Spotlight(2015)
少年に性的暴行を加えていたカソリックの神父を、教会システムがうやむやにしていたことをスクープした新聞ジャーナリストたちの奮闘物語。
話としては単純な勧善懲悪もの。保守的な教会システムが、教会の権威を損なうような神父の性的暴行を、被害者との和解をとおしてうやむやにしていた。そのことを、あらゆる手段を通じてジャーナリズムが悪を暴く。そう聞くと、美しい話だが、私には話半分にしか聞こえない。
神父が性的暴行を加えていたことや、教会が、自分たちの権力を利用し、無力な被害者たちを金銭的な補償でウヤムヤにしていたことは、当然批判されるべきことであり、この映画の通りである。
もう一つ問題は、実は、神父による性的暴行は、スクープされる前にも、何度も記事になっていたことだ。しかし、記者自身が、教会との確執や、カソリック信者からの反発をおそれ、これらの事件を、きちんと調査していなかった。その意味では、新聞社の記者も、教会システムも、同じ穴の狢だ。映画全般を通じて、記者たちは、教会と被害者との和解を取り持った弁護士から、新聞社の不作為について、何度も指摘された。彼らは神父の性的暴行を、新聞が取り上げるようなんども訴えていたが無視されていたのである。が、そのことに対する反省は、ほぼなかったはずだ。もちろん、スクープしたことは評価されるべきだと思う。しかし同時に、ジャーナリズムも世間のしがらみから自由でないことも、この映画のテーマの一つであり、そのことも掘り下げるべきだったはずだ。
そうはいっても、普段の生活で目にすることのない調査報道の大切さを知ることができる一作と、最低限いうことはできる。
話としては単純な勧善懲悪もの。保守的な教会システムが、教会の権威を損なうような神父の性的暴行を、被害者との和解をとおしてうやむやにしていた。そのことを、あらゆる手段を通じてジャーナリズムが悪を暴く。そう聞くと、美しい話だが、私には話半分にしか聞こえない。
神父が性的暴行を加えていたことや、教会が、自分たちの権力を利用し、無力な被害者たちを金銭的な補償でウヤムヤにしていたことは、当然批判されるべきことであり、この映画の通りである。
もう一つ問題は、実は、神父による性的暴行は、スクープされる前にも、何度も記事になっていたことだ。しかし、記者自身が、教会との確執や、カソリック信者からの反発をおそれ、これらの事件を、きちんと調査していなかった。その意味では、新聞社の記者も、教会システムも、同じ穴の狢だ。映画全般を通じて、記者たちは、教会と被害者との和解を取り持った弁護士から、新聞社の不作為について、何度も指摘された。彼らは神父の性的暴行を、新聞が取り上げるようなんども訴えていたが無視されていたのである。が、そのことに対する反省は、ほぼなかったはずだ。もちろん、スクープしたことは評価されるべきだと思う。しかし同時に、ジャーナリズムも世間のしがらみから自由でないことも、この映画のテーマの一つであり、そのことも掘り下げるべきだったはずだ。
そうはいっても、普段の生活で目にすることのない調査報道の大切さを知ることができる一作と、最低限いうことはできる。
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