2015-05-05

選挙&ママ市議会議員

先週、地元で市議会議員選挙があったようだ。実際、駅前で、毎日、誰かが演説をしていた。がしかし、いつものように選挙に行かなかった。なぜならば、自分の利益を代弁する議員がいたとは思えなかったから。選挙に行かないから、自分の利益を代弁する議員が出ないというのは真実だ。だけど、こんなファミリーユースな町で一人暮らしをする人間の利益を代弁する議員なんてあらわれっこない。

議員の主張って、単純化するとみんな同じだ。いわく

「自分が代表するセグメント?に金をつかえ=税金を投入しろ」

ジジイやババアが立つならば、主張は、年金や介護、あるいは医療に金を使えになるだろう。まあ、表面的にはもうちょっとこぎれいな単語をならべるだろう。つまり

「日本を支えてきたシルバー世代が、文化的な生活を送れるような政策を拡充し、現世代も安心して働けるような社会をつくらなければならない・・・・・」

といった感じだ。まあ、嘘でないけど、本当でもない。一方、30代の働くママが議員に立候補するならば、子育て支援や教育に金を使えになる。彼女たちの下心、いや主張を、大義名分で覆い尽くすならば

「将来の日本を支える子供を育て、かつ、企業のダイバーシティーを進める働くママを支援する政策を拡充することは、日本企業のさらなる競争力アップと日本の将来の成長に投資することにつながります!」

といった感じだ。

まあ、だれでも金がもらえればうれしいので、当然といえば当然なんだけど、世間の流れから完全に乗り遅れた世捨て人としては、こんなおためごかし、冷やかにしか見れないのも事実なのです

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なんとなくいつも思うのだが、働くママは、子育てと仕事、両方でやりがいを得る必要があるのだろうか。

何が言いたいかといえば、子育てをする母親が、100%仕事に労力を投入できないのは、そりゃ当たり前のことであり、とすれば、子育てする前のようにキャリアを積み上げられないのは当然なのではないのか。そして、それは、その運命を単純に受け入ればよい気がする。

ちょっと検索すれば、こんな話が山ほど出てくる。

「子育てしながら仕事をすると、重要な仕事をもらえなくて、仕事にやりがいがない」

と。あるいは、

「子育てする女性を積極的に戦力に投入しないのは、企業にとっても損失である」

欧米はどうだか知らないけど、正社員の権利が異様に強い日本で、仕事Onlyでない人とそうでない人とを同等に評価するというのは、虫が良すぎる。仮に、子育てをすると、あらゆる能力があがり、そうでない人の力を凌駕するのであれば、働くママに袖にするのは、企業にとって不利益な話だし、もしそうならば、知らぬ間に、働くママは企業内で増殖し、制度はあとから勝手についてくるのではという気さえする。だって、働くママを雇うと、売り上げと利益が上がるんだから。

だけど、おそらく子育て始めたところで、能力なんて大して変わらない。とすると、働くママは、フルで働く人よりも優遇されなくても仕方ない気がする。だって、投入する労力が違うんだから。

個人的には、働くママは、子供が小さいうちは、会社の傍流にいたほうが良いのではないかと。何となく思うけど、一般的に、仮に強く出世を願うときでさえ、常に主流にいることが良いわけでない気がする。

主流とは、大変なものだ。みんなに注目されているし、やっかみもあれば嫌がらせもある。出る杭は積極的に打たれるかもしれない。どんなに賢くても、徒党を組んだ嫌がらせに抗しきれる人などいない。主流は、常に第一人者であり、勝ち続ける必要がある。だけど、勝ち、実績を上げ続けるなんて、運が良いか、あるいは相当にごますりが上手か以外にはありえない

むしろ、傍流には、それなりのメリットがある。それは、他人の失敗を自分の糧にできるところだ。傍流の良いところは、おいしいところが一番最初にやってこないところだ。そう言うと損してるみたいだけど、見方を変えれば、他人のやり方を、客観的に学ぶ準備ができる。主流派の人は、一番最初に困難な仕事を割り当てられる。彼らは、いきなり成功するかもしれないけど、試行錯誤した上に結局失敗し、失脚することもないわけでない。傍流派の勝負はそこからだ。他人の失敗からじっくり学ぶ時間があるので、そこから成功までもっていく準備ができる。

まあ、同じように働いていた同僚が社内で活躍する姿はうらやましいし、ときには妬ましいかもしれない。だけど、誰にでもできる会社の仕事と、自分にしかできない子育てとを、同じウエイトを置くなんて、なんか人生損しているとしか思えないというもの事実なのでありました