2021-07-11

ヤクザと家族 The Family

ヤクザと家族(2021)
KADOKAWA

チカーノkeiが何度も見たと言っていたので、気になってみてみた映画。

チカーノkeiがヤクザになった当初、ヤクザとは、単なる非合法組織というだけでなく、社会から見捨てられ、落ちこぼれた自分たちを救ってくれる場だったと言っていた。実は、山口組の組長も同じことを言っていたのをおぼえている。やわらかく表現すれば、世の中には、正しく(=合法的に)頑張るべき場面で頑張り切れない人がいる。そう言った社会から落ちこぼれを、何らかの規律でまとめているのが、ヤクザである、と

この映画では、親子愛・家族愛ともいうべき、愛がいたるところで出てきた。救いようのない街のチンピラに、手を差し伸べる組長。片親の子供にお小遣いを渡す若きヤクザ。敬愛する親分を守る子分、兄貴分の罪を被る子分、、、。そんな中で、抗争による服役後に組を脱退し、カタギに戻った主人公は、職場の同僚ののちょっとした不注意で、全てを失い殺され、映画は終わる。

ヤクザの生きにくさに焦点を当てた展開で、ヤクザの生き方を正当化したくなる。が、そうではないだろう。映画の各所で色々な愛の形が出てきた。が、それも、犯罪者集団が自分自身を守る中で交わされる互恵関係の表面的な形でしかないはずだ。道徳に背を向け、法を破り、一般人を食い物にする中、自分一人では、法律や警察から身を守るすべがないからこそ、犯罪者同士で身を固めるために見かけの家族愛や親子愛が必要になる。それを、さも美しいものかであるように描くこの映画は、ミスリーディングでしかない。一方で、やくざ者の子供が、ふたたび半グレ集団を組織していたり、ラストシーンで、親がヤクザだったとは知らない主人公の子供が、半グレ集団のリーダーと接点をもつようになってしまう展開は、犯罪に手を染める社会階層に一度入ってしまうと、そこから抜け出すことの難しさも、描いているように思う。

思えば、かつてヤクザとヤンキー映画は、人気コンテンツの一つだったし、社会には彼らを受け入れる余地があった。しかし、犯罪の高度化と凶悪化は、やくざ者を社会から締め出す力となり、その結果が、この映画の悲しい顛末なんだろうと思う。

2020-08-16

効果検証入門 ~正しい比較のための因果推論

効果検証入門
~正しい比較のための因果推論/計量経済学の基礎
安井翔太(2020) 技術評論社

 [表紙]効果検証入門 ~正しい比較のための因果推論/計量経済学の基礎

因果関係と相関関係を混同しちゃダメという話を初めて聞いたのは、たしか統計の授業だった。そして時は流れ20数年、いまや実務家までもが、因果と相関の違いを口にするようになった。がしかし、じゃあ、因果関係をどうやって立証すればいいのかと問われると、ふと困ってしまう人大半。多少、気の利いた人ならばABテストするしかないと答えるはず。しかし、現実的には、単純なABテストできる物わかりがよい状況ばかりじゃない。ABテストができなかったり、あるいは、すでにキャンペーンをした後から、効果(=因果)を知りたいというグタグダなケースも、少なからずある。

因果関係とは、実務的に言い換えると効果検証のことだ。そして、効果検証は、開発・計量経済学で発展した。なぜか?たとえば、先進国は、途上国にODAなどで多額の開発資金を投入している。が、使ったお金は税金。その効果を納税者に説明する義務が、政治家や役人にはある。で、経済学者と統計学者は協力して、実験が難しい状況で効果測定するすべを考えた。そして、そのノウハウは、いまやわれわれ実務家に広まりつつある。しかも、PythonやRを使えばタダで。そのエッセンスを手っ取り早くつかみたければ、この本を読めばいい。

一般的な回帰による検証を試すと同時に、その限界を示す。そして、本題の傾向スコアと回帰不連続デザインの説明に進む。Rコードも記載していて、この上なく親切。星野先生の本を先に読んだ(→といっても全部理解したわけではない)身としては、先に読んでおきたかったと思うこと数知れず。

「原因と結果」の経済学・学力の経済学の続編

2020-06-08

チカーノになった日本人



HOMIE KEI チカーノになった日本人

ハワイで麻薬おとり捜査で逮捕され、アメリカでの10年に及ぶ服役後にカタギに戻り、現在は育児放棄された子供のサポートや犯罪者の社会復帰に力を注ぐ元超極悪ヤクザの自伝的ノンフィクション。

たまたまYoutubeを見ていたら、この主人公(井上ケイ)が覚せい剤で再び逮捕された田代まさしのYoutubeを引き継いでいた。なんとなく見始めると、淡々と語る言葉とは裏腹に、想像を絶するような犯罪人生に興味がわき、思わずNetflixで映画も見てしまった。

法律を守り、スマホを見ながら運転することに罪悪感を感じる自分からすると、この映画がどんなに興味深いからと言え、彼の人生を、かっこいいとか、社会復帰して立派だなんて言うことはできない。麻薬を売りさばき、一般人を脅し、時には、暴力で相手を痛めつけ大金を稼いていた、と主人公は淡々と語る。穏やかな語り口からは、極悪なヤクザだったことなど連想できない。さらに、服役後は、刑務所で学んだカウンセリングで育児放棄された子供や元服役囚のサポートに注力している。

とはいえ、いくら彼が社会復帰したとはいえ、ヤクザ時代に不法に巻き上げた他人の財産や、痛めつけた人生が戻ってくるわけではない。がしかし、そんなことは、本人が一番よくわかっている。彼ができることとは、自分が犯した過ちに至る道を社会から減らす努力をすることだけだ。それが、この自伝的ノンフィクションであり、育児放棄されている子供や服役囚のサポートである。

この映画を、決して美談にしてはいけない。と同時に、彼の経験からも、社会は学ばなくてならないのだろう。