2011-09-18

データ分析よもやまばなし

いつも釣りの話ばかりもナンなので、たまにはデータ分析的よもやま話も書いてみる。2年くらい前までは、会社でのデータ分析に対する姿勢には、納得いかないことが多々あったのです。が、いまは、たいそう大人になったのと、会社に慣れたのと、、、マーケティングまわりの理屈のポイントを見通せるようになったので、それほどイライライラ!しなくなったのです。

まあ、それはそれとして・・・

<その1>
客先での打ち合わせのときのこと。こんなやり取りがあった。

わが社の人
---- このデータは暴れすぎてるので、はずれ値を補正しました・・・・

お客さん
---- どうやって補正しましたか?

わが社の人
---- 分布をみて、全体の90%が入る部分を正として、それ以外をエイヤッと決めました

お客さん
---- 気温の影響(外部要因)を取り除いて、理論データを出した後、それでもおかしいものを補正したらどうでしょうか

わが社の人
---- そうですね・・・・そうしましょう。

outlierを取り除くとき、分布だけでなくoutlierに影響する要因を押さえるのは当然だと思う。その意味で、お客さんの指摘は、本当に正統的というか、教科書的というか、基本に忠実というか、、、真のアナリストにたるものだった。こんな発想がそくざに出る人、同じフロアーに何人いるのかなあ????。まあ、3人いれば御の字かな。

ところで、今の会社で、今の仕事について以来、「正しく」とか、「論理的」にデータを見ることがすごく減った、、、、と思う。なんでですかね、、、、忙しく、そんなことやってられないのと、今の部署は、伝統的に分析を重視しないからでしょうかね。そう、この手の主張すると、奇異な目で見られるんですよね。そんなことで、忙しいのと相まって、自分自身、易きに流れてるのを再確認した出来事だったのでした。

<その2>
立命館大学の筒井先生のブログをたまに見てます。筒井先生は計量モデルで社会学を研究されてると思います。で、先生のブログの中に、質的研究と量的研究についてまとめたエントリーがあり、はーーー、なるほどーーーーと相当思ったので、まとめることにしました。



社会学者の研究メモ
質的研究と量的研究について

教育社会学の分野でよく見られる、いわゆる「計量的モノグラフ」は、標準的な計量分析の研究と違って、仮説検定の手続きをふくまなかったり、多種多様な統計データを縦横無尽に参照して議論を進めたりするところに特徴がある。

(中略)

さて、量的研究者からすれば、モノグラフ的研究はツッコミどころをたくさん含んでいる。というより、モノグラフ的研究は、量的研究からすれば位置づけとしては理論研究と同じで、要するにそこから問題設定や仮説を引き出してくる源泉となる研究なのである。たとえば山田昌弘先生の「パラサイト・シングル」論は、厳密な検証を伴う研究ではなかった

(中略)

モノグラフ的研究は、フォーマライズされた手続きを重視しないがゆえに、基本的にあやういものである。学会での議論も空疎な空中戦になりがちである。が、自由であるだけに、しばしば革新的なアイディアを提供してくれる。

(省略)



いきなり、計量モノグラフなる言葉が出てきて、突然感まんさいですね。じつは、このくだりに入る前、筒井先生は、量的研究と質的研究を、下記のように分類しているのです。

(1) 厳密な意味での量的研究とは、仮説検定を使って、研究上の主張を検証できるものだ。その意味の量的研究とは、計量モデルを使った研究に他ならない。

(2) 計量モデルを使わない研究は、大雑把に言ってすべて質的研究。まず、エスノメソトロジー的研究が質的研究なのは当然。注意したいのは、「計量モデルをつかわない」という意味で、単純クロス表や、いろんな数表をかきあつめて主張を展開する量的研究、また、数理モデルも質的研究となる。特に、仮説検定を含まない量的研究を、計量的モノグラフと呼ぼう。

で、この分類を受けて、計量的モノグラフの例として、教育社会学や山田昌弘先生の「パラサイト社会のゆくえ (ちくま新書)」をあげているのですよ。

コレが前置き。ながい・・・・

で、何を思ったかといえば、今、会社でやっている分析すべてが計量的モノグラフだってこと。いまの仕事で仮説検定なんてしないし、そもそも、めんどくさい。そう、構成比と合計値で、分析結果がでるよう、日々努力しております。あと、同僚たちは、自分の職業をアナリストと思っているけど、仮説検定の意味は間違いなく分からない、、、という状況なのだ。そして、この状況が、すごくいやだった(というか、今でもイヤ)

が、最近は、計量的モノグラフの特徴を、最大限、生かすことにした。そもそも、厳密な話なんて、同僚にさえ通じない。ということで、計量的モノグラフの特徴である「問題設定力・仮説探索力」、そしてとっつき易さからくる「自由な議論」を最大限生かしたほうが、人生ハッピーになれるのではないか?と、2~3年前に考えたのだ。

という、個人的な会社生活の方針転換と、筒井先生の主張がバッチリはまり、今回の引用と相成ったのです。
ということで、いま、会社でやっている仕事は「計量的モノグラフ」なのですよ、まちがいないく。が、しかし、同僚たちの中には、「厳密な意味での計量(モデル)分析」をやってると勘違いをしている人も多数おり、であるがゆえにお客さんを見下す人もこれまた多数、、、、まあ、そう考えると高いプライドが満足するんだろうなあなんて傍から見つつ、でも、それ、なんか、相当いけてないよなーーー、明らかに勉強不足だよねーなどと思うわけなのだ。で、こんなことを書くと、また嫌われてしまうかも・・・・と心配になるのだが、まあ、勝負に負けた競合から転職してきたこともあり、元々、好かれてる訳でも、味方がいるわけでもないよね、、、てなわけで、まあ、もーーーどーーでもいいかーと思ってしまった日曜の夜なのでした。

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