Universal Pictures(1995)
マフィアのボスに見込まれシカゴの敏腕ノミ屋(エース)が、カジノの敏腕経営者に転身し、同じく用心棒として送り込まれた親友のチンピラ(ニッキー)とともにカジノで経済的な成功をおさめる一方、結局のところ、マフィアのルールからのがれられず、身を亡ぼすノンフィクション。
ゴッドファーザーもそうだが、マフィア物の映画のオープニングシーンは荘厳だ。バッハのマタイ受難曲で始まるオープニングシーンは、映画登場人物の成功と悲劇的な没落を連想させる。
主人公のエースは、シカゴのカジノのノミ屋として大きな成功を収めていた。エースの能力の高さ目をつけたのは、ギャングのボスたちである。ギャングは、トラック組合の年金をラスベガスのカジノにも投資していた。そこで、エースをカジノの経営者としてラスベガスに送り込んだ。同時にボスたちは、チンピラのニッキーをエースの用心棒につけた。
エースとニッキーは、ギャングが経営するカジノビジネスの表の顔と裏の顔そのものもである。表面的には合法なカジノビジネスを、エースが仕切った。エースは元ノミ屋としての経験から、どのように客を儲けさせれば、最も多くの金を客から巻き上げることができるか?を知り尽くしていた。
しかし、カジノは綺麗ごとだけで経営できない。カジノは、ゴロツキやイカサマ師の巣窟でもある。イカサマ師やゴロツキからカジノを守るのがチンピラ・ニッキーの役割だ。口よりも先に手が出るニッキーは、ゴロツキやイカサマ師から、カジノの利益とルールを非合法な手段で守った。
エースの才能でカジノは大成功を収める。しかし、いかに合法的なビジネスで金を稼いでも、エースもニッキーも結局はチンピラであり、ゴロツキやマフィアの流儀から抜け出せない。陰に陽に暴力や脅迫で人を支配しようとするエースとニッキーは、最後には、暴力によって自らの身を滅ぼしてしまう。
見ていて、まさにゴッドファーザーを別の側面から眺めた映画だと思った。ゴッドファーザーのマイケルは、マフィアビジネスを合法化しようとし、カジノに進出するが、結局のところ、マフィアの流儀から抜け出せず、Part3では愛娘を抗争で失った。
3時間と長尺な映画。特に最初の1時間程度は、中盤から後半のための布石であり、内容の理解が難しい。しかし、中盤から後半にかけてのエースの成功から、ニッキーの暴走で始まる二人の没落は見ごたえがある。
エース役のロバートデニーロはもちろん、特によかったのは、ニッキー役のジョー・ペシとエースの妻役のシャロン・ストーンだ。ジョー・ペシのチンピラ感とシャロンストーンのバカ女感は特筆ものである。
悪者は不幸になるべきだという、普通の人が普通に願うことが、ベタにかなう胸をすく映画