新たな職場に移って1週間
さすがに本番という感じではない。オフィス内も、とてものんびりした雰囲気だ。地方都市ということも影響しているはず。
ただし、本番でないことを差し引いても、さらされるプレッシャーは前職よりも格段に低い。むしろ、ちょっと前まで、役職と給料と見合わない強いプレッシャーにさらされていたことを再確認する毎日。
部分的なスキルしか持たない人、、、、どんなに努力しても乗り越えられない壁を前にして、やる気のなさを前面に出し自尊心を守る人、すべての理解をあきらめて判断を他人にゆだねる人、自分の不作為を認めない人、、、、仕事よりも職場内の彼氏との関係を優先する人。プロジェクトメンバーは、そんな人たちだった。ただし、クライアントはそんなこと関係ない。クライアントの要求は常に厳しかった。だから、すべての矛盾を自分自身が解決する必要があった。約2年間に渡り、自分がもつスキルと経験で矛盾を解決し続けた。
しかし、2012年末。プロジェクトを離れることにした
最終出社日が近づくにつれて、メンバーのやる気はどんどん高まった。プロジェクトメンバーがこんなに前向きに仕事を取り組んだことはない。そんな中で、最終出社日を迎えた。最終出社日の翌日から行った九州旅行の間中、残してきたプロジェクトとメンバーの行く末が気になって仕方なかった。もっといえば、、今からでもプロジェクトに戻りたい・・・・とすら思った。
しかし、今なら、ハッキリと分かる
プロジェクトとメンバーを見放したのは、正しい判断だった。
退職日が近づくにつれてメンバーのやる気が増したのは、彼ら自身、もはや、やりたくないことから逃げらないと理解したからだ。しかし、そもそも、彼らが職務を全うすべきかは、オレの退職とは関係ない。結局、メンバーが本気になるために自分の退職が必要だったのだ。
手がけていたプロジェクトが、この先どうなるか皆目見当つかない
うまくいくかもしれないし、今以上に迷走するかもしれない。
いや、もっとEasyになるかもしれない。
どうなっても、何の後悔もない
この2年間、自分ができることはやった。
何の迷いもなく、そう考えることができる。
プロジェクトを手放すことは、今まで体験したことがない辛い決断だった。しかし、だ。時には、辛い決断こそ必要なのだ。辛い決断が、当時のStakeholder全ての人にとっても笑い話になる日が来るはずだ、、、、そう考えることができるようなった高松での週末の夜。
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木曜日に、サプライヤーが提供するソリューションの社内展示会があった。
興味もそうだが、予算もないだが、上司のすすめもあり展示会場にいくと、サプライヤーの営業担当者がいろいろサービスの説明をしてくれた。
サービスの中には、前の会社が直接競合するものもあった
たった1か月前ならば、自分が説明する立場だったはず
ほんの少しだが、人生を前に進めたことを実感した瞬間だった
2013-03-02
九州縦断旅行6
最終日の25日(月)は、博多観光、、、というか神屋宗堪関連めぐりをしました。なぜ、神屋家・・・・といわれれば、まあ、祖先がどうのこうのという事情がいろいろとあるわけです
で、ホテルをチェックアウトして、はてさてどーーしたらいいんだとおもってブラついて見つけたのが、島津博多ビル。
なんで、こんなビルが気になるかといえば、正直な話、まあそれほど気になるわけではないのですが、偶然にもほどがあるとおもったわけですよ・・・。
しかし、なんですかね。
最近おもうのですが、会社の社風というか、仕事に対する取り組み方が、従業員・会社の双方にとって、本当に目に見えない財産であるってのは、転職を重ねる身としては、本当に身にしみますね。とくに、最初に勤めた会社が、自分の基礎を作ったといえばまさにそうで、その辺で齟齬があると、転職先をこの上なく許せなくなったりすることがあるのだと、、、最近、気づきつつあるわけです
まあ、そんなことを思いながら最初に訪れたのが、妙楽寺
これが念願かなってお墓参りした神屋宗湛のお墓
で、その後、神屋宗湛の屋敷跡にたてたお寺の跡の豊国神社
で、豊国神社を見たのち、となりの神屋町もぐるっと見てまわりました。まあ、特に何もありませんでしたが。その後、バスで天神までもどり、ちょっと休憩した後、まだお昼前だったので、地下鉄に乗って茶室があるという崇福寺にいきました。崇福寺は、福岡藩の藩主黒田家の菩提寺で、博多ではそれなりに有名らしいです。で、茶室を探しましたが見つからず・・・。お寺に張ってあったチラシを見たところ、たしかに崇福寺はお茶会で有名らしいのですが、肝心の茶室は一般公開していないとのことでした。
そんなことをしていたら、昼の2時を過ぎになり、予約してあった4時半のスカイマーにのって羽田に戻っまいりましたとさ。ということで、臨時ボーナスとなった特別休暇も、そんな感じで過ぎ去っていったわけでございます。
で、ホテルをチェックアウトして、はてさてどーーしたらいいんだとおもってブラついて見つけたのが、島津博多ビル。
なんで、こんなビルが気になるかといえば、正直な話、まあそれほど気になるわけではないのですが、偶然にもほどがあるとおもったわけですよ・・・。
しかし、なんですかね。
最近おもうのですが、会社の社風というか、仕事に対する取り組み方が、従業員・会社の双方にとって、本当に目に見えない財産であるってのは、転職を重ねる身としては、本当に身にしみますね。とくに、最初に勤めた会社が、自分の基礎を作ったといえばまさにそうで、その辺で齟齬があると、転職先をこの上なく許せなくなったりすることがあるのだと、、、最近、気づきつつあるわけです
まあ、そんなことを思いながら最初に訪れたのが、妙楽寺
これが念願かなってお墓参りした神屋宗湛のお墓
で、豊国神社を見たのち、となりの神屋町もぐるっと見てまわりました。まあ、特に何もありませんでしたが。その後、バスで天神までもどり、ちょっと休憩した後、まだお昼前だったので、地下鉄に乗って茶室があるという崇福寺にいきました。崇福寺は、福岡藩の藩主黒田家の菩提寺で、博多ではそれなりに有名らしいです。で、茶室を探しましたが見つからず・・・。お寺に張ってあったチラシを見たところ、たしかに崇福寺はお茶会で有名らしいのですが、肝心の茶室は一般公開していないとのことでした。
そんなことをしていたら、昼の2時を過ぎになり、予約してあった4時半のスカイマーにのって羽田に戻っまいりましたとさ。ということで、臨時ボーナスとなった特別休暇も、そんな感じで過ぎ去っていったわけでございます。
2013-03-01
九州縦断旅行5
24日(日)は、雲仙温泉を後にして、島原観光しました。で、その後、漁船のようなフェリーにのり対岸の大牟田にわたり、西鉄特急で福岡に移動、宿泊しました
朝起きて、せっかくなので、再度いおうの温泉にはいり、雲仙を満喫した後、朝食を食べました。で、たしか9時半ごろ旅館をチェックアウト、一時間ほど散歩したりして時間をつぶし、10時半の島鉄バスで、雲仙温泉をおり、島原外港に移動しました。
で、バスの中から見えた雲仙平成新山がこれ
正直な話、雲仙といってもなんとなくピンとこなかったわけです。溶岩ドームを見たとき、が、そうえいば、高校生のころ雲仙が噴火する様子を報道していたことを思い出しました。たしか、とても大きな火砕流が発生して、消防署の人とかカメラマンがなくなったはずです
で、はてさて、どこでバスを降りるべきかと逡巡しているうちに、島原外港に到着。大牟田に行くならフェリーに乗らなきゃいけないというだけの理由で、港で下車しました。で、港で、はて、このさきどうすべきかとブラブラしていたところ、なんとコインロッカーとレンタサイクルを発見。そこで、港に荷物を置き、レンタサイクルで島原観光することにしたわけです。
港と島原の街がどのくらい離れているか見当つかなかったのですが、西に向かうこと20分くらいで街らしき場所にたどり着きました。で、最初に見つけた島原名物が浜の川湧水。
きれいな水が、まさにこんこんと湧き出ていて癒されました。で、一人でじっと見ているのも、それまたアヤシイので、浜の川湧水をそうそうに立ち去り、つぎに行ったのが島原城
島原藩はたった4万石らしいのですが、お城だけ見るとすごく立派です。50万石以上あった島津藩が、天守閣を作らなかったことを考えると、なんというか、今風に言えば見栄っ張りな大名ようです。が、その結果、領民に大変な苦役を強いたため、天草・島原の乱という大一揆がおきてしまいました。ちなみに、島原の町をウロウロしましたが、天草四郎の生まれ変わりと喧伝している美和明宏の姿は露も見ることができませんでした。勝手なことを言えば、美和明宏をうまく担いで、島原・天草観光に役立てることはできないのかなー、でも、田舎だし保守的だよなー、よく考えると、都会でもヤダナーなどと漠然と思いをめぐらしたわけでございます
これが、島原城内にあったおみやげ物屋さんの寒さらし。まあ、平たく言えば白玉ダンゴです。
話が前後しますが、島原城の由来
原城の模型。原城は、一揆方が立てこもった戦国武将有馬氏の古い居城です。島原城の中は民族博物館らしきものになっており、一揆を誘発したキリシタンに対する拷問の様子も展示されていました。なんでも、改宗しないと指を切り落としたり、雲仙の噴火口に突き落としたりしたそうです。それでも改宗しない人もいたとかで、それはそれですごい、というか、拷問されて改宗したとなると、そのあともどんな目に合わされるか分からないのかも知れない、などと漠然と思いました。
これが天守閣からのながめ
島原城を堪能した後は、再び湧水のある町並みを見て回りました
朝起きて、せっかくなので、再度いおうの温泉にはいり、雲仙を満喫した後、朝食を食べました。で、たしか9時半ごろ旅館をチェックアウト、一時間ほど散歩したりして時間をつぶし、10時半の島鉄バスで、雲仙温泉をおり、島原外港に移動しました。
で、バスの中から見えた雲仙平成新山がこれ
正直な話、雲仙といってもなんとなくピンとこなかったわけです。溶岩ドームを見たとき、が、そうえいば、高校生のころ雲仙が噴火する様子を報道していたことを思い出しました。たしか、とても大きな火砕流が発生して、消防署の人とかカメラマンがなくなったはずです
で、はてさて、どこでバスを降りるべきかと逡巡しているうちに、島原外港に到着。大牟田に行くならフェリーに乗らなきゃいけないというだけの理由で、港で下車しました。で、港で、はて、このさきどうすべきかとブラブラしていたところ、なんとコインロッカーとレンタサイクルを発見。そこで、港に荷物を置き、レンタサイクルで島原観光することにしたわけです。
港と島原の街がどのくらい離れているか見当つかなかったのですが、西に向かうこと20分くらいで街らしき場所にたどり着きました。で、最初に見つけた島原名物が浜の川湧水。
きれいな水が、まさにこんこんと湧き出ていて癒されました。で、一人でじっと見ているのも、それまたアヤシイので、浜の川湧水をそうそうに立ち去り、つぎに行ったのが島原城
島原藩はたった4万石らしいのですが、お城だけ見るとすごく立派です。50万石以上あった島津藩が、天守閣を作らなかったことを考えると、なんというか、今風に言えば見栄っ張りな大名ようです。が、その結果、領民に大変な苦役を強いたため、天草・島原の乱という大一揆がおきてしまいました。ちなみに、島原の町をウロウロしましたが、天草四郎の生まれ変わりと喧伝している美和明宏の姿は露も見ることができませんでした。勝手なことを言えば、美和明宏をうまく担いで、島原・天草観光に役立てることはできないのかなー、でも、田舎だし保守的だよなー、よく考えると、都会でもヤダナーなどと漠然と思いをめぐらしたわけでございます
これが、島原城内にあったおみやげ物屋さんの寒さらし。まあ、平たく言えば白玉ダンゴです。
話が前後しますが、島原城の由来
原城の模型。原城は、一揆方が立てこもった戦国武将有馬氏の古い居城です。島原城の中は民族博物館らしきものになっており、一揆を誘発したキリシタンに対する拷問の様子も展示されていました。なんでも、改宗しないと指を切り落としたり、雲仙の噴火口に突き落としたりしたそうです。それでも改宗しない人もいたとかで、それはそれですごい、というか、拷問されて改宗したとなると、そのあともどんな目に合わされるか分からないのかも知れない、などと漠然と思いました。
これが天守閣からのながめ
島原城を堪能した後は、再び湧水のある町並みを見て回りました
これが、湧水庭園「四明荘」。いわれはよくわかりませn
で、島原観光を終えたのが、大体午後2時ごろ。漁船フェリーは3時過ぎの出発だったので、おそらく地元の魚屋さんとおもわれる平野鮮魚さんがやっている定食屋でお昼ご飯をためました。
たのんだお刺身定食
味は、、、まあままですかね。
で、お昼ご飯を食べた後、大牟田に船で移動しました
これが、島原鉄道が運営する漁船フェリー
揺れるかなーとおもったのですが、凪だったので、ぜんぜんゆれませんでした
大牟田港についた後は、バスで駅に移動し、西鉄特急で福岡天神まで移動しました
で、地下鉄で祇園駅まで移動し、無事、ホテルにチェックインし24日のイベントも無事修了、とあいなったのでございます
湧水がある町並み。
水路にコイを放しているのですが、観光客がこぞってコイを写真にとっている姿を見て、コイってそんなに珍しい魚だったんだと思いを新たにしました
で、島原観光を終えたのが、大体午後2時ごろ。漁船フェリーは3時過ぎの出発だったので、おそらく地元の魚屋さんとおもわれる平野鮮魚さんがやっている定食屋でお昼ご飯をためました。
たのんだお刺身定食
味は、、、まあままですかね。
で、お昼ご飯を食べた後、大牟田に船で移動しました
これが、島原鉄道が運営する漁船フェリー
揺れるかなーとおもったのですが、凪だったので、ぜんぜんゆれませんでした
大牟田港についた後は、バスで駅に移動し、西鉄特急で福岡天神まで移動しました
で、地下鉄で祇園駅まで移動し、無事、ホテルにチェックインし24日のイベントも無事修了、とあいなったのでございます
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