今日は、10年ぶりの親戚でのご会食。場所は新宿。待ち合わせ時間までには時間がある。そこで、壊れていた会社用カバンを買い換える。会食も終わり、帰宅後、カバンの中身を入れ替えていると、偶然にも、いちご弁当の包み袋を発見。ふと、当時、出張先の八戸駅で、このお弁当を買ったことを思い出す。製造年月日を見ると、01/1/19 10時40分と書いてある。2001年1月19日は金曜日だったようだ。
☆魚元
岩手県宮古市大通3-6-43
八戸と黒岩での商談が重なっていた。そこで、八戸宿泊の出張を計画する。木曜日は、親ほどに年が離れた営業部長と一緒に、八戸でお客さんと商談。部長はそのまま東京に戻った。が、自分は八戸で宿泊した。夜は、一人で地魚が食べれる炉辺焼きのお店でサンマのお刺身などを食べた。営業部長には、同世代の娘がいたのだが、なにかと
「うちの娘は食べごろやで」
と結婚をほのめかしてきたことを思い出す。
次の日は、本八戸駅から電車に乗り八戸に移動。八戸駅で昼食?用に、このお弁当を買って食べたはずだ。蒸したウニがたくさん乗っていたこと、初めて食べた茎わかめが思いのほかおいしかったことを鮮明に憶えている。
雪の中、特急で青森へ向かう。当時、八戸までようやく新幹線が開通したばかりだった。青森は思いのほか遠く、お昼過ぎに到着。で、青森駅で在来線?に乗り換え弘前に移動。一時間くらいだったと思う。弘前からは、ローカル私鉄で移動し、2時過ぎにようやく黒岩に到着。黒岩からタクシーに乗りお客さん先へ。機械そのものや、金属蒸気圧表で分圧コントロール方法を説明した記憶がある。とくに、蒸気圧表にもとづく分圧コントロールは、お客さんにとって目から鱗だったらしく、いたく感心されてびっくりした
説明も終わり、再びタクシーで駅に戻る。黒岩には戻らず、直接弘前まで移動した。弘前からは、青森空港まで空港バスで移動。雪も降っているし、夕方ということがもあり、バスの中がものすごく寒かった。小一時間で、青森空港へ到着。夕ご飯を食べた後、飛行機に乗り羽田に帰った。
この頃といえば、機械を担当し始めて約3年、営業職についてまる4年たっていた。人と話すことにも慣れ(わたしは、本来、人見知り)、まっさらだった機械の知識も増え、なんとなく仕事も板についてきた頃。がしかし、一方で、事務所唯一の若手にもかかわらず(だからか?)、飲み会・忘年会の幹事や仕切りといった雑用をおおせつかることは殆どなかった。むしろ、他の諸先輩方にまかせっきりで、自主的に動いたことなど皆無。今思うと、子供のように大切に育てられていた、、、気さえする。
仕事面では、お客さんと、技術的な話をすることは楽しかった。がしかし、どんなにがんばっても所詮、営業・文系という壁に常にぶち当たっていた。過保護に育てられたにもかかわらず、営業職に見切りをつけて会社を辞めることを、営業部長に伝えたのは、次の月、つまり2月中旬だった。
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