2019-07-21

成りあがり芸能事務所とお笑い芸人1


犯罪者集団に闇営業をしたということで謹慎していた宮迫と田村亮が、吉本との調整に苦慮した挙句、会社とのやり取りを洗いざらい話してしまった。

宮迫と田村は、謝罪会見の開催を求めていたが、吉本に拒否されたと主張した。宮迫たちは、はやく世間様に謝罪をしたかったと。多くのコメンテーターは宮迫たちの誠実な態度に同情を寄せた。そして、早めの記者会見が、事態の収束を速めたかのようにも言っていた。吉本の対応の悪さが、宮迫たちの復帰を阻んだと。テレビを見ていた時は、なんどなくそんな気がしたが、よく考えると、ちょっと違う気がしてきた。

宮迫&田村亮緊急会見 島田紳助氏にあって、2人にはなかったもの
https://bunshun.jp/articles/-/12938

「宮迫と田村は会見で謝罪会見を開きたいと吉本興業に訴えたが、岡本社長に聞き入れてもらえなかったと何度も会社側を批判しました。しかし、吉本側にしてみれば、2人が当初『詐欺グループからお金を受取っていない』とウソをついていたので、会見で更なるボロが出るのを懸念した部分もあったはず。宮迫や田村には、安直に言い逃れ出来ると高をくくっていた節が垣間見えましたからね。確かに吉本興業が上手いメディア対応をしていたとはいえませんが、2人が会社批判を繰り広げたことには拭いがたい違和感が残りました」

宮迫たちが望む早めの謝罪会見は騒動を治めただろうか?早めの謝罪会見とは、自分たちが、反社会団体から金を受け取っていたことを、公に認めることである。今回の批判の本質は、犯罪者集団からの金銭の授受である。とすれば、謝罪が早いことが、彼らが許される理由にはならない。

一方、吉本は静観を指示した。多くのコメンテーターは吉本の対応のお粗末さを批判した。たしかに吉本の対応はお粗末である。がしかし、よく考えれば、謝っても許してもらえないならば、ホトボリが覚めるまで、だんまりを決め込むのも悪い手ではない。芸能関係者(に限らない)がとる昔ながらの手だ。そもそも、吉本と宮迫たちからいえば、彼らは犯罪者に利用されたのであり、彼ら自身はなんら犯罪を犯していない。モラル以上に負う責任はない。であるならば、世の中の騒動に付き合う理由はない。

ところで、宮迫たちが熱望した早めの謝罪会見のもう一つの含意は、さっさと謝って、しばらく謹慎して、また何もなかったように復帰したいということでもある。がしかし、そうは問屋は下ろさないだろう。というのも、ここ数年、島田紳助・ベッキーのように、モラルに反しただけで、芸能界から引退した、あるいは、仕事が激減したタレントがいた。最近の芸能人は、ちょっとしたスキャンダルで、ポジションを失う。そう考えると、宮迫と田村亮は、このスキャンダルが出た時点で、芸能界でのポジションを、ほぼ失ったともいえる。そう考えると、早めの謝罪会見は、宮迫たちの認識の甘さをあらわにしている。

吉本は、ここ数十年で、大阪の芸能事務所から、巨大なエンターテイメント企業に様変わりした。お笑い芸人の仕事場は、お笑い番組から、ニュース番組のコメンテーターまで広がった。その一方で、芸人たちの行動や吉本のマネージメントは、いかにも前近代的であり、横山やすしがスキャンダルを起こしていた時代と、代わり映えしないように見える。お笑い芸人に求められるモラルは、彼らの仕事場の広がりとともに、変化している。だからこそ、世のモラルにまで、芸人が従う必要性が出てきた。駅前の定食屋が、食中毒を起こさないように衛生管理するように、巨大エンターテイメント企業の吉本も、芸人の行動のリスク管理を行う必要があるということが、今回の騒動の原因に思えてならない。

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