりがいが仕事のモチベーションにつなげたい」、ただし、「生きがいは、仕事とは、別に持っていたい」というのも、世間のサラリーマンにとって、おおむね自然な考え方です。(というより、多くの人は、そのように考えてるのではないでしょうか)

(引用終わり)



仕事をする上で、「やりがい」≠「生きがい」という区分けは、とても重要だと思います。僕の周りでも、「やりがい」=「生きがい」と考える人はほとんどいない(が、たまにはいる)はず。

注意したいのは、たとえば、面接官でさえ、あるいは、面接官であるがゆえに、その辺の区別がついていないこと。つまり、面接官が仕事に生きがいを感じてない場合でさえ、面接で「仕事は、所詮、仕事。まあ一生懸命やるけどね。」的な態度をとると、「なめてる」とか、「やる気がない」と判断しかねないということです。

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思えば新卒でシュウカツ真最中のころ、時はバブル崩壊直後。会社説明会に行く度に、「会社と心中しないヤツは、サラリーマンとはいえない」的な言い方を連発する人事を目の当たりにするたびにドン引きし、オレはサラリーマンにはなれっこない、、、、と思ったものでした。が時がたち、サラリーマンを10年以上続けた今となっては、あれはポーズとか、天然バカのアピールだったんだーと冷静に振り返ることができるようになったのでありました。