自分にそんな意見を主張する資格があるか分からないけど、というか、たぶんないんだろうけど、頭の良さについて、意見を書いてみる
よく分からないけど、学校・職場などで他人さまと相対するたびに、無意識的に、頭が良い人と、それほどでないかもしれない人とを区分けしている気がする。
頭が良いとは、 物事の構造を見極められる人のことだ。そういうと、頭の良し悪しを見分けているオマエは頭がいいのか?といわれそう。が、その点は、かなり疑問。まあ、すごく単純に、個人的な感想です。そういうと、好みの問題のような気もするが、それは置いておく。
話が戻ると、頭が良い人は、総じて口下手というかシャイな気がする。理由は分からないけど、ブツブツしゃべる人が多い。さらに、なぜか分からないけどこんなしゃべり方をする
「***ならば、×××ですよね。×××ならば、ある条件がそろえば、△△△っていうことも起こりうるわけですよね。でも、そいういと、さっき自分が言った○○○とは矛盾するかもしれないけど、 まあ、その辺のからくりが興味深いわけで・・・」
なんというか、ある事実があれば、事実の含意まで見通すことができる。
そして、なんといっても、というか、だからこそ、数字に強い。数字に強いってのは、暗算が速いとか細かい数字を覚えているのではなくて、複数の数字の大小関係の整合性や、相関関係を即座に理解できる。
欠点としては、意外におっちょこちょい。論理的に正しいと判断すると、思いのほか、細かい事実に頓着しない。逆に、論理的な整合性が低いと、細かい事実が正しくても決して納得しない。ごくたまに、この手の人に出会う。今の職場で2人。お客さんで1人。大学院の指導教授1人といったところか。
さらに面白いのは、これらの派生系で、賢いと思われたい人の存在。
普通、人間であれば、誰も賢いと思われたいものだ。が、個人的には、賢くないけど賢いと思われたい人の行動に、賢いと思われたいオーラが漂っている
・ 瑣末な論理性に固執する
賢くない人のなかに、本質をはずしている上に、意味不明な細部にこだわる人を見るときがある。賢い人にも瑣末な点にこだわることがあるけど、それは、本質を踏まえた上のときが多い気がする。
・論理性を保つことをがんばろうとする
賢い人は、自分の性格の中に、論理性を保とうとする行動が埋め込まれている。しかし、賢くない人は、論理性を保とうと努力する姿勢が露骨に見える。そして、たいてい、論理性を保てない。
・他人よりも優位な立場を保つために、論理を使いたい
簡単に言えば、自分が賢いことを他人にひけらかしたい人がいるということ。この手の人の中には、強面で破綻している論理を通そうとする人がいる。賢い人とは、人をやりこむためではなく、自分の中の理解を高めたいので、論理性にこだわるものだと思う。
まあ、色々書いたけど、サラリーマンのほとんどは、賢くないけど賢く思われたい人で構成されてるってことなのですよ。まあ、あたりまえだけど。
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