最近、めっきり音楽を聴かなくなってしまったのだが、ふと聞いたFMからこの曲が流れてきた
Ren 存在証明
ReN 180827 J-WAVE SONAR MUSIC スタジオ生ライブ 存在証明
聞いた瞬間、どこかで聞いたことあるけど、いい曲じゃんと思った。何かに似ているけど、何だったか思い出せず、その時は、曲の名前とともに忘れてしまった。で、しばらくして、この曲が何と似ているか気がついた。
Englishman in New York
Englishman in New Yorkをギターで弾くと、雰囲気がさらに似てくる
Englishman In New York Guitar Tab
山崎まさよしLIVE《先輩Rock You》Englishman In New York【stingのカバー】
そう考えると、歌詞も似ていなくもない。
-- Ren 存在証明
僕が僕という形で生まれてきた意味を
自らの手で探し当ててみたくて
-- Englishman in New York
I’m an alien I’m a legal alien
I’m an Englishman in New York
ネットで調べると、Ren、長渕剛の息子らしい。ネットの記事を見ると、Ed Sheeranのパクリ疑惑も出ていた。
思うに、音楽でパクリを持ち出すのはヤボだと思う。正直、どの曲も何らかの意味で似ている。大事なことは、ふときいたド素人に、その曲の元ネタを推測させないことだ。ユーミンのインタビューに、バブル期に一世を風靡したスキー天国・サーフ天国の時には、Donald FagenやPink Floydをパクった、失礼、彼らの雰囲気をいかに取り入れるかを研究したと言っていた。Ren、声もいいし、曲もかっこよいので、上手く名曲のエッセンスを自分のものにして、よい曲をかいてほしいものだ。
2019-05-26
love actually
love actually(2004)
Universal studio
Universal studio
クリスマスに向かって、友達・家族・夫婦などの身近な人間関係の中にある小さな幸せを描いた作品。
知り合いの女性が好きだと言っていたことがきっかけで、数年前、初めてこの映画を見た。映画は、これといった大きな盛り上がりがあるわけでもなく、同時進行で、9個の人間関係が淡々と進んでいく。淡々と物語が進んでいく理由は、loveが題名に入っているにもかかわらず、三角関係やシンデレラストーリーを描いていないからだ。
いや、むしろ、どの登場人物も、なにがしかの欠点を抱えている上に、それぞれの場面設定は、簡単に言えば地味だ。ドラックにおぼれたロック歌手・下町訛りが抜けない首相秘書に恋するイケメン首相・夫に浮気されていることをクリスマス直前に知ってしまう妻、連れ子との関係構築に気をもむ男性・・・・など、全員が完全に幸せだったり、愛情いっぱいな登場人物はいない。むしろ、多くの気苦労や、思い通りにいかないことばかりの日々の生活の中で、登場人物は、周りの人が、常に自分を支えてくれることに改めて気づき、そのことを通じて自分の相手に対する愛を確認する。この映画をみると、どこかほっこりしたり、安心感をえられるのは、こういった小さな愛がたくさんあるからだ。
この映画で描くloveとは、日本語でいえば、恋愛というよりかは、愛情である。舞台設定がクリスマスに向けた日々なのは、単なる恋愛だけでなく、夫婦・家族・友情を描いたためだと思う。思えば、この映画を好きだった女性は、30代半ばで独身だった。彼女自身、こういった愛の形を探していたのかもしれない。
結局のところ、この映画は、ヒュー・グラントの、このセリフにいきつく
love actually is all around
2019-05-19
Spotlight
Spotlight(2015)
少年に性的暴行を加えていたカソリックの神父を、教会システムがうやむやにしていたことをスクープした新聞ジャーナリストたちの奮闘物語。
話としては単純な勧善懲悪もの。保守的な教会システムが、教会の権威を損なうような神父の性的暴行を、被害者との和解をとおしてうやむやにしていた。そのことを、あらゆる手段を通じてジャーナリズムが悪を暴く。そう聞くと、美しい話だが、私には話半分にしか聞こえない。
神父が性的暴行を加えていたことや、教会が、自分たちの権力を利用し、無力な被害者たちを金銭的な補償でウヤムヤにしていたことは、当然批判されるべきことであり、この映画の通りである。
もう一つ問題は、実は、神父による性的暴行は、スクープされる前にも、何度も記事になっていたことだ。しかし、記者自身が、教会との確執や、カソリック信者からの反発をおそれ、これらの事件を、きちんと調査していなかった。その意味では、新聞社の記者も、教会システムも、同じ穴の狢だ。映画全般を通じて、記者たちは、教会と被害者との和解を取り持った弁護士から、新聞社の不作為について、何度も指摘された。彼らは神父の性的暴行を、新聞が取り上げるようなんども訴えていたが無視されていたのである。が、そのことに対する反省は、ほぼなかったはずだ。もちろん、スクープしたことは評価されるべきだと思う。しかし同時に、ジャーナリズムも世間のしがらみから自由でないことも、この映画のテーマの一つであり、そのことも掘り下げるべきだったはずだ。
そうはいっても、普段の生活で目にすることのない調査報道の大切さを知ることができる一作と、最低限いうことはできる。
話としては単純な勧善懲悪もの。保守的な教会システムが、教会の権威を損なうような神父の性的暴行を、被害者との和解をとおしてうやむやにしていた。そのことを、あらゆる手段を通じてジャーナリズムが悪を暴く。そう聞くと、美しい話だが、私には話半分にしか聞こえない。
神父が性的暴行を加えていたことや、教会が、自分たちの権力を利用し、無力な被害者たちを金銭的な補償でウヤムヤにしていたことは、当然批判されるべきことであり、この映画の通りである。
もう一つ問題は、実は、神父による性的暴行は、スクープされる前にも、何度も記事になっていたことだ。しかし、記者自身が、教会との確執や、カソリック信者からの反発をおそれ、これらの事件を、きちんと調査していなかった。その意味では、新聞社の記者も、教会システムも、同じ穴の狢だ。映画全般を通じて、記者たちは、教会と被害者との和解を取り持った弁護士から、新聞社の不作為について、何度も指摘された。彼らは神父の性的暴行を、新聞が取り上げるようなんども訴えていたが無視されていたのである。が、そのことに対する反省は、ほぼなかったはずだ。もちろん、スクープしたことは評価されるべきだと思う。しかし同時に、ジャーナリズムも世間のしがらみから自由でないことも、この映画のテーマの一つであり、そのことも掘り下げるべきだったはずだ。
そうはいっても、普段の生活で目にすることのない調査報道の大切さを知ることができる一作と、最低限いうことはできる。
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