2010-11-07

ケビン・ケラー 戦略的ブランドマネージメントまとめ

かのケビン・ケラー先生の戦略的ブランドマネージメント3版を、春先から読んでいます。今読んでいるのが10章で、未だに読み終わらなんです、、、、でも、このたび、ケラーが提唱しているConsumer Based Brand Equityの基礎についてパワポでまとめてみました。

で、まとめたのですが、いかんせん基礎的すぎて、これが実務にどのように関連するかがイメージしにくいシロモノとなってしまいました。まー、べつに実務家に分ってほしいとも思ってないんですがー。

とくに、僕の考えでは、消費者と企業の間には情報の非対称性があって、それを解決するのがブランドだったり、ブランディングだっていうのが、CBBEの理論的な根拠になると思われるのです。が、その辺は、情報の経済学・ゲーム理論・認知心理学あたりの話を知っておかないとイメージしにくのかもね、という感触をえております。

ちなみに、専門家じゃないですが情報の経済学に関していわせていただきますと、かの有名なアカロフのレモン市場は、消費者と企業の取引が悪い均衡にロックインするという点にフォーカスしていたはずです。だけど、ブランド論は、全く同じ状況でも、その逆、つまりよい均衡にロックインするという可能性について、経験的な根拠を指摘していると思うのです。

で話が元に戻ると、マーケティグやブランド論は、とっつき易いし、もっと言えば、誰もが消費者なので、好き勝手言えるんですよね。でも、自分の感想を言うのと、理論に基づいて現象を考えるのは、全く別物なハズなんですよねえ。たとえると、マーケティングの現状を数学で例えると、四則演算だけしか知らない人、まあ、大卒文系かな、、、が線型代数、というより行列と行列式を見て、「なんだ普通の四則演算しかねえじゃん、らくしょーでしょ」と言ってるのと大差ない気がします。でも、マーケティングと数学を比べるのは、数学に失礼かも。

ということで、以下がブランド論基礎部分のマトメとなっておりますー










2010-09-03

Chikirinの日記:グローバリゼーション ステージ2

またしても、といっても相変わらずの放置ぷれい真っ只中なんですけが、Chikirinの日記に書いてあったことに意見してみる

Chikirinの日記:グローバリゼーション ステージ2
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100831

Chikirinの言いたいことって?

色々書いてあるんですが、どうもChikirnが言いたいことは、こんなことだと思われる

  • 日本企業はコストの安い中国企業を下請けに利用して、世界に先駆けてコストの安い商品を高い値段で売ることに成功し利益を投資家や日本国内の従業員で山分けすることができた。そして、このビジネスモデルが、元祖・経済のグローバル化の意味だった
  • が、日本企業は、自分たちが作ったグローバル経済(市場)に足元をすくわれている。下請け中国企業は技術を身につけ、さらに販路を自分たちで開拓し、のコピー商品を作っている。コピー商品は、日本企業が手の届かない発展途上国で市場を席巻している。これもそれも、日本企業のブランド代(プレミアム)が高すぎたから。そして、これが、第二のグローバル化といわれるものだ。
  • 中国製コピー商品は、日本製品がコピー製品と同じ価格になるまで売れ続けるだろう
ですかね

これって裁定取引?

Chikirinの日記は、品質的に同等な中国コピー製品レベルまで日本製品の価格が安くなるまで競争が続くといっていて、それを裁定取引が働いているからといっている。でも、これって裁定取引なんですか?わたしのイメージでは、裁定取引って、高い物を買わされていた人が、自分の情報量が増えることて、適正な値段(つまり安く)で買えるようになることだと思うのですが。(安く買うのは別の人でも良いと思う)

その意味で、いま、日本企業にだまされて高い値段で買わされている先進国、つまり中国コピー製品がはびこれない先進国こそ、日本企業が、裁定取引を成功させている相手なのではないでしょうかね。

Chikirinが言っている裁定取引は、単に安く作って安く売るってコトと同じですよね。う~ん、これも裁定取引なんでしょうか、わたしには、わかりません。ただし、途上国で実績を作った中国製品が、日本企業の裁定取引をぶち壊す可能性は高いですね

ブランドとコピー商品と裁定取引

そもそも、、、なんですけどコピー商品と、自社ブランドを低価格で売ることは、全く別のことですよね。では、なぜ、中国製品は日本製品の名を語って安く売るのか?答えは簡単。発展途上国でさえ中国製品は売れないからですよ。(あるいは、中国製品より日本製品といったほうが売れる)

では、なぜ中国製品が売れないか?それは、モノに困っている発展途上国でさえ、中国製品の品質を消費者が信頼していないからでしょう。一般的に、買い手は買って使うまで商品の品質が分かりません。となると、品質の根拠が大事になるのですが、それが商品のブランド(評判)ということになります。結局、中国製品がコピー商品を語ることこそが、消費者にとって商品の品質が劣っていることの証拠となるのと、先進国で日本製品が裁定取引(か?)を成功しさせている理由ですよね。あと、そもそも日本製と中国製の品質が同じなら、コピー商品である必要すらないと思う。

コピー商品がコピー商品である条件は?

さらに、よく考えると、コピー商品はブランド商品(コピー元の商品)より品質が高くことはありえないと思う。というのも、コピー商品の方がブランド商品より品質が高ければ、コピーを語る必要がないい(自社ブランドで売ればいい)し、むしろコピーのほうがブランド品より品質が高ければ、本質的には競合であるブランド商品の評判を高めてしまう(敵に塩を送る)から。また、品質が高いコピー商品を作っていたことを、世間に公表することもできない(違法)。そう考えると、コピー商品とは、ブランド商品より品質が低いこそがコピー商品であるための条件なのだ

現実的には?

まあ、いろいろ書いたけど、現時的には、中国企業は、コピー商品を作ることで技術や商売カンを身につけて、最終的には、自社ブランドの立ち上げに成功するってのが王道パターンなんだという気がしますね。結論はChikirinと同じだけど、、、、、まあ、結論だけですね。

今日も、書き散らしてみましたー

2010-08-04

誰が何をネグレクト?

ちきりんって有名なブロガーがこんなことを書いていた

Chikirinの日記
2010年8月1日  誰が何をネグレクト?
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100801

あなたは、
あなたの奥さんは
あなたの娘さんは、
20代で結婚して、子供を2人産んで、離婚したら、母子で自活できますか?
 (中略)
どんなに能力、やる気があっても幼児2人抱えて自活できる20代の女性なんてほぼ皆無です。
 (中略)
20代で結婚して出産した人が離婚したら、自動的に“誰かが支援する必要”があるってことでしょ。
支援するのは誰?
・別れた夫(慰謝料、養育費)
・実家の親
・公的福祉(生活保護)

Chikirinの日記って、たまに見るんですけど、言うほど社会派って感じじゃなくて面白くないんですよ、、、、まあ、気に食わなきゃ見なきゃいい話ですよね 。といいつつ、今回はこの記事について考えてみる

なんでChikirinがこんな事を書いていたかと言うと、離婚した若い母親が、生活苦から育児を放棄(ネグレクト)して、子供を死に至らせた事件が先日あったんです。で、母親が非情だって批判する世論があるようなんですが、それに対して、Chikirinが

・離婚する可能性は誰だってある
・母子家庭の生活は苦しいのは当たり前(だから生活保護できめ細かくフォローすべき)

と擁護していて、母親は生活苦で子供をネグレクトしたけど、社会は苦しくなると分かっている母子家庭の母親をネグレクトしたじゃんかと世間を批判しているのですよ。

まー、そりゃそうかもーと思いますね。ところで、昔こんな本を読んだことがあります

「人が人を殺すとき―進化でその謎をとく」
マーティン デイリー・マーゴ ウィルソン

この本は、あらゆる殺人のパターンをカナダの学者が調べた結果がかいてあるんですよね。で、まあ色々な殺人があるんですけど、その中に、母親が自分の子供(嬰児)を殺すときのこともしらべてあるんです。で、どんな時に母親が自分の子供を殺すのかといえば、子供の父親がハッキリしないときなんですよね。で、なんで父親がハッキリしない時に母親が子供を殺すのかといえば、話は簡単で経済的な支援を父親から受けられないからです。たしか、この調査、アマゾンかどこか?の未開の地で地道に調べたら、そういうことだって分かったんですよ。

つまり、子供を育てるかどうかは、子供への愛情と、母親が持つ(あるいは支援される)経済力とのなんらかの足し算で決まってくるってことです。となると、この(子供を殺した)母親とおなじだけの愛情をもっている母親たちは、子供を殺した母親が稼げる生活費しかお金がなくても、子供を成人までつつ がなく育て上げることができるのか?ってところが問題の勘所になりますね。つまり、母親の愛情と収入で調整した時に、子供を殺してしまう割合こそが問題なんです。

で、さっきの本ではやっぱり母親が離婚すると子供を殺す割合がたかくなるので、やっぱり生活保護が大事ってことになるんですねー。 ということで、Chikirinの言うとおりですよね。

でも、まあ世間様の方から考えると、どんな理由があっても子供を殺す母親を非情だという道徳があれば、母子家庭に対する社会からの補助(公的・私的は問わない)は少なくなるから、周りはそっちの方が助かるかもっていうのはある。そういう意味では、母親に道徳を求めるのは、自分の持ち出しを少なくしたい非道徳的な世間さまの主張なのかもしれない。

なんか話がとっちらかったけど、そんなところです

そんじゃーね